すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。激しく首肯し、振り返って恥ずかしい。というのも、わたしの欺瞞がずばり書いてあるから。 それは、本についての評判と、実際に本から汲み上げた経験を混同しがちなところ。情報と経験は違う。にもかかわらず、本そのものを読む経験よりも、本についての情報を手に入れることを優先してないか、と問うてくる。ある本「についての」知識を、いつのまにか「じっさいに読んだ」経験にすりかえてやしないか、と訊いてくる。 自分で読まずに、誰かの評を呑むだけで、わかった気分になってないか。筋だけで「読んだ」ことにしてやしないか。「なにが」書いてあるかだけでなく、「どのように」書いてあるかも含めて、読書の愉しみとなる。漱石の猫の例が秀逸だ。 『吾輩は猫である』を、すじだけで語ってしまったら、作者がじっさいに力をいれたところ、きれいに無視するのだから、ずいぶん貧弱な愉しみしか味わえな