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三国志に関するzusannnu4のブックマーク (105)

  • 公孫瓚の逸話は三国志演義と正史で異なる!公孫サンのおもしろ逸話

    三国志演義(さんごくしえんぎ)を題材にしたマンガやアニメやでは白い甲冑に身を包み、白馬にまたがる華麗な姿で登場することも多い北方の雄、公孫瓚(こうそんさん)。しかし実際にはかなりクズな性格をしており、自業自得ともいえるみじめな最期を遂げるなど、正史と三国志演義でかなり描かれ方が異なる英傑の代表格です。 今回は、三国屈指のギャップ将軍・公孫瓚にスポットを当て、その残された逸話を紹介していきましょう。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディ

    公孫瓚の逸話は三国志演義と正史で異なる!公孫サンのおもしろ逸話
  • 諸葛孔明は北伐時に兵士達にとある約束をしたけど、どんな約束をしたの? | はじめての三国志

    はじめての変 諸葛孔明は北伐時に兵士達にとある約束をしたけど、どんな約束をしたの? 2017/4/23 はじめての変, 執筆者:黒田廉 はじめての変, 執筆者:黒田廉, 孔明 蜀のチート丞相として知られる諸葛孔明。 彼は劉備亡き後、魏を討伐するために蜀軍を率いて幾度も北伐を敢行しますが、 中々成果を上げることができませんでした。 そんな彼ですが幾度目かの北伐戦の最中兵士達にある約束をします。 兵士たちは孔明が布令してくれた約束に感激し、 魏の大軍がやってきた時にいつも以上の力を出して奮戦したそうです。 今回は孔明が兵士たちに布令した政策についてお話したいと思います。 はじめての三国志:全記事一覧はこちら 関連記事:蜀(国家)が滅亡したら蜀の民や国に尽した人はどうなるの? 祁山へ出陣 孔明は蜀軍8万を率いて漢中を抜けて祁山(きざん)に出陣します。 彼はこの地に防御工事を施して長期間駐屯できる

    諸葛孔明は北伐時に兵士達にとある約束をしたけど、どんな約束をしたの? | はじめての三国志
  • 馬良はどうして馬謖より人気がないのか?白眉の語源となった男の真実

    弟の方が有名なお兄さんの一人、馬良ばりょうお兄さん。筆者の好みの傾向をいきなり晒してしまう次第ではありますが。三国志において、有名どころの弟に比べるとちょっとだけ(ちょっとだけ)地味なお兄さんたちが好きであります。 魏であれば、司馬朗しばろう。呉であれば、諸葛瑾しょかつきん。そして蜀であれば馬良ばりょう。しかしどうにも馬良ばりょうは馬謖ばしょくより目立ち方が少ないのではないか?そう思いまして今回お話させて頂く次第でございますので、お付き合いどうぞよろしくお願いします。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FM

    馬良はどうして馬謖より人気がないのか?白眉の語源となった男の真実
  • 趙雲子龍の強さの秘密!歴史を動かしたその力とは?

    趙雲子龍ちょううんしりゅう、名前も字も並べてみるととてもカッコいい趙雲(ちょううん)。某ゲームでも趙雲(ちょううん)は蜀(しょく)のメインキャラクターと言った立ち位置で、強さもさることながら性格も清廉でほれぼれしちゃいますね。 しかし三国志演義から三国志に入ってきたりすると、正史の趙雲の描写の少なさに驚いてしまうことも……。今回はそんな趙雲の強さとは?に注目して見ました。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム

    趙雲子龍の強さの秘密!歴史を動かしたその力とは?
  • 曹操が天才と呼ばれる理由!魏書武帝記から探る天才の源泉

    曹操そうそうが天才と呼ばれる訳!彼の「天才」はここだ!かの人は「治世ちせいの能臣のうしん、乱世らんせいの奸雄かんゆう」と呼ばれた。そして後の世で人々はこう呼び始める、天才、と。 曹操そうそうは天才だ、三国志さんごくしにおける当代きっての天才だ……ではどんな所が天才なのか? ふとそう思ったことはございませんか。天才天才と軽々しく呼んでいるだけではないか……そんな風に思われないように。ここらで再度、曹操そうそうのどの辺りが天才なのか、それをお話ししたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやF

    曹操が天才と呼ばれる理由!魏書武帝記から探る天才の源泉
  • 諸葛瑾(しょかつきん)ってどんな人?偉大な孔明の兄はどうやって乱世を生き抜いたの?

    諸葛瑾(しょかつきん)のイメージは三国志演義の影響で、天才軍師、諸葛孔明(しょかつこうめい)の兄という形でほぼ固定されていると思います。決して平凡な武将ではない諸葛瑾ですが弟の偉大さに、その人生は霞んでしまいがちですので、はじさんでは、呉の瑾ちゃんの人生にスポットライトを当てたいと思います。 関連記事:【龍と犬とロバ】魏呉蜀で活躍した諸葛一族 関連記事:【元祖妖怪ウォッチ】孫権や諸葛恪、朱桓が目撃した妖怪を徹底分析! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、

    諸葛瑾(しょかつきん)ってどんな人?偉大な孔明の兄はどうやって乱世を生き抜いたの?
  • 馬超は曹操を倒していれば家柄を駆使して皇帝になれたのか?[徹底検証してみた]

    馬超(ばちょう)、カッコいいですよね。カッコいいわりに、物語全体では出番が少ないのが、勿体ないですよね。あまりに勿体ないから、いわゆる「歴史シミュレーションゲーム」としての三国志で、以下のことをした人は、きっと私だけではないはず。 すなわち、馬超を主人公に選んで、そこから中国統一を目指した人が! 馬騰(ばとう)の死後、馬超は西涼(せいりょう )の地方君主として、自前の領土と軍隊を持って登場するわけですから、やりようによっては「馬王朝」を立てるチャンスも、ゼロではなかったはず! 「いや、既に曹操(そうそう)が中央を固めている時代に出てきたから、どうあがいても無理だったでしょ?」と常識的には思うところですが、そこをあえて、一度、マジメに考察させてください! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライ

    馬超は曹操を倒していれば家柄を駆使して皇帝になれたのか?[徹底検証してみた]
  • 蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?

    劉備玄徳の子であり、蜀の二代目の皇帝でもある劉禅(りゅうぜん)は、 暗君であったとされています。 その幼名の阿斗(あと)を取って「扶不起的阿斗」 (救いようのない阿斗)ということわざが残されているほどです。 しかし、当に劉禅はそこまで貶められなければならないほどの暗君だったのでしょうか? 諸葛孔明亡き後、彼の置かれた境遇を見直してみると別の一面が見えてきます。 関連記事:君たちはどう生きるか?アホ劉禅に学ぶ聡明な生き方 関連記事: 蜀滅亡後、安楽公として余生を楽しんだ劉禅の最期と心情 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組ん

    蜀滅亡・劉禅は本当に暗君だったの?
  • 周瑜の死因と三国志の英雄たちの死因を調べたら判明したことを紹介

    三国志の時代には曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)、諸葛孔明(しょかつこうめい)など数えればきりがないほど魅力的で歴史に名を刻んだ人物がいっぱい登場します。 赤壁の戦い(せきへきのたたかい)で曹操軍を撃破した孫呉の名将・周瑜(しゅうゆ)も歴史に名前を刻んだ一人ですが、上記で紹介した魅力ある人物や周瑜の死因はいったいなんのでしょうか。今回は三国志に登場する人物の死因と周瑜の死因を調べてみましたので紹介したいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、

    周瑜の死因と三国志の英雄たちの死因を調べたら判明したことを紹介
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/02/06
    #周瑜 #三国志
  • 蜀の劉禅vs呉の孫晧三国志最低君主対決を制したのは一体どっち?[ネタ三国志]

    劉禅(りゅうぜん)は蜀(しょく)(221年~263年)の最後の皇帝です。後主(こうしゅ)とも呼ばれていますが、劉禅という呼び方が有名なので、この記事では劉禅で通します。 孫晧(そんこう)は呉(ご)(222年~280年)の最後の皇帝です。烏程侯(うていこう)とも呼ばれていますが、孫晧が有名なのでこの記事では孫晧で通します。両者に共通しているのは亡国の君主です。 しかし、亡国の君主にも違いがあります。どのような違いがあるのでしょうか? 今回は亡国の君主の劉禅と孫晧の違いについて解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組ん

    蜀の劉禅vs呉の孫晧三国志最低君主対決を制したのは一体どっち?[ネタ三国志]
  • 張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]

    ゲーム「真・三国無双」で登場する先端がうねうねした武器。それが蛇矛(だぼう )。 特徴的な形から張飛(ちょうひ)の武器というイメージを持つ読者もいるでしょう。 ここでは、蛇矛の使い手と蛇矛の威力について紹介していきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並

    張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]
  • 楽進の魅力は武力じゃなく人望?無名なのに千人の兵力を集めたカリスマ動員力に驚け![真実の三国志]

    特技は人材募集 陽平郡衛国(現在の河南省・清豊)で生まれた楽進は小柄な体格でした。肝が座っており、曹操(そうそう)の「帳下吏」として仕えていました。 ある時、曹操は兵力が足りないと感じ、自ら兵を募集していました。今でいうところの企業説明会です。大事を成すには人が必要だったのは古今東西、変わりません。そこで、楽進を「陽平郡」に向かわせ、同じように兵を集めるよう指示しました。 武勇で名を残したいと思っていた楽進は、ここで一念発起します。兵士を1,000人も連れて帰ってくるのです。河内で落ち合った曹操は楽進を「軍假司馬」に任命し、「陥陣都尉」としました。 命をかけて戦う兵を1,000人も集めたのですから、立派なものです。人材不足と言われる現代の日で1,000人も集められる企業がどこにあるでしょうか。代わりにアーム型ロボットを購入する方が簡単です。 それを西暦190年という時代にやってのけた楽進

    楽進の魅力は武力じゃなく人望?無名なのに千人の兵力を集めたカリスマ動員力に驚け![真実の三国志]
  • 今川氏真が家康に援軍を送れないのは長尾景虎のせいだった【どうする家康】

    NHK大河ドラマ「どうする家康」第3話「三河平定戦」では、織田軍の攻勢に苦しめられる三河松平の軍勢に対し、駿府の氏真が援軍を送らない事態が発生していました。結局、家康は今川と手を切り、織田信長と結ぶ事を選択するのですが、どうして氏真は援軍を送らなかったのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC

    今川氏真が家康に援軍を送れないのは長尾景虎のせいだった【どうする家康】
  • 夏侯惇と夏侯淵、2人の夏侯氏のエピソードを紹介![ネタ三国志]

    夏侯惇(かこうとん)と夏侯淵(かこうえん)は魏(ぎ)(220年~265年)の将軍です。曹操(そうそう)が挙兵した当初から付き従った人物であり、魏の基礎を築き上げました。 今回は正史『三国志』から彼らの逸話について紹介いたします。 ※記事中の歴史上の人物のセリフは、現代の人に分かりやすく翻訳しています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作

    夏侯惇と夏侯淵、2人の夏侯氏のエピソードを紹介![ネタ三国志]
  • 弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介

    三国志において、弓の名手として知られる武将は何人か登場します。代表的なのは呂布(りょふ)や黄忠(こうちゅう)ですが、実は知られざる弓の名手として有名なのが呉の太史慈(たいしじ)です。 今回はそんな太史慈の弓に関するエピソードをご紹介したいと思います。なお、今回の記事の内容は基的に正史三国志に基づいています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテ

    弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/01/26
    “弓の名手・太史慈のエピソードは実話なの?陳寿からも評価された逸話を紹介 ”
  • [卑弥呼の死の真相]殺害か、戦死か、老衰か、自殺か?

    今回も前回に続き、卑弥呼(ヒミコ)の死の謎について迫っていきます。 予告通り、作家・松清張氏の「卑弥呼殺害説」への異論として、 保坂俊三氏の意見を参考にしながら、書いていきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後

    [卑弥呼の死の真相]殺害か、戦死か、老衰か、自殺か?
  • 陳羣激白!組織で生き残りたかったら人事を握れ!司馬一族に殺されなかった[ナンバー2の処世術]

    曹操とその側近たちのほとんどが亡き後、魏の人材といえば、ほとんど司馬懿の独壇場になってきます。 孟達鎮圧も、遼東平定も、孔明との対決も、ぜんぶ司馬懿が一人でやっている。けれども、ここで注意しなければいけないことがあります。 三国時代の最終的な勝者は司馬一族であり、特に「正史」はその晋政権下で編纂されたので、どうやらいちいち司馬一族に気を使っているらしい、ということ。つまり司馬一族が格好いい挿話は、だいたい真偽について「くさい」とみてよい。 司馬懿がハイスペックであったことは事実だろうとしても、彼と同格だったはずの魏の重臣たちがボンクラ揃いに見えるのは、どうも、くさい。 曹丕以降の曹一族がイマイチ扱いなのも、呉質が人格破綻者扱いなのも、曹真一派が奇人変人だらけと描かれているのも、どうも、くさい。 疑い出せばキリがなく、孔明の大活躍すら、「でもこんなに強い孔明と互角だったウチのおじいちゃんって

    陳羣激白!組織で生き残りたかったら人事を握れ!司馬一族に殺されなかった[ナンバー2の処世術]
  • 取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!

    ビジネスや人生の指針にもなると世界中で絶賛される孫子兵法(そんしへいほう)。「孫子」を活用する事でビジネスの勝者になれるみたいな事は結構、多くのビジネスマンに共有されているんじゃないでしょうか? 現在の孫子の兵法は、乱世の奸雄曹操(そうそう)が注釈(ちゅうしゃく)をつけて整理したものなんですが読んでいると、仮に孫子兵法を丸々実践してしまうと 「これ、かなりブラック企業に酷似(こくじ)してね?」なんて思ってしまったので、書いてみます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリ

    取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!
  • 董卓は異民族を味方につけた民族差別とは無縁なピースフルな人物だった[ポイントで押さえる中国史]

    デブで醜くて残忍非道。どこまでが実像なのかはわかりませんが、後世の歴史家たちのおかげでこんなイメージがすっかり定着してしまったのが、董卓。三国志きっての悪役として名高い存在となってしまいました。 ですが一度は中国の実権を握ることに成功した手腕の持ち主です。冷静に彼の事績を見ていくと、その手腕には確かに非凡なものを感じます。 だいいち彼のイメージの悪さは後世の歴史家の印象操作によるところも大きいとか。そこで一度は冷静に、彼の「覇王としての手腕」を、その事跡からできるだけ客観的に見てみたいと思います。 すると古今の中国史の統治者たちと比較して、彼には確かに鋭い特徴があることに気づきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手が

    董卓は異民族を味方につけた民族差別とは無縁なピースフルな人物だった[ポイントで押さえる中国史]
  • 中国最強の天才将軍[韓信]はひろゆきにボロクソ言われるレベルのクソニート&働いたら負け男だった

    監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコ

    中国最強の天才将軍[韓信]はひろゆきにボロクソ言われるレベルのクソニート&働いたら負け男だった