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政治に関するAdYandWのブックマーク (34)

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年10月時点の調査。

  • 解散総選挙・民主党圧勝!! 政権奪取!!!! がマスコミ既定路線。 - ドクバリブログ

    最近自分が恐怖に感じること。 それはマスコミが「解散総選挙・民主党圧勝」というシナリオをしきりに報じていること。 「とにかく今、内閣総辞職・解散総選挙させ、民主党に勝たせなければ日の未来はない!!!!!!」という論調をしきりに報じていること。 これはかなり怖い、です。 でね、今回思うのは、公選法の曖昧な基準にブロガーが躊躇する必要はないんじゃないかなぁ、と。 だって今のマスコミがやってることって、完全な「洗脳放送」じゃん。 公選法を厳密に適用すれば今のマスコミ報道はすべて完全にアウトですもんね。 泡沫候補や泡沫政党には目もくれず、"悪の自民党""正義の民主党"という扱いで報道してるんですから。 今日、『たかじんのそこまで言って委員会』を見ていて、民主の原口氏の発言に自分は戦慄しました。 自民の桝添氏が「表現の自由」を鑑みながらケースバイケースで考えましょう、ゾーンニングしましょう、人権に

    解散総選挙・民主党圧勝!! 政権奪取!!!! がマスコミ既定路線。 - ドクバリブログ
  • 分断される団塊世代と団塊ジュニア世代 - 非行型愚夫の雑記

    96 :( 'A` ):2007/05/03(木) 19:20:30 (自動リンク防止のためID略) >>1 その問いに答えるのは簡単です。 全共闘世代が、その既得権益を守るために、徹底的に団塊Jr.を犠牲にしたからです。 だから答は「お前らが言うな!この全共闘ブサヨ世代が!」となります。 (管理人より:もちろん>>96は間違っている訳ですが大体のネトウヨの想いを代表した見方 かもしれません。既得権益を守っているのは官僚+自民党なんですが‥更に自民党が 構造改革で社会を2極化してフリータ等を悲惨な状況に追い込んだのですが‥) 階層分析は手段 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでこういうコメントを引用したわけですが、こういう団塊ジュニア世代の労働条件の悪さの原因を団塊世代の所為にする言葉をネットではしばしば見かけます。 そういう言葉が正しいかというと、引用元管理人コメントにもありますが、それは

    分断される団塊世代と団塊ジュニア世代 - 非行型愚夫の雑記
  • 自己責任という言葉 - novtan別館

    自己責任なんていうけれど、その責任はどう取れると言うものなのだろうか。責任と言うのは何か起こったときに取るものであって、物事を判断する際に「自己責任で」というとことはじゃあ一体何を表しているのか。その言葉を発したときに、果たして問題が起きたときの責任を全てその個人に帰することが果たして可能なのであろうか。 大抵の場合、この言葉はネガティブな行動に対して放たれる。それを行ったときに不利益が生じる可能性が少なからずあり、社会としては決しておすすめできないし、できれば止めて欲しいけどもしやるんであればそこで起こったことは全て個人に責任があります、というニュアンスだと思う。ところが、最近いろいろなところで耳にする自己責任というのはもっとレベルの低い判断にまで及んでいる。 つまり、来自己責任とは社会と相容れない無謀な、あるいは英雄的な行為に対して発生するものだろう。どんなに人が自己責任と言っても

    自己責任という言葉 - novtan別館
  • ホワイトカラー・エグゼンプション導入はなぜ失敗したのか? - Munchener Brucke

    もちろん今国会での法案提出が見送られただけで、参院選後に再び導入が議論される可能性があり、導入に失敗したとは言い切れないが、世論が政権に吸い寄せられる光景を長らくみてきた私にには、久々の「世論の反発」を見た気がする。 現時点で、何が失敗であったのか考察したい。 ネオリベラリストの過信 小泉時代末期、特に郵政選挙以降、ネオリベラリストの中に「ネオリベ」が国民に浸透したとの過信が生まれた。だが支持されていたのは小泉の発する「小さい政府」「民でできることは民で」といったキーワードだけでたった。 来的に「弱者に厳しく!」「企業に活力」といった思想まで支持している人は少ない。もっとも後者の剥き出しのネオリベ思想は、小泉人の口から出たことはなく、安倍政権以降になって取り巻きの新古典派の学者連中や財界人から盛んに出るようになった。 経済界が前面に出すぎることへの反発 経団連は奥田会長時代から、積極的

