テレビ報道を見た大阪の小学生から送られてきた手紙を手にする松崎さん(左)と永野さん。似顔絵に「水俣おうえんしてます」とメッセージが添えられていた=熊本県水俣市内 水俣病被害者団体と環境相の懇談の場で、被害者側のマイクが切られ発言が遮断された。同席した水俣病センター相思社(熊本県水俣市)職員の永野三智さんに、被害者とその事態をどう受け止めたのか、寄稿してもらった。 看取った思い 5月1日のことでした。水俣病公式認定から68年の日、水俣湾埋立地にある慰霊碑前で犠牲者慰霊式後、伊藤信太郎環境大臣と八つの患者団体との40分の懇談が行われました。私は当日、水俣病患者連合副会長の松崎重光さん(82)に同行しました。 妻の悦子さんは昨年4月に、痛みの中でのたうち回って亡くなりました。葬儀が終わって以降、「患者がどんなふうにして死んでいくのか、自分はそれをどんな思いで看取ったか、チッソに、国に県に市に伝え