ブックマーク / withnews.jp (19)

  • 「ホームレス」排除が招く〝間接的殺人〟やさしくなくなった宮下公園

    高級ファッションブランドなどの店舗が入り、一体型の公園でスポーツも楽しめる、東京・渋谷の「MIYASHITA-PARK」。その成立経緯を振り返ることで、公共空間の意義について考えてみました。 出典: PIXTA 「自立支援」に隠れた行政の音 「助けて」と言わせない、間接的殺人 「どこかに消えてくれ」と言い続ける社会 7月28日でオープンから一周年となる、東京・渋谷の複合商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」。おしゃれな建築物が並ぶ土地は元々、渋谷区立宮下公園として、地域住民らに親しまれていました。再開発にあたり、域内で暮らす「ホームレス」の人々が一斉に追放された、負の歴史の現場でもあります。「公園は避難所。そこが使えなくなる状況は、誰にとっても逃げ場がない、今の社会そのものだ」。現地で困窮者支援に携わってきた社会学者に、公共空間が失われる危うさについて聞きました。(w

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    zu2 2023/04/28
  • 「排除ベンチ」抵抗した制作者が突起に仕込んだ「せめてもの思い」

    「さすがに、必要ですよね」 そもそもベンチがない問題 「恐れていることが当に起きるか」を知る まちなかで見かけるベンチに、仕切りや手すりのような突起がついていることは「当たり前」の風景になっています。そんな「排除ベンチ」の一つが、先日、ツイッターをきっかけに形を変えました。〝突起〟が動いたのです。当初から〝突起〟に抵抗していたというベンチの制作者。実は、ベンチにある仕掛けをしていました。「みんな排除に慣れてしまっている」。制作者の言葉から、公共空間の過ごし方について考えます。 可愛らしいデザインで〝排除〟 7月8日。東京都中央区の京橋に設置されたベンチに、作業員が集まりました。木製のベンチを1台1台裏返し、ベンチの座面を3つに区切っていた「突起」のボルトを外し、突起を動かしました。

    「排除ベンチ」抵抗した制作者が突起に仕込んだ「せめてもの思い」
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    zu2 2023/04/28
  • 「スマホが新聞を殺した」は本当? 部数が減ったわけを考える

    iPhone買った人、新聞を読んでいたのか問題 新聞代の値上げは関係ありそう 若い頃に新聞を読まなかったら、一生読むことはない…らしい 新聞の部数が減っています。「スマートフォンとインターネットのせいだ」という説明をよく見ます。当なのでしょうか。 (朝日新聞ポッドキャスト・神田大介) 5年で1100万部が消えた 紙の新聞は、どんどん売れなくなっています。 日新聞協会によると、新聞の発行部数はこの5年で1128万部も減りました。 2022年10月現在、計3084万6631部(前年比218万部減)です。 最も多かった1997年(5376万部)に比べ、25年で4割以上も減っています。

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    zu2 2023/02/15
  • 「顔が覚えられない」努力不足じゃなかった!作者がたどり着いた原因

    声やしゃべり方覚えていた 大人になって失敗やトラブルを重ねて気づく 「努力で補えるものではありません」 なぜか、人の顔が覚えられない――。新生活で気付いた自分の「苦手」。大学進学でつまずき、就職してからも一人で悩み続け、ようやくたどりついた原因とは? 「50人に1人」の障害と向き合うエッセイマンガの作者と、専門家に話を聞きました。 人の顔が覚えられず、話しかけられても思い出せずに相手を傷つけたこと。 何回も会っているのに「初めまして」とあいさつして、気まずくなったこと。 どんなに覚えようと努力しても、なぜか人の顔に関する記憶だけが、抜け落ちてしまいます……。失敗を重ねてだんだんと、人に話しかけることが嫌になってしまいます。 ひとつの「障害」を知ってから、ようやく力が抜けるようになるまでを描きました。 マンガには、「私も人の顔が同じに見えます」「仕事の関係、近所の人が特にダメです」「他人に興

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    zu2 2022/05/20
  • 「人を殺すも生かすも言葉」 沖縄の保育に力を尽くした女性の50年

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学) 復帰に際して沖縄がスローガンとした「土並み」。これは経済だけでなく、教育や社会制度などあらゆる事柄に当てはまります。もちろん福祉もそう。復帰の年に保育園を設立し、その後、沖縄県で先駆けとなる子育て支援センターを立ち上げた石川キヨ子さんは、沖縄の福祉を形作ってきた一人です。 けれども、石川さんは最初から福祉に身を投じようと考えていたわけではありません。高校を卒業後、美容師になるために沖縄を出て修業を積み、20代で自分の店を構えるも、それをスパッと辞めて保育の世界に飛び込んだのです。 連載「10人の沖縄」の最終回は、沖縄の保育の充実に尽くしてきた石川さんの生きざまに迫ります。 首里高

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    zu2 2022/05/11
    “私たちは自由ではありませんでした。戦争に負けたのは日本なのに、何で沖縄がアメリカ軍の統治下に置かれないといけないのか”
  • 復帰で経済悪化、那覇の商店街救った黒船「ものすごい集客力だった」

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。(ライター・伏見学) 第5回は那覇市で楽器店を営む高良博さん(63)です。今や多くの観光客であふれ返るなど、沖縄最大の繁華街となった国際通り周辺ですが、復帰後もしばらくは地元住民のための商店街でした。その地で長年商売をしていた家で生まれ育った高良さんのエピソードは、かつての那覇の商売人たちの生活を知る手がかりとなるでしょう。 創業71年の老舗 沖縄都市モノレール「ゆいレール」の美栄橋駅を降り、目の前を走る沖映通りを少しだけ国際通り方面へ進むと、左手に「高良楽器店」と書かれた看板が見えてきます。戦後間もない1951年に創業した老舗の楽器店です。 「うちは地元の店だから“何でも屋”でなくてはいけません。ギター

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    zu2 2022/05/03
  • 教員として願った本土復帰、だけど…バブル後に倒産、83歳女性の今

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学) 有人・無人合わせ、160もの島嶼(とうしょ)から成る沖縄県は、島ごとに文化や風習が育まれ、それが沖縄の多様性を作り上げてきました。 ただし、島々の魅力が増すことと、島民生活が豊かになることは別の話。進学や就職のために多くの人たちが島の外へ出て行かざるを得ない状況は今も昔も変わりません。 実際、那覇には離島をルーツとする県民がたくさんいます。元小学校教員の西原トシさん(83)もその一人です。 6歳のときに終戦 西原さんは宮古島市出身。宮古島と伊良部島をつなぐ全長3540メートルの伊良部大橋のたもとに広がる久松(久貝地区と松原地区を併せた呼称)で、1938年11月、8人兄妹の末っ子とし

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    zu2 2022/05/03
  • 右側→左側通行に 車のルール変わった沖縄、喫茶店に思わぬ影響

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学) 前回の記事で、1970年にコザ市(現在の沖縄市)で起きた「コザ暴動」の翌日、焼け焦げたクルマの山に遭遇したという金城馨さんの体験談を紹介しました。 そのコザ暴動の一部始終を、自宅の窓から目撃していたのが、照屋幹夫さん(68)です。高校1年生のときでした。 コザ暴動の記憶 「国道沿いに実家があって、2階の窓から見ていました。黒人のファミリーがクルマから引っ張り出されていました」 ただ、照屋さんによると、奇妙な光景だったといいます。 「黒人ファミリーを外に出し終えてから、クルマをひっくり返していました。火をつけたりすることはなかったです。ウチナーンチュは白人よりも黒人のほうに好感を持っ

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    zu2 2022/05/03
  • 5セントのファンタが本土復帰後は……50年前の大学生が感じた混乱

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学) 第2回は、沖縄県唯一の信用金庫であるコザ信用金庫の金城馨理事長(69)です。現在は沖縄の財界を代表する立場でありながら、復帰直後の経済混乱に翻弄されたという金城さんのキャリアは生々しく、当時の沖縄の世相を物語っています。 学費は得したが……直撃した物価高 「一浪して、1972年に琉球大学に入りました。4月1日の入学式は、琉球政府立の大学だったけど、5月15日を境に国立大学に変わりました。僕らがラッキーだったのは学費が安かったこと」 金城さんは、沖縄が土復帰した時の思い出をこう回想します。 金城さんが大学1年生のときの学費は半年間で15ドル。復帰後の後期分は1ドル=305円で換算さ

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    zu2 2022/05/03
  • 夜の町には札束がバンバン、それが一転……沖縄の商店街に起きたこと

    1972年5月15日の沖縄土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。(ライター・伏見学) 第1回は、沖縄市センター商店街振興組合で働く仲村明さん(70)。かつて「コザ」という地名だった沖縄市は、米軍基地の門前町として発展した一方で、大きな変化をいくつも経験しました。その町の目抜き通りから栄枯盛衰を見てきた仲村さんの証言は、復帰前後の沖縄を知る上で貴重だと考えます。 クリスマスはドル拾い 那覇バスターミナルから1時間弱。国道330号線沿いにある胡屋のバス停で降りると、コザの中心街に到着します。このエリアには二つの代表的なストリートがあります。 一つは嘉手納基地のゲートから一直線に続く「ゲート通り」。そして、もう一つがかつてセンター通りと呼ばれた「中央パークアベニュー」です。

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    zu2 2022/05/03
  • 水木しげるさんの妖怪大全「アマエビ」誤記の謎 「意図ではなく…」

    筆者の記憶の理由はあるです。1991年出版の「日妖怪大全」(水木しげる、講談社)。神は細部に宿る。緻密さが抜群の水木さんの絵にひかれた水木ファンの筆者が、出版の年に買った一冊です。様々な妖怪の絵と解説が記されています。 そこに記された名前が「アマエビ」でした。 今も棚にあるそのを開いてみると、アマビエの項目は、見出しも文もアマエビ。江戸時代の弘化3(1846)年、肥後国(熊県)の海中に出現した話が、絵とともに掲載されています。目次もアマエビです。

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    zu2 2020/07/06
  • 五味太郎さん「コロナ前は安定してた?」不安定との向き合い方

    新型コロナウイルスで社会も大人も「不安定」が渦巻く今、子どもたちにメッセージを届けたいと思って、絵作家の五味太郎さん(74)にたずねたら、「そもそも、コロナ前は居心地がよかった?」と逆質問されました。400冊以上の絵を出して世界で愛されている五味さんは、子どもを対等に見て、愛を込めて「ガキ」と呼びます。「ガキたち、これはチャンスだぞ」。子どもも大人も一緒に「不安定」との向き合い方を考える、五味さんのメッセージを2回に分けてお届けします。 いきなり逆質問から・・・ ーー今日は、新型コロナで大人がずっと不安定でギスギスしたりオドオドしたりで、子どもも居心地が悪いなか、子どもたちに直接何か届けられないかと思い、うかがいました。 はい、一緒に考えましょう。それで、まず聞くけど、逆にその前は安定してた? コロナ禍じゃなかったときは、居心地がよかった? ーーぎくっ。 そうでしょ。普段から感じてる不

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    zu2 2020/04/06
  • AIでよみがえる…82年前の沖縄の「記憶」 戦前の写真をカラー化

    カラー化した写真とともに沖縄へ 写真は1935年に、大阪朝日新聞の記者が撮影。朝日新聞大阪社に大量のネガが保存されていました。戦前の沖縄の写真の多くは焼失しており、当時の沖縄の生活を知る数少ない資料です。 それらの写真を、人工知能を使った自動色づけの技術などを活用してカラー化しました。カラー化の技術は早稲田大の石川博教授らの研究グループが開発しました。 沖縄タイムスを休職し、首都大学東京の渡邉英徳研究室でメディアについて研究中の私は、今回、カラー化した数点の写真とともに沖縄へ赴き、撮影地と思われる場所や関係者の話を集めました。 おばあさんの手元に見つけた「入れ墨」 沖縄に持っていったのは市場の風景を写した1枚です。 現在の那覇市東町にあった市場「那覇ウフマチ」は、人力車が走り、女性や子供たちでにぎわっていたようです。 着物に身を包み、長い髪を結った女性たち。竹カゴ(バーキ)には商品を並べ

    AIでよみがえる…82年前の沖縄の「記憶」 戦前の写真をカラー化
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    zu2 2018/01/20
    “虫眼鏡で農産物をのぞき込み、解説してくれました。 「手前の左にあるゴツゴツしているものは山芋。茶色で、戦前は、今と違って大きかった。ヤンバルから持ってきていたと思うよ」”
  • こんなに違う!女子高生2400人「スカート丈調査」東京ミニ、大阪は…

    スカート丈を7分類 大阪「もっと下げたい」 札幌、寒くても「ミニ」 女子高生(JK)が「オシャレ」と考えるスカート丈は、地域ごとに違うのではないか――。そんな仮説をもとに、全国各地でスカート丈を調査しました。一番短かったのはどの県? 長かったのは? 全国の女子高生約2400人の調査から見えてきた、オシャレに対する心意気やこだわりとは。(朝日新聞スカート丈取材班) 全国の記者に号令 きっかけは、ある女性記者の〝驚き〟でした。 茨城県で育った湊彬子記者(30)は、「スカートは短い方がオシャレ」が一般的だと思っていたのですが、記者として赴任した大阪では街行くJKたちのスカートが長いことにびっくり。 「オシャレ丈には地域差があるのでは?」と、疑問を持つようになりました。 朝日新聞は、全国各地に記者がいます。せっかくなら、調べてしまいましょう! 調査は全国14都道府県(北海道、秋田、栃木、群馬、東京

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    zu2 2017/07/28
  • 北九州の成人式がヤバイ 「ど派手衣装」レンタル店が語った「本音」

    昨年の北九州市の成人式で=2016年1月10日、北九州市小倉北区三萩野3丁目、金子淳撮影 出典: 朝日新聞 始まりは「金さん・銀さん」 伝説の「虹キング」 「ヤンキーは店に来ない」 ど派手衣装の新成人で、各界に衝撃を与える北九州市の成人式。記者の出身は「ヤンキー県」こと千葉の千葉市ですが、十数年前の成人式とはいえ、あそこまで突き抜けた衣装を着た人は、いませんでした。北九州の新成人は一体どこで、あの衣装を手に入れているんでしょうか。気になったので、調べてみました。(朝日新聞西部報道センター・宮野拓也) あのやんちゃぶりは、日常ではない まず一応断っておきたいのは、あのやんちゃぶりは、北九州の日常では決してないということ。記者は転勤で北九州に住み始めてもうすぐ2年になりますが、あんなに派手な格好をしそうな若者に、ふだんの街中で出会ったことは、一度もありません。

    北九州の成人式がヤバイ 「ど派手衣装」レンタル店が語った「本音」
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    zu2 2017/01/11
    “雅さんによると、レンタル衣装代は10万から40万円で、平均15万円ほど。決して安いとは言えない金額です”
  • 「MERY」記事量産の現場 「90分に1本のノルマ」インターンが証言

    90分に1執筆のノルマ キーワードを最低10個入れる DeNA「転用推奨する文言、確認できず」 女性向け人気サイト「MERY(メリー)」の全記事が、7日から非公開になりました。サイトを所有するDeNAのメディア事業をめぐっては無断転載や内容に誤りのある記事が多数掲載されていた可能性が出ています。では、いったいどんな人が記事を書いていたのでしょうか。「仕事場は雑居ビル」「90分に1がノルマ」。インターン生として「MERY」で記事を書いていたという女子大生に話を聞くことができました。 キラキラ女子大生が記事量産 「就活もあるし、身バレだけは勘弁してください。社員さんにはインターン生が記事を書いていたことは口外しないように言われてましたので」 取材に現れたアキナさん(仮名)は、黒髪サラサラのロングヘアに、長い脚が目立つミニスカート姿。 今時のおしゃれに敏感な女子大生という雰囲気で、見た目はフ

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    zu2 2016/12/09
  • 「津波映像は、もういい」 NHK中の人が感じたツイッターの集合知

    フォロワー200が8万に 「人間味ある呼びかけ、ツイッターならでは」 「ソーシャルが一番情報が早いんです」 「ツイッターのウォッチは、災害報道に欠かせない」。そう話すのは、東日大震災時のNHK生活情報部のアカウント(現在はNHK生活・防災 @nhk_seikatsu)でつぶやき、いまも発信を続ける現NHK報道局ネット報道部の山下和彦チーフ・プロデューサーだ。ツイッター誕生から10年。震災をきっかけに、ソーシャルメディアを使い始めた災害報道は今、どう変わってきているのかを尋ねた。 フォロワー200が8万に ――震災時のツイッター発信は、反響が大きかったようですね。 「生活情報部ツイッターは2011年3月4日に始めたのですが、最初はフォロワーが200人程度でした。震災後は最初の1週間で8万人まで増え、ニーズを感じました」 「当時は、津波が押し寄せてきたような衝撃映像はもう流さなくていいとか、

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    zu2 2016/04/08
    “「デマが自然に淘汰されていった」” そうですか
  • 全国のバスマニアが涙…宇野バスの位置情報システムが超マニアック

    「マニアタイプ」を用意 開発担当者に聞く 開発の裏に徹底したコスト意識 民間の路線バスとしては運賃が日一安い、岡山市の「宇野バス」(宇野自動車)。14日、全国的にも珍しい「バス位置情報システム」の試験運用を始めました。「バスマニア」向けのシステムで、同社の運行管理室のモニターに表示されているものと同じ画面を、ホームページ上で公開しています。開発担当者に狙いを聞きました。 「マニアタイプ」を用意 試験運用が始まった位置情報システム「バスまだ?」は、利用者のニーズに合わせ、「地図タイプ」「一覧タイプ」「マニアタイプ」「時刻表タイプ」(準備中)の4種類の表示モードを用意。中でもツイッター上のコアなバスファンから注目されているのが「マニアタイプ」です。

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    zu2 2016/03/22
  • 性差別は都議会だけじゃない 「終わらせない」

    そもそも、性差別ヤジは鈴木議員一人の問題なのか。都議会では舛添要一知事や他の都議もヤジを聞いて笑っていたと批判を受けている。女性議員への性差別的なヤジは各地の議会でよくある光景だったとの指摘もある。 司会を務めたジャーナリストの津田大介さんはこう述べた。「差別を認識すらしていない人が多い。ジェンダーギャップ指数105位の状況を変えていくきっかけにしたい」 ジェンダーギャップ指数とは、世界経済フォーラムが毎年公表し、男女平等の度合いを示す指数。日は世界で136カ国中105位。先進国の中で驚くべき低さだ。集会では都議会の問題だけではなく、そういった日社会そのもののあり方と今後、どう変えていくべきかが議論された。 集会の前半はパネル討論で、識者たちがそれぞれの見解を述べた。 ジェンダー問題に詳しい斎藤万里子さん(ジェンダーアクションプラットフォーム)は、世界の状況と比較して、女性議員が圧倒的

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    zu2 2014/06/27
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