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中東と日本に関するAmrakのブックマーク (3)

  • 日本にも関係大あり、カショギ氏失踪であらわになったサウジアラビアの「不都合な真実」:朝日新聞GLOBE+

    2016年1月、サウジアラビアの首都リヤドで朝日新聞記者のインタビューに応じたジャマル・カショギ氏=渡辺淳基撮影 おおかたの日人にとって、サウジアラビアといえば世界最大級の産油国で、とんでもないお金持ち、といった印象だろう。 2016年3月にサルマン国王が来日したときも、1000人の随行団が10機の飛行機に乗ってきたとか、80歳を過ぎた高齢の国王のためエスカレーター付きのタラップを運んできたとか、高級ホテル1000室を占領して500台のハイヤーをチャーターしたとか、その富豪ぶりが面白おかしく報じられた。 ところが、実はサウジはそこまで裕福ではなくなっている。1980年に3万6000ドルを超えていた一人当たり実質GDPは、2017年では2万ドル強にまで下がった。 理由は人口の増加だ。80年の930万がいまや3300万と3倍以上になった。その6割以上が34歳以下の若い世代だ。 膨大な石油収入

    日本にも関係大あり、カショギ氏失踪であらわになったサウジアラビアの「不都合な真実」:朝日新聞GLOBE+
    Amrak
    Amrak 2018/10/22
    “今回失踪し、殺害が疑われているジャマル・カショギ記者は、そんなMBSのやり方を性急で強引すぎると批判していた”
  • 『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(2)』

    ●善意のインフラ 日の中東における貢献で、目立たないものもある。それは社会・経済インフラ(基盤)整備である。まさに縁の下の力持ち的な貢献である。たとえば、イランの通信インフラを建設したのは日企業である。これは革命以前の王制の時代であった。また隣国のイラクでも、サダム・フセインの時代に日企業が同国のインフラ整備で活躍した。1970年代、サダム・フセインという政治家が独裁者への道を歩み始めたのと呼応するかのように石油価格が上昇した。急増した石油収入の多くをインフラ整備に投入してサダム・フセインは国民の支持を集めた。道路、病院、発電所、大学、博物館などが建設された。フセインの時代にイラクは一変した。 松清張が1960年代に発表した小説に『砂漠の塩』がある。71年には『愛と死の砂漠』というタイトルでテレビ化されている。許されぬ仲になった日人のカップルがイラクへ旅し、一人が病に倒れるという

    『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(2)』
  • 『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(1)』

    ●中東の地球儀 外国の地球儀で日を見ると面白い。その国の人に、どう日が見えているかがわかるからだ。たとえば上海で買った地球儀では日人が尖閣諸島と呼ぶ島が中国風に釣魚島と記されている。それは予想されることだ。予想外なのは、島が異常に大きなサイズに描かれている点だ。沖縄や台湾並みである。もちろん、これは装飾用の地球儀で地理的な正確さを目的とはしていない。しかし、制作した中国人には、この問題が、これほど大きく見えているのかと考えさせられた。 もう一つ例をあげよう。イラクとイスラエルに挟まれた王国であるヨルダンの土産物店で地球儀を見たことがある。日を見ると、四つの都市が記されている。東京、大阪、広島、長崎である。広島と長崎の悲劇は中東でも知れ渡っており、都市の大きさにかかわりなく地球儀に広島と長崎が描かれているのだろう。原爆の被害という悲劇を乗り越えて日が復興し発展した事実も良く知られて

    『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(1)』
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