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2011年10月22日のブックマーク (5件)

  • 労災認定基準:仕事が原因の精神疾患 基準明確化求める - 毎日jp(毎日新聞)

    長時間労働でうつ病になるなど、仕事が原因で精神疾患になった場合の労災認定基準について、厚生労働省の専門家検討会は21日、発症のきっかけとなる具体的な事例を盛り込み、基準を明確化するよう求める報告書をまとめた。 長時間労働について初めて具体的数字を示し、1カ月の時間外労働が120時間以上なら「強い精神的負担があった」とみるなどの内容。「非正規社員である自分の契約満了が迫った」の項目も判断要素に加える。認定審査を早く進めるのが狙いで、厚労省は報告を基に基準を見直し、年度内にも実施する方針。 報告書は「1カ月に80時間以上の時間外労働をした」などの項目を、労災と認める基準に新設。80時間以上なら精神的負担は中程度、120時間以上になれば強い負担があったとみて、その上で判断するとした。「2週間以上連続勤務をした」も項目に加えた。 さらに、負担が極めて大きい「特別な出来事」として(1)1カ月に160

    AFCP
    AFCP 2011/10/22
    報告書のたたき台はこちら http://bit.ly/oXZ8nR で読める。"基準の明確化で、現在平均で約8・6カ月かかっている精神疾患の審査が約6カ月に短縮" 大きな進歩…なのかな。まあ基準があるのはよいことです。
  • 淑徳大学@小川ゼミ震災に際して88 精神科医にとっての震災4

    4 社会精神医学へのまなざし かつて私が研修医になった頃は、天下国家を論じた精神科紛争が、権力としての学に行き着くのを横目で見る時期でした。 社会から忘れ去られた、あるいはそのように振る舞うように「仕向けられた」ことすら意識出来ず、自責的に消えることを願う、あるいは他罰的に「精神運動性興奮」するのが、「精神分裂病」を生きることでした。 彼らと、地域の中の異界としての精神病院で、細々と治療に従事することをよしとしてきた立場には、声高で高邁な理念も、「社会復帰」という際には紛争と同じレベルの力の主張にしかなく、何処かしら胡散臭くしか映りませんでした。 それでも自分自身が健康な精神科医は、「リベラル」な市民の支持を元に、排除と人権を無視する精神医療政策を憂え、他人事のごまめの歯ぎしりをすればまだ生き延びることが出来ました。 その傍らで、健康な市民の影に脅え、生きていることを済まないと感じ、日々潔

  • 淑徳大学@小川ゼミ震災に際して87 精神科医にとっての震災3

    3 意味という問いかけが再生させる癒し手というあり方 今回も、災害支援という活動に従事することで、自分の診療行為が2者関係の精神医療であった事に気づいた精神科医も多かったと思います。 そこから、公衆、あるいは3者関係を意識した精神保健活動という文化が発展し続けます。 神戸以後の災害体験の中で蓄積された結果が、今回使用されたPsychological first Aid(通称PFA)の使用であったと思います。 マニュアルが、共通プラットフォームとして有用だということが、論を待たずに採用されたのも、単に今時の若者がマニュアル好き世代と言うことでは無いと思います。 社会的な文脈での支援が意識されたが故ではないでしょうか。 情報共有の重要性と守秘性への配慮との兼ね合いも混乱なく進んだように見受けます。 余りテレビを観る方でないので、見落としもあるかと思いますが、私利私欲としか言いようがないマスメデ

  • 淑徳大学@小川ゼミ震災に際して86 精神科医にとっての震災2 

    2 変わる精神医療、変わる精神医学 臨床家の働き方としてみると、神戸の体験は、日頃の学会活動や論文で感じる制約としての「学派」を超えた共働体験として、多様な気づきを日中にもたらしていたのだと、再考しました。 自分がケアの質に誠実であれば、臨床を精神科医同士や多職種間で共に語れるという感覚です。 思えば15年前には、精神医療にはそんな感覚すら乏しかった気がします。精神医療のすそ野も広がりました。 当時も、未治療者への往診を経験したり、お迎えに行ったことのあるフットワークの軽い精神科医はいました。 しかし、収容や治療のようなハードな精神医療より軽いため、日頃は対象としていない領域を扱い、人々の日常生活に一歩踏み込んだ支援を意識したことは重要です。 御用聞きであるアウトリーチに代表される「心のケア」は神戸の当時、ぎくしゃくしてました。 今回は保健師さんの鞄持ちとして精神科医が居ても、偏見から

  • 淑徳大学@小川ゼミ震災に際して85 精神科医にとっての震災1

    10月26-7日の精神神経学会を前に、自分の考えを明確にしておくのが良いと考え、書きかけのものを挙げます。 長いので、章ごとに切ります。 ある程度職能団体へのエールである部分もありますが、その限界も挙げております。 実際の支援者個々人は、組織として参加したにも関わらず、個人のいたみとして支援を引き受ける部分があります。 そこに生まれるのは、意見の相違や失意です。 間違った権力指向や原理主義者にならないために、私自身の心の整理という部分があります。 また、連帯をし、孤立を避けるという声でもあります。 精神科医にとっての震災 この半年を振り返る時、何よりも感じるのは、神戸以後、災害医療については15年の蓄積が確実にあったのだという感覚です。 平時と非常時の区別もついていたとも言えます。 少なくとも、村山政権時と管政権時とで政府や官僚機構には何の蓄積や進展も無かったことと比べると、精神医療の進歩