去年の終わりぐらいから温めていた企画なんですが、医療危機のアピールのために医療系ブログが寄り集まって行動する事は出来ないかと考えていました。アイデアとしては言葉の響きは美しいのですが、「どうやって」「何をするか」について考えると途方も無いほど難しく、時々考えてはため息をついていました。 まず「どうやって」だけでも眩暈がします。医療系ブログと言っても、どれだけあるかなんて正確に把握している人はいないでしょう。一口に医療系ブログと言ってもスタンスは様々で、疾患などの医療情報の解説がメインのところもあれば、そういう事も書きますがむしろ趣味的な事柄が多いところもあります。日常の医師の生活を書き綴っているところもあります。医師の目から見た社会評論のところも沢山あります。そんな様々なスタンスのブロガーを結集させるなんて、言葉の上の一人相撲みたいなものです。 「どうやって」だけでも一歩も進まないのですが
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 医療の自由化に欠けているもの 公平配分政策から、傾斜配分政策へ。 資本を公平に分配することを止めて、富を生み出す力が強い人達に集中して分配すると、 社会全体が活性化してみんなが豊かになる。 貧富の差は当然激しくなるけれど、社会全体が豊かになれば、 贅沢で新しい技術はすぐ安価になって、やがて社会全体に行き渡る。 テレビやクーラー。昔はごく限られた人々だけの贅沢品だったこうした製品も、 今では一人暮らしの学生だって持っている。 新自由主義がよりどころにしているのは、こんな考えかた。 医療の自由化も進む。 医師は地方から引き上げて、目先の効く研修医はみんな都会へ。 もうすぐ混合診療が解禁されて、自費にはなるけれど、海外の薬も使えるようになって、
暗い夜道でたまたま女性と通り道が同じになり、中途半端な距離を保ちながら歩くめぐり合わせになってしまったりすることがある。そういうときに、たまーに、駆け足になられたりすることがある。悲しい気持ちになるが、少なくとも腹は立たない。てゆーか、申し訳ない気持ちになる。本当に危害を加えられるような可能性は、少なくとも確率的な問題としては、圧倒的に低い。しかし、こういうときに生じる怖さというのは確率的なものとは無縁のものであって、怖さを感じてしまうこと自体は本人にもどうにもならないところがある。 野宿者に対して「怖い」と感じる感情も、同様のどうにもならないところに発するものは確かにあるのだろう。山田花子のコメントにしても、分からないではない*1。少なくとも、「怖い」に対して、「本当は怖くないよ」を対置しても、それだけでは残されてしまうものがある。そう言われてしまうところはあると思う。 このような意味で
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