    ホワイトカラー・エグゼンプション導入はなぜ失敗したのか? - Munchener Brucke
  • http://hw001.gate01.com/juju/fnf/fnf_doc/fnf-doc-02.html

  • 視点・論点「まん延する感感俺俺詐欺」 - umeten's blog

    児童、青少年の間で「うつ病」が蔓延 - 米国 AFP BB News - BETA - これはアメリカの話だが、アメリカの話ということは政治経済のアメリカ化に日進月歩でまい進する日のことでもある。 この手の話で重要なのは、「まん延」しているといわれるのはいったい「何のため」なのか、もっと言えば「まん延していることで利益を得るのはいったい誰なのか」ということである。 文中にもあるように、抗うつ剤を服用することで逆に自殺リスクが高まるという副作用もすでに報告されている。 にもかかわらず、「うつ病がまん延」という事態において「必要」とされるものとは、やはり抗う剤に代表される、向精神薬なのである。 「あなたはうつ病です。だからこの薬を飲みましょう。必ず治ります。しっかり飲み続けてください。」という文句と、 「お前のいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。

    視点・論点「まん延する感感俺俺詐欺」 - umeten's blog
  • 自分と違う存在を排除しないでいられるには - kmizusawaの日記

    http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20061209#p1印象に残った部分。デンマークとオランダでは同性愛者の人権に寛容な社会を重視するゆえに、同性愛や自由を認めないイスラム系移民は排斥すべきという「人権派右翼」が台頭。 自由や多様な権利を擁護するために移民排斥を叫ぶという現象が発生。この現象は他人事ではない。左派の人たちの主張を見てるとときどき、他人の人権を認めないやつの人権を認める必要は無いなどというものがあって(そしてそれを前提に右派の人をバカにしたり罵倒したりしている)、私も左派にはいるのだろうが、ひいてしまうことがある。人権て、そんな誰かが認めるとか認めないとかいう性質のものなのだろうか。「ネットウヨク」などとひとくくりにして人間性までバカにしたりする左派の態度がますます右派に流れる人を増やしているという指摘がどこかにあったが、もっともだと思う。自分から見て「正

  • 池田信夫 blog 問題は天下りをなくすことではない

    政府は、天下りの斡旋を禁止する一方、所管する民間企業への再就職を退官後2年間、禁止する現行の規制も暫定的に残す国家公務員法の改正案を自民党に報告し、了承された。ブログ界では「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」バトンなるものが盛り上がっているようだが、こういうポピュリズムは危険である。 私も以前から、天下り斡旋の禁止を提案してきたが、これは現在の再就職規制を廃止することとセットである。斡旋もだめ、再就職もだめでは、官僚が民間で能力を発揮するチャンスが失われる。日経済の最大の問題は、もっとも優秀な人材が霞ヶ関・銀行・ITゼネコンのような衰退産業にロックインされていることだから、重要なのは天下りをなくすことではなく、官僚が自発的に霞ヶ関を脱出するための受け皿をつくることである。 その受け皿の候補はある。これも私が前に提案したことだが、法律職を一定期間以上つとめたキャリ

  • 「愛国心」とか「道徳」とか - kmizusawaの日記

    ■「愛国心」とか「道徳」とか って、それすらけっきょくのとこネタでしかなくて、ホントのところは、自分たちにとって見苦しいやつを排除したり文句言うやつを黙らせることに法的な根拠がほしいだけなんだろうなと思う。 いや当に「道徳」とか子どもの健全生育に心を砕いているなら「やらせ」をもっと恥じるって。「態度」こそが大事なんではなかったか?(改正法案にも「態度」のことは書かれている) 子どもは大人を見て育つとか「まず隗より始めよ」とかって「道徳」好きの人は好きそうなんだけどなー。どうもかの人たちが言う「道徳」というのは自分たちには適用されないようだ。それかそもそも「道徳」の意味が一般的なものと違うか。 「態度」ってのは怖い言葉だ。態度を要求するのは内心の自由と関係ないという人がいるが、まずは型からという考え方もある。お茶とか武道とか、最初はどうしてそうするのかわからなくても、やっているとわかってく

  • おとぎ話:もし教育基本法が「改正」されたら - kmizusawaの日記

    ■おとぎ話:もし教育法が「改正」されたら これって学校教育だけの話だと思ってる人もいるみたいだけど、教育法には「社会教育」も含まれるんだよね。社会教育ってのは具体的にはどこら辺かというと、公民館や市民会館、市民センターなどでの自治体主催もしくは共催、後援に自治体の名前が入っているような行事(講演会、市民講座、スポーツ大会など)、広く取れば公民館や市民センター、市民グラウンドなどの自治体の施設を使って行われる活動全般(そういう活動を自治体は支援してますとみなされる)、それに図書館、美術館、博物館等における資料提供や行事、活動なんかも立派な「社会教育」である。自分は市民センターの講演会なんか行かないし図書館も美術館も興味ないもんね、という人も多いと思うが、たぶんねー、出版とかテレビ放送のコンテンツなんかにもなんだかんだで影響は出てくるような気がするんだよな。今でも「青少年に有害」とやら

  • おとぎ話「美しい国」(てきとーに書いてみました) - kmizusawaの日記

    「美しい国」にはノイズがない。 誰一人間違ったことをしない世界。どこにも「異分子」がいない世界。誰一人「決定」に異議を唱えない世界。すべての人が「健全」で「教養」と「公徳心」を身につけ礼儀正しくルールに従い、分相応の「身の程」を知っている世界。誰も不満を言わない世界。不快なことがない世界。見苦しいものがない世界。とても静かで整然として何の問題も起こっていないし起こりえない平和な世界。とてもしずかなうつくしいくに美しくそして経済も礼儀正しさも思いやりの深さも学力も世界ナンバーワン。世界に対して何一つ恥じることも反省すべきこともない素晴らしい国だ。でもそういうのあからさまに言うのははしたないからナンバーワンは海の向こうの美国に譲ろう。ナンバー2がふさわしい。 美しい国を作るために、醜いもの、ダメなもの、間違ったもの、不健全なものは取り除くか正すかしなければならない。そうできるためのルールを作ら

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • Apes! Not Monkeys! - 『格差社会』

  • これを責任回避だと言う理由 - 今日行く審議会

    いじめ自殺、緊急調査 全小中高対象に…文科省 こういうのを責任回避となぜ言うか。それは、調査を行うということで、自分たちはこの問題について取り組んでいるんだというアピールになり、文科省は何をやっているんだという批判を回避できること。 文科省は「教育委員会がすべてを把握していないか、文科省へ報告していないケースもありうる」と判断。今回の全国調査では、現時点で校内で起きているいじめについて、各教委に徹底した洗い出しを要請する。調査対象を国立や私立の学校にも広げ、全体状況の把握を目指す。 というのは、現場が報告を怠っているというようにすることで、現場にその責任を押しつけることができるからだ。 こういう時にいつも思うのは、文科省にしても教育委員会にしても現場をサポートする方に当は回るべきで、現場で教員や保護者が中心になって様々な取り組みが行えるようにすべきじゃないかということ。現場の教員を文科省

    これを責任回避だと言う理由 - 今日行く審議会
  • あなたも私もみんな危ない「アベ的なもの」への道 - kmizusawaの日記

    ふだん見ているブログでは安倍新首相の評判はおおむねあまりよくない。よくないどころか全否定的な論調のところも多い。経済政策では小泉路線を引き継ぎ、教育法や憲法の「改正」を目指すことを政権の目標として隠しもしない人なのだから、左派やリベラル系の人にとっては彼や彼を中心とする政権を批判するのは当然っちゃ当然だろう。私も「アベはやばい」と思っているひとりだ。参考:彼らの考えてることはこういう感じ↓http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/21313http://www.kyoiku-saisei.jp/cgi-bin/auto/mh_load.php?mode=2しかし報道の伝えるところによると世間的にはアベ新内閣の支持率は低くはないらしい。どの記事だったか忘れたけど、男性より女性の支持が高いって話もあったぞ。(あの数値

  • 9/30 議員の報酬を下げよと叫ぶワルたち - きょうも歩く

    愛知県の半田市議が札幌に出張に行ったのに、11人の市議が所定の会議に出席せず、観光に出かけたことが発端で、政務調査費の廃止を決めた。ところが、この廃止提案をしたのが、当の出張をさぼった市民クラブという会派だというから変な話だ。 全国的に議員の報酬は低ければ低いほどいい、ざまあみろ、みたいな論調がまかり通っている(確かに無駄な仕事ばかりしているし、交通事故の違反もみけしとかろくでもないことばっかりやっている人が多いからそうなっても仕方ないが)が、結果として、それがワイロ的な政治資金に依存した政界の体質になっている。出張をさぼって観光旅行した、半田市議会の市民クラブの議員たちにとっては、政務調査費なんて月数万のはした金がなくたって、口利きや公共事業の斡旋、県議や国会議員から流れてくる運動資金で取り返せるのだろう。そんな知多半島の地方議員の懐事情は久野統一郎さんが議員を辞めた経緯を書いた「政治

    9/30 議員の報酬を下げよと叫ぶワルたち - きょうも歩く
  • 痛みを伴う改革は今や・・・ - 狂童日報

    小泉政権発足当時、「痛みを伴う改革」が叫ばれた。あの田原総一朗も「首相自らが痛みを公言した。これが国民に支持されている。凄い」と褒めちぎっていた。私はどうも腑に落ちない感じを抱きつつ、反対する理屈もとくに見当たらなかったので、それになんとなく支持を与えていたような気がする。 今はそのカラクリがわかっている。一般の国民は「痛み」の宛先を、公共事業で太っている「守旧派」の政治家や、天下りを享受している官僚などのことだろうと考えていた。正確にはそう考えたがっていた。自分たちは大して痛まないだろう、とどこかでタカをくくっていた。そうでなければ、あれだけ「痛みの伴う改革」が支持されたわけがない。いまはもう、さすがに誰もそうは思っていない。「守旧派」の政治家や官僚もそれなりに「痛み」を感じたかもしれないが、一般国民もそれに劣らず「痛み」を感じるようなっている。当は容易に予想できたことを国民は現実に直

    痛みを伴う改革は今や・・・ - 狂童日報
  • サヨクの愛国心 - kmizusawaの日記

    業務命令に従えない人や「非愛国者」を声高に非難する意見も好きじゃないけど、同じくらい、そういった見解を持つ人や右寄りの人の人間性をあからさまに見下すことを言うような意見もあまり好きにはなれない。私も既得権者とか政治家とか腹が立つやつへの罵倒とかよくやるけど、あとから読み返すとかなりみっともないと思う。私自身は自分のことを省みて、まーそれなりに自分の生まれ育った国の風景や文化歴史上の人物なんかに愛着があるなと思うし、政治や社会のあり方に対するきちんとした批判ならともかく、十把ひとからげに日人はバカだとか個性がないとかダメな国だとかいうことをことさらに言う言葉には好感をもてないので、まあとりあえず愛国心(てゆーか国と自分の同一化?)らしきものはあるのだろうと思っている。でもそれは時の政府や行政機関のやることを一から十まで全肯定ということじゃないし、日人はバカだとか日大嫌いとか言う人にも

  • 自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd

    国旗・国歌を拒否した教員に対する処分を違法とした判決を批判する声の多さが、ちょっと意外でした。ここまでとはね。もちろん評価する声も多いので、かなり意見の分かれる問題だってことはよくわかります。それにしても、学校の先生も嫌われてるんだなぁ…。 国旗・国歌と「日」の同一視 「国旗・国歌を拒否するのは日を拒否しているのと同じ」「なぜ自分の国を愛せないのか」から、「自分の国の国旗・国歌を敬うのは当り前」までバリエーションがありますが。象徴をその実体と同一視してしまう、という。あるいはそれは自然なことなのかもしれませんけど、「日が嫌いだから拒否する」という主張ではないはずです。にもかかわらず「いや、当は日が嫌いだからだろう」と決めつけてしまう。 こういう人達が、何かあったときに自由を求める人を「非国民!」と呼ぶんだろうなぁ。 自主と強制の区別がつかない 「スポーツの国際試合などでは、歌うの

    自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd