西暦200年に袁紹(えんしょう)と曹操(そうそう)が中原の賭けて争った官渡(かんと)の戦いは、前哨戦である白馬の戦いから見ると約8ヶ月。官渡砦の戦いだけでみれば、わずか2ヶ月ほどで決着が付いています。 しかし、曹操が袁紹の息子たちを破り、烏桓族(うがんぞく)を討伐して河北を平定したのは207年と7年あまりの時間が経過しています。なぜ曹操は河北統一にここまでの時間がかかったのかを見ていきましょう。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディア