パスタ習作#2 飽き性な性格なのに#1を書いた以降も意外とパスタ熱が冷めなかった。当たり前のことだが、基本が分かってくると応用ができる。応用ができると自由度が増す。自由を手に入れると継続ができる。批評家の福尾匠が自身の日記に、小倉知巳のペペロンチーノのレシピはよくで…
【東京】16日にオープンする国立歴史民俗博物館(千葉県)の新常設展示室「現代」で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述について、内部の検討委員会での慎重論や同問題をめぐる裁判が係争中であることなどを理由に、日本軍の命令や関与などを削除して展示することが8日分かった。 沖縄戦は広島、長崎の原爆投下とともに「大量殺戮(さつりく)の時代」をテーマにした展示で、パネル3枚で説明される。同博物館によると、沖縄戦の「集団自決」の説明で、軍関与を明記せずに「集団自決」が強いられた―などと表記している。 当初の説明では、日本軍の指示や命令などが住民の意思決定を左右したなどの記述があったという。内容を検討する展示プロジェクト委員の中で、住民に自決を命じたという記述で名誉を傷つけられたとする旧日本