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三国時代と中国に関するzusannnu4のブックマーク (27)

  • 曹操は孫子の兵法書にダメ出しするほどの読書家!努力して天下に王手をかけた[覇王曹操]を見よ

    三国志の英雄、曹操(そうそう)。魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国の中で事実上トップの国力をもっていた魏を一代で興した英傑です。 赤壁(せきへき)の戦いで足止めをわなければ、『三国志』はそのまま曹操が天下を取って終わりになっていたかもしれないという程、中国統一にあと一歩の「王手」まで迫った人物でした。 ところがその後の民間伝承や、それをもとにした『三国志演義』では、曹操は劉備(りゅうび)のキャラクターを引き立てるための「悪役」として描かれるのが一般的になってしまいます。 そうした場での描かれ方は、曹操は優れた英雄だったが、同時に残虐かつ冷酷な恐ろしい独裁者、といったところでしょうか。近年、曹操のこうした描かれ方には修正がなされてきてもいます。 むしろ曹操を主役にして三国時代を描こうとするマンガや小説が登場しているくらいです。曹操を正当に評価しようとするこれらの「新しい」描き方に共通す

    曹操は孫子の兵法書にダメ出しするほどの読書家!努力して天下に王手をかけた[覇王曹操]を見よ
  • 1日13分以上勉強すれば、あなたは出来る日本人になれる!

    総務省が2022年に発表した社会生活基調査(令和3年度調査)によれば、日人の学習時間は1日平均13分でした。そして、社外学習や自己啓発をおこなっている日人の割合は、読書、資格取得、eラーニング、大学院など、ほぼすべての項目でアジア・欧米の18カ国及び地域で最下位なのだそうです。社会人になると、勉強しなくなるのが日人らしいですが、逆に言えば、1日13分以上勉強すれば日人の平均以上に勉強している事にもなり、ライバルに差をつけ転職にも有利になりますよね?今回は「自分の時間」でサックリ実行できる基的な勉強法を4つ紹介します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなど

    1日13分以上勉強すれば、あなたは出来る日本人になれる!
  • キングダムの[秦と次の漢王朝の大きな違いはどこ]にある?ポイントはワンマンか合議制か?

    広大な中国に成立した王朝である秦(しん)と漢(かん)は「秦漢帝国(しんかんていこく)」という具合に一括りにされることが多いです。時代が繋がっているというのが大きな理由の1つとして挙げられますが、漢と秦に共通点が多いことも両国が併称される所以でしょう。 しかし、共通点はたくさんあれど何もかもが同じだったり似ていたりしていたわけはないはずです。今回は秦と漢の違いについて徹底分析していきたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディ

    キングダムの[秦と次の漢王朝の大きな違いはどこ]にある?ポイントはワンマンか合議制か?
    zusannnu4
    zusannnu4 2023/02/09
    #キングダム
  • 馬超は曹操を倒していれば家柄を駆使して皇帝になれたのか?[徹底検証してみた]

    馬超(ばちょう)、カッコいいですよね。カッコいいわりに、物語全体では出番が少ないのが、勿体ないですよね。あまりに勿体ないから、いわゆる「歴史シミュレーションゲーム」としての三国志で、以下のことをした人は、きっと私だけではないはず。 すなわち、馬超を主人公に選んで、そこから中国統一を目指した人が! 馬騰(ばとう)の死後、馬超は西涼(せいりょう )の地方君主として、自前の領土と軍隊を持って登場するわけですから、やりようによっては「馬王朝」を立てるチャンスも、ゼロではなかったはず! 「いや、既に曹操(そうそう)が中央を固めている時代に出てきたから、どうあがいても無理だったでしょ?」と常識的には思うところですが、そこをあえて、一度、マジメに考察させてください! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライ

    馬超は曹操を倒していれば家柄を駆使して皇帝になれたのか?[徹底検証してみた]
  • 蜀の劉禅vs呉の孫晧三国志最低君主対決を制したのは一体どっち?[ネタ三国志]

    劉禅(りゅうぜん)は蜀(しょく)(221年~263年)の最後の皇帝です。後主(こうしゅ)とも呼ばれていますが、劉禅という呼び方が有名なので、この記事では劉禅で通します。 孫晧(そんこう)は呉(ご)(222年~280年)の最後の皇帝です。烏程侯(うていこう)とも呼ばれていますが、孫晧が有名なのでこの記事では孫晧で通します。両者に共通しているのは亡国の君主です。 しかし、亡国の君主にも違いがあります。どのような違いがあるのでしょうか? 今回は亡国の君主の劉禅と孫晧の違いについて解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組ん

    蜀の劉禅vs呉の孫晧三国志最低君主対決を制したのは一体どっち?[ネタ三国志]
  • 張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]

    ゲーム「真・三国無双」で登場する先端がうねうねした武器。それが蛇矛(だぼう )。 特徴的な形から張飛(ちょうひ)の武器というイメージを持つ読者もいるでしょう。 ここでは、蛇矛の使い手と蛇矛の威力について紹介していきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並

    張飛の得物丈八蛇矛は極めて残忍な兵器だった?その用途と[張飛が得意とした理由を解説]
  • 楽進の魅力は武力じゃなく人望?無名なのに千人の兵力を集めたカリスマ動員力に驚け![真実の三国志]

    特技は人材募集 陽平郡衛国(現在の河南省・清豊)で生まれた楽進は小柄な体格でした。肝が座っており、曹操(そうそう)の「帳下吏」として仕えていました。 ある時、曹操は兵力が足りないと感じ、自ら兵を募集していました。今でいうところの企業説明会です。大事を成すには人が必要だったのは古今東西、変わりません。そこで、楽進を「陽平郡」に向かわせ、同じように兵を集めるよう指示しました。 武勇で名を残したいと思っていた楽進は、ここで一念発起します。兵士を1,000人も連れて帰ってくるのです。河内で落ち合った曹操は楽進を「軍假司馬」に任命し、「陥陣都尉」としました。 命をかけて戦う兵を1,000人も集めたのですから、立派なものです。人材不足と言われる現代の日で1,000人も集められる企業がどこにあるでしょうか。代わりにアーム型ロボットを購入する方が簡単です。 それを西暦190年という時代にやってのけた楽進

    楽進の魅力は武力じゃなく人望?無名なのに千人の兵力を集めたカリスマ動員力に驚け![真実の三国志]
  • 世界で一番人間を殺している生物ワースト4

    世界で一番人間を殺している生物は何か?ビル・ゲイツ氏が自身のブログで、ヒトを最も死に至らしめる動物のリスト「World’s Deadliest Animals」を2014年4月に公開しました。この統計は話題になり、2016年にビジネス・インサイダー誌、2019年に英サン紙が多少の数字の更新を加えてリストを再発表しています。今回は、そのデータから世界で一番人を殺している生物、ワースト4を紹介します。 出典:人間にとって危険な動物ランキング、1位による年間犠牲者は75万人 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FM

    世界で一番人間を殺している生物ワースト4
  • 長坂の戦いで劉備が逃げ遅れたのは劉琮が[曹操襲来の情報]を劉備に教えなかったせいだった!

    建安13年(208年)に荊州の長官の劉表(りゅうひょう)が亡くなりました。前年に袁尚(えんしょう)を滅ぼした曹操(そうそう)は急いで南下して征服します。 これに驚いたのは劉表の客将だった劉備。慌てて退却開始です。曹操も負けじと劉備を追って長坂で戦うことになります。さて、今回は正史『三国志』の長坂の戦いについて解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍

    長坂の戦いで劉備が逃げ遅れたのは劉琮が[曹操襲来の情報]を劉備に教えなかったせいだった!
  • 陳平と賈詡の共通点はアドリブ力?ノリと機転で[乱世]を生き抜いた二人はとても真似できない(笑)

    陳平(ちんぺい)と賈詡(かく)って、なんだかタイプが似ていると思いませんか? どちらも天才としか言いようのないほどの計略家でありながら、どこか人間としてはいかがわしさがつきまとうあたり。才能のある人間としては尊敬できるものの、心からのお付き合いはできない相手のように思えます。 「この二人の生き方を真似たい!」という人がいるかどうかはわかりませんが、少なくとも乱世を彩ったキャラクターということでは、彼らには独特の魅力があることは確か。 そこで今回は彼らのキャラクターの共通点を、双方の逸話から読み解いてみたいと思います! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を

    陳平と賈詡の共通点はアドリブ力?ノリと機転で[乱世]を生き抜いた二人はとても真似できない(笑)
  • 「男子、三日会わざれば刮目して見よ」は三国志の呂蒙が語源?

    有名な慣用句に「男子、三日会あわざれば刮目(かつもく)して見よ」というものがあります。実はこの慣用句、三国志で有名な武将「呂蒙(りょもう)」のエピソードが語源だという事をご存知でしょうか。 今でもたまに使われるこの慣用句の意味と、その成り立ちを今回の記事では解説していきます! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄

    「男子、三日会わざれば刮目して見よ」は三国志の呂蒙が語源?
  • 取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!

    ビジネスや人生の指針にもなると世界中で絶賛される孫子兵法(そんしへいほう)。「孫子」を活用する事でビジネスの勝者になれるみたいな事は結構、多くのビジネスマンに共有されているんじゃないでしょうか? 現在の孫子の兵法は、乱世の奸雄曹操(そうそう)が注釈(ちゅうしゃく)をつけて整理したものなんですが読んでいると、仮に孫子兵法を丸々実践してしまうと 「これ、かなりブラック企業に酷似(こくじ)してね?」なんて思ってしまったので、書いてみます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリ

    取り扱い注意!孫子の兵法をそのまま活用したら[超ブラック企業]が出来上がるこれだけの理由!
  • 徳川家康の家臣団は忠臣どころか学級崩壊を起こしていたってホント?[どうする家康予備知識]

    徳川家康を擁する三河武士団は、鉄の団結を誇り忠誠心が強く、主君の家康を黙々と支える忠義の集団のようなイメージで語られます。物語の中でも、家康が独り立ちする事のみを楽しみに、今川氏に虐げられながら貧しい中でもコツコツと資産を積み重ねて、 独り立ちした家康の軍資金に与えるなど涙ぐましい忠誠エピソードが出てきます。しかし、これらの話は、天下人徳川家康というイメージから逆算して造られたものであり、実際の三河武士団は勝手気ままの学級崩壊状態で、何度も家康の足を引っ張り窮地に陥れた人々でした。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでい

    徳川家康の家臣団は忠臣どころか学級崩壊を起こしていたってホント?[どうする家康予備知識]
  • 諸葛恪を殺した孫峻は呉で一番の小心者?殺したはずの諸葛誕に夢の中で殴られて[死ぬ]ってホント?

    孫峻は呉の王族に連なる人物であり、諸葛恪を誅殺して後、独裁体制を敷き従弟の孫綝と併せ西暦253年から259年まで6年間呉で権力を握りました。 しかし、その政治は誅殺した諸葛恪同様、それ以上の独裁政治になり、暗殺計画が続いて健康を損ない、ついには、死んだ諸葛恪に殴られるという不思議な夢を見て以来、衰弱が激しくなり死んでしまうのでした。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務

    諸葛恪を殺した孫峻は呉で一番の小心者?殺したはずの諸葛誕に夢の中で殴られて[死ぬ]ってホント?
  • 司馬懿は洛陽でどんな生活をしていたの?[ネタ三国志]

    司馬懿は魏(220年~265年)の政治家です。三国時代(220年~280年)を統一した西晋(265年~316年)の初代皇帝の司馬炎の祖父に当たります。 この司馬懿は魏の政治家なので当然、住んでいたのは魏の都の洛陽です。今回は正史『三国志』の司馬懿の洛陽での生活について解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑

    司馬懿は洛陽でどんな生活をしていたの?[ネタ三国志]
  • 諸葛孔明が劉禅に提出した出師の表を現代文全文解説!これを読んで[あなたは泣ける?]

    古来より、これを読んで涙を流さないものは忠臣にあらずと言われる名文、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の出師(すいし)の表(ひょう)。でもその原文は当然、漢文で長く読むのが大変です。そこではじさんでは、出師の表を分析して、孔明が言いたかった事のポイントを要約し、知ったかぶりできるようにしました。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作

    諸葛孔明が劉禅に提出した出師の表を現代文全文解説!これを読んで[あなたは泣ける?]
  • 裴松之がいなければ三国志は歴史に埋もれていた?80歳まで生き劉宋で出世した[老歴史家の功績とは?]

    おそらく80パーセントの三国志ファンは知らないと思われる裴松之。彼は偉大な歴史家で『三国志』を多方面から研究した人物です。 彼の偉業がなければ『三国志演義』は産声を上げなかったかもしません。ここでは、裴松之と彼が注釈をつけた裴注三国志にフォーカスしていきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プ

    裴松之がいなければ三国志は歴史に埋もれていた?80歳まで生き劉宋で出世した[老歴史家の功績とは?]
  • 董卓がデブなのは厚い脂肪で致命傷を回避するためだった?三国志のハート様[董卓の武勇を解説]

    とにかく悪くてセコくて気持ち悪くて、読者の憎悪をとことんかき立て、そして期待通り(!)に凄惨な死に方をしてくれるのが、『三国志演義』序盤の悪役、董卓。 しかしこの董卓、よく読むと、かなりの実力を伴ったやり手の独裁者であることに気づくはず。 そもそもこの人がしぶとくがんばってくれたおかげで、劉備も曹操も袁紹も孫堅も反董卓連合軍としていい感じで邂逅し、群雄割拠の時代の幕が開くことになったのです。 そういう意味では、董卓こそが三国志の物語を面白くしてくれたひそかな貢献者なのかもしれません。ところでこの董卓、実は武勇に関してはかなりのものだったらしいのです! 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関す

    董卓がデブなのは厚い脂肪で致命傷を回避するためだった?三国志のハート様[董卓の武勇を解説]
  • 「正史三国志」から見る曹操の性格とは?本当に冷徹な現実主義者?

    言わずと知れた「三国志」屈指の英雄、それが曹操(そうそう)です。しかし、曹操を悪役とする「三国志演義」の影響からか、どうしても曹操の評価は、優れた能力を持つ一方で極悪非道な「ダークヒーロー」的なものになってしまっています。 そこで、今回の記事では、「正史三国志」をもとに、物語的な虚飾を排して、曹操という人物の性格に迫っていきたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの

    「正史三国志」から見る曹操の性格とは?本当に冷徹な現実主義者?
  • 中国史上有数の詩人曹植は、オカルトを信じない合理的で渇いたリアリストだった[真実の三国志]

    覇王曹操の息子にして、魏の文帝曹丕の弟、傑出した詩人としての名声を得ながら悲劇の最後を迎えたのが曹植です。その悲劇的な生涯と詩人というナイーブそうな印象のお陰で優しいロマンチストのように描かれる曹植ですが、 それは大間違いであり、史実の曹植は当に詩人?と思う程にシニカルなリアリストでした。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 お

    中国史上有数の詩人曹植は、オカルトを信じない合理的で渇いたリアリストだった[真実の三国志]