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ブックマーク / tukinoha.hatenablog.com (38)

  • 『アイドルマスター XENOGLOSSIA』に見る原作との付き合い方 - tukinoha’s blog

    アイドルマスター XENOGLOSSIA 1 [DVD] 出版社/メーカー: バンダイビジュアル発売日: 2007/07/27メディア: DVD購入: 3人 クリック: 137回この商品を含むブログ (100件) を見る毎週夜更かししながら見ていますが、最近特に面白いなと感じます。「地球にしょっちゅう隕石が降ってくる」という大事件とは無関係に平々凡々な世界、そこにロボットアクションを滑り込ませ、日常的な感覚をもって非日常な世界を描こうとしているのだから上手いものです。目新しい要素はありませんが、ウェルメイドな作品という感じですね。 ところでAmazonのカスタマーレビューを見てみると、放送開始初期の評価には「原作レイプだ!ファック!」みたいな評価が目立つのに対し、現在に近づくに従って「原作と同じだったらダメだろ」「中途半端さがなくて良い」という評価が目立つようになってくる、という変化が起こ

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  • 『魔法少女リリカルなのはStrikerS』と「世界観の穴」 - tukinoha’s blog

    魔法少女リリカルなのはStrikerS Vol.1 [DVD] 出版社/メーカー: キングレコード発売日: 2007/07/25メディア: DVD購入: 1人 クリック: 37回この商品を含むブログ (119件) を見る 「話は聞いてもらうものじゃないの。聞かせるものなの!」でおなじみの「管理局の白い悪魔」の二つ名を持つ20歳直前の高町なのはと若い新人スバル&ティアナ、愉快な仲間達が繰り広げる愉快痛快シリアス魔法少女、熱血魔法バトルアクションアニメ!である。 http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AFStrikerS 実に的確な要約ですね! ……ではなくて。 なのはStS

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  • ラノベの文体論について - tukinoha’s blog

    うーん、ライトノベルの読み方なんて個人の自由。つまり文章に重きをおいても勝手というものなのですが…… ぶっちゃけ文章に酔いたいなら、ライトノベルに時間割く必要はないというかむしろ期待しても不幸になるだけでしょうね。 だって、多数派の読者は流麗な文章など別に求めているわけじゃないですから。 むしろ、読みにくくなるので過剰な文章表現は邪魔者扱いされる可能性があります。 そもそも需要が少ないのだから、供給だってそれに合わせたものになるのは道理。 ライトノベル作家の文体 - バカ小説とメイドさん至上主義なまいじゃー分室 なんて言われると逆に「ライトノベルの文章表現」について真剣に考察された記事が読みたくなります。ご存知の方、ぜひ教えてください。 僕の考えとしては、「ライトノベルの感想記事」が物語に偏重しているのは事実だと思います。ただ、ライトノベルの面白さと文章表現が直結していないのかと言えば、そ

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  • 「はてな」に関するいくつかの雑感 - tukinoha’s blog

    はてなブックマークのコミュニティについて - naoyaのはてなダイアリー ・ユーザの意見を全て取り入れると酷いことになる。 ・批判と罵倒の境界は、ない。 ・批判するためにブクマをしているという人間もごく稀にいるが、どんなジャンルにもそういう人間はいる。違いは金を払うか払わないかくらい(つまり大差ない)。 ・個人的には、くだらないものを批判するより、良いものを褒める方に時間を使いたいと思う。 ・「はてな」の話題の90パーセントは無限にループする。 ・特定分野の研究者がブログを書いて、そこで研究を進展させるような有益なやりとりが出来れば良いな、とは思うけれど、実際には難しい。自分の専門性を前面に押し出すと「5万人もユーザがいて誰一人アドバイスできない」ということになるのが目に見えているし(誰も知らないから研究として成り立つ)、レベルを落とすとそれは教育活動になってしまう。好きで教育活動を行う

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  • うれしいブクマコメントとか、作家の話 - tukinoha’s blog

    「考えさせられる」というコメントが一番うれしいという話。 自分で言うのもアレですが、気合を入れて考察的な記事を書くとき、首尾一貫性だとか論理性なんかを保とうとします。そんなに突飛なことは書いてないはず(たぶん)。 ありがたいことにその無難な記事を評価して、ブクマしてくれる人がいる。無言の同意(勝手な判断ですが)だったり、「同感です」という積極的な肯定だったりと色々ですが、評価されると素直にうれしいものです。 ただ、自分が書いた「AはBである」という記事に肯定的なブクマコメントを残した直後に「AはBではない」という記事にもやっぱりブクマしている人がいて、そういうのを見てはじめて自分の記事が失敗だったことに気付く、ということも時々あります。内容の是非はともかく、記憶に残るような、もうちょっと上手い書き方があったんじゃないの?みたいな。そういうことを考え始めると、何を目指して記事を書くかという根

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  • 他者と批評理論 - tukinoha’s blog

    私は丁寧語で書いている作品についての言説は余り信じられなくなってきている。丁寧語で書くということは、そこにはその文章を読む読者が想定され、更にその読者は「話せば解る他者」という想定がなされているだろうから。 こぐにと。 cognit. - 美少女ゲーム年代記 僕が普段丁寧語で書いているのは、その方が伝わりやすいと思うから。それを突き詰めれば読者を「話せば解る他者」として想定しているというのも、一面の真実は突いていると言えるだろう。ただ、それがいけないことだとは全く思わない。 他者を理解できないものとして想定する、というのは非常にポストモダン的な発想である(引用記事の筆者の意識は別として)。それは確かに正しい。が、言うまでもなくそれは思想として何の意味も持たない。何故なら、僕たちは言葉が関係性によって生まれること、自分が意図したようには伝わらないことを知っていても言葉を発せずにはいられない、

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  • tukinohaの絶対ブログ領域―これからアニメ批評について真剣に考えてみようという人に向けて

    最近は批評論が流行っている、と書いたらちょっと嘘。かつての理論・反理論の対立のような、熱のある(陰湿ともいう)議論というものはあまり見られなくなったようにも感じられます。けれど、それはもちろん理論が必要とされなくなったことを意味しているわけではありません。 理論はありふれたものであり、理論に基づいて議論が行われることは自明のこととなった。そのように言っても差し支えないでしょう。それ自体は喜ばしいことですが、同時に理論がシステム化され、来持っていた社会性が骨抜きにされていることにも、注意する必要があります。 何を頼りに、何を根拠にしてアニメを論じるのか。これまでに考えてきたことをアウトプットするには今が一番良い時期であるのかもしれません。 批評飽きた←こんな意見も出ている時分ですしね。 言うまでもないことですが、以下の内容は自分を棚に上げまくって書いています。長いと感じたら、項目ごとに、つ

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  • 『らき☆すた』は日常を描いたのか? - tukinoha’s blog

    「こんなにスポーツ出来るのに、何で運動部とかに入らないの?」 「だって部活に入るとさぁ……ゴールデンタイムのアニメが見れないじゃん」 『あずまんが大王』が「ありそうでありえない日常」を描いたとすれば、この『らき☆すた』は「当にありそうな日常」を描いている、と感じさせる点で異質な作品であると言えるのかもしれません。「チョココロネは頭と尻尾のどっちからべる?」なんて「たい焼きは頭と尻尾のどっちからべる?」と同じレベルの、ごく日常的な会話ではありませんか。 このような固有性のない繰り返される日常を「物語」として成立させているのは形式であると言えます。そもそも京アニの作画が賞賛される原因として、単純に作画が優れていることと共に、形式を知覚させること、「ここは作画に注目だ」と視聴者に教えるような作品構造をとっていることが挙げられるでしょう。『らき☆すた』においてはOPとだけではなく編において

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  • アニメ感想の難しさ - tukinoha’s blog

    テレビアニメの感想の難しさは、「毎週書いているとどんどん書くことがなくなってきて中身が薄くなる」だと思う。近いのは週刊漫画の感想だろう。漫画の単行でもたくさん出ていると感想が小出しになる。テレビドラマも近いか。小説映画なら作品はまとまっているので一回感想を書けば済むが、連載や連続形式の話というのは感想が難しい。 テレビアニメの感想の難しさ - ARTIFACT@ハテナ系 以前にも当ブログで取り上げた、視聴者による「脚執筆」の問題も含めて、ある程度普遍的な価値のある感想というのは中々難しいようです。「最終回の後にまとめて書く」というのが最も良心的な態度だと思うのですが、そうなるとこの時期、書くことがないんですよね……。 「じゃあ書かなきゃいいじゃん」 「なるほど。正論過ぎてムカツク!」 というわけで明日から4月期のアニメについて色々書いていきます。

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  • 『苺ましまろ』の日常と時間 - tukinoha’s blog

    「女子短大生と4人の小学生の日常を描いたゆるーいコメディ」 『苺ましまろ』は大体こんな風にして紹介されているようです。しかしその実態は、日常を装ったファンタジィ。あと「ゆるーい」って何だ超テンション高いじゃないかこの人たち。え、え、え、どういうことだ責任者出て来い。 みたいな話をつれづれと書いてみようと思います。 苺ましまろ オリジナルビデオアニメーション 1〈初回限定版〉 [DVD] 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント発売日: 2007/02/23メディア: DVD購入: 1人 クリック: 18回この商品を含むブログ (64件) を見るこの『苺ましまろ』を特徴付けているのは「決定的な出来事が起こらない」という点にあると言えるでしょう。ここで言う「決定的な出来事」とは30分1話の枠を超え、次の話、時には最終回まで影響を与えるような出来事のことです。 例えば美羽のいたずらに登

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  • 『SHUFFLE! MEMORIES』という怪作 - tukinoha’s blog

    『SHUFFLE!』といえばヤンデレ女王楓さん、という感じなのですが、今回はあえて別の方向から光を当ててみたいと思います。テーマは「総集編」という形式について。 SHUFFLE! MEMORIES 導入編 [DVD] 出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2007/02/23メディア: DVD クリック: 7回この商品を含むブログ (26件) を見る『SHUFFLE!』を知らない人に向けて簡単に説明しましょう。Navelというメーカによるエロゲ原作のこのアニメでは、主人公と5人のヒロインの恋愛模様が描かれています。まあ、典型的なハーレムアニメですね。「楓」というヒロインの大活躍によってこの作品は長くアニメ史に名前を残すことになったわけですが(詳細はネタバレなので省略)、その勢いで最終話以外全て『SHUFFLE!』の総集編という『SHUFFLE! MEMORIES』(以下『MEMORIES』

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  • 京アニKanonをめぐる冒険−Kanon関連記事まとめ - tukinoha’s blog

    0.公式関連 TVアニメ「Kanon」公式HP Kanon DVD vol.3 麻枝氏コメンタリー - なつみかん@はてな 1.原作関連 MilkyHorse.comの馬法学研究会 競馬サブカルチャー論・第20回:馬と『Kanon』その1〜雪が溶ける頃、冬の日の物語もまた、“思い出”に還る〜 2.アニメ版のシナリオ 全体:美少女ゲーム年代記 - milkyhorse(Rosebud Side) - TVアニメ「Kanon」(京都アニメーション版)マルチシナリオ構成分析表 序盤: KANON2006は悪くないと思うけど僕はしらん−Something Orange 真琴:真琴シナリオの気持ち悪さについて - トラコメ遊び 舞:第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" - milkyhorse(Rosebud Side) - 美少女ゲーム

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  • OVA ToHeart2―「萌えアニメ」におけるコンセンサスの獲得 - tukinoha’s blog

    人が「萌えアニメ」に触れたときの態度は、たいていの場合以下の3つのうちのどれかに該当するのではないでしょうか。 1.拒絶する。 2.好みは人それぞれ、と相対化して受け入れる。 3.特権化して受け入れる(「萌え」のルーツは江戸文化に云々)。 1は言うまでもなく意味がありません。萌えはポルノだ、萌えは思考停止だ云々って、それは「あなた」の定義でしょう?と。3は、ある意味では「差別される側」から「差別する側」へと変化しただけのようであり、やはり正しくないように見えます(参考記事:文化とサブカルの微妙な関係−「エロゲを擁護する」とは−)。 では、2の態度が最も正しいのでしょうか?萌えアニメ、自分は好きだけど、嫌いな人もいる。そこで「好みは人それぞれだから」と相対化するのは大人の態度のようにも見えます。 しかし、実は2の態度も、それだけでは不十分なものです。 当に好みは「人それぞれ」なのでしょうか

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  • サーカス作品の歴代OPに関するごく簡単なまとめ(だいたい完全版) - tukinoha’s blog

    先日公開されたD.C.?の歌と映像があまりに素敵過ぎるので以前書いた記事に手を加えてみました。文章、映像の分量が増えています。 『水夏』よりyozuca*『Fragment〜The heat haze of summer〜』。 リメイクされるごとに歌い手が変わる上に、Youtubeにはオリジナルがないという難儀な曲です。最初に曲だけを聴いたときはそれほど良いとは思わなかったのですが、映像と合わせて鑑賞して初めて良さがわかりましたね。余談ですが、他人に一だけエロゲを薦めるなら、僕は迷わず『水夏』を選びます。『ef』へと至る御影氏の作風はこのとき既に完成されていたのかもしれません。 『D.C.〜ダ・カーポ〜』よりyozuca*『ダ・カーポ〜第2ボタンの誓い〜』。 映像には初代のPC版と、移植後のPS2版の2種類があります。こちらはPC版。 続いてPS2版。yozuca*のデビュー曲としても有

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  • 『Canvas2 〜虹色のスケッチ〜』に見るアニメ化と強制力の補填 - tukinoha’s blog

    『ひだまりスケッチ』に見る美術部アニメの可能性 美術部アニメ……何かを忘れている気がする。 うーんうーん。何だっけ……ほら、アレだよアレ。アレって何だ?だから、その、あの。 ……『Canvas2』だ! というわけで日は『Canvas2 〜虹色のスケッチ〜』の話です(白々しい!)。 キャンバス2~虹色のスケッチ~ スケッチ12 通常版 [DVD] 出版社/メーカー: 角川映画発売日: 2006/12/22メディア: DVD クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る主人公の「上倉浩樹」はかつて画家になることを夢見ていたものの、ある事件をきっかけに夢を諦め、美術部顧問として撫子学園へやってきます。彼と、絵画の特待生として撫子学園に入学した従妹の「鳳仙エリス」、幼馴染で撫子学園教師の「桔梗霧」。『Canvas2』ではこの3人をメインとして、様々な悩みを持つヒロインたちとの交流が描か

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  • 「毎週見る」と「まとめてみる」の違い - tukinoha’s blog

    当ブログではこれまでに何度か、現代ほどコンテンツの劣化が遅い時代はかつてなかった、ということを主張してきました。 関連記事:tukinohaの絶対ブログ領域−「新しさ」の思想 ただ、それと同時に問題となるのは、コンテンツを消費する側の態度です。劣化しないコンテンツと変化し続ける身体性との間に生まれるギャップ、あるいは偏見についても考察する必要がある、と僕は考えています。 しかし、今回特に問題としたいのは、より即物的な側面、たとえば古いアニメを見るときの「DVDでまとめて見る」という消費のされ方と、新しいアニメを見るときの「毎週1話ずつ見る」という消費のされ方との間に生じる、アニメの受け取られ方の違いについてです。 「え、何か違いがあるの?」と思われた方のために、例として、ジョン・フィスクの『テレビジョンカルチャー』を引用してみましょう。 「(テレビドラマの視聴者が「この先の展開はこうするべ

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  • エロゲからアニメに継承されたもの - tukinoha’s blog

    「この曲の名前ご存知ですか?」 「いや。よく聴く曲だけど……」 「カノンです。パッヘルベルのカノン」 「カノン?」 「同じ旋律を何度も繰り返しながら、少しずつ豊かに、美しく和音が響きあうようになっていくんです。そんな風に、一見違いのない毎日を送りながら、でも、少しずつ変わっていけたらよいですよね……」 −京アニ版『Kanon』第14話より− 祐一と佐祐理さんが喫茶店で会話をするシーンから抜粋。タイトルについて言及する、おそらく唯一の例でしょう。原作ではついに語られなかったKanonの意味、正典からカノン砲までいろいろ考えられる中で、パッヘルベルのカノンを選んだことに特別な意味を見出したいと思うのは僕だけでしょうか。 タイトルへの自己言及、という点では作品は違いますが以下の台詞も非常に印象深いものでした。 「人生ゲームのようにリセット出来ないと言うけれど、当にそうだろうか。つまずいても、

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  • いかにして僕は泣けないエロゲを愛するようになったか - tukinoha’s blog

    Something Orange エロゲに求めるものは、エロでも萌えでも泣きでもない エロも萌えも泣きも、単に語りやすいから語られているだけであって、それらをエロゲの質だと感じている人ってそんなにいないと思います。カウンターカルチャーとしての要素も同様。それらはミステリィにおけるトリックみたいなもので、たまたま記憶に残りやすいのでトリックについて語っているうちに自然とトリック至上主義者になってしまった、みたいなことが多いのではないでしょうか。 つまり、エロゲの中でも「泣けるエロゲ」が大きな位置を占めるようになった背景には、作品の性質上、「泣けた」とか「感動できる」みたいな画一的で記号的な感想を量産されたことによるユーザの「声の大きさ」があったんじゃないか、と思います。 もちろん、声が大きければ良いというわけでもありません。声の大きさを笠に着て薦められるのが不愉快だとか、ノイズが増えるとか

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    zonia
    zonia 2007/02/15
    どうでもいいけど「ィ」の使い方に萌えた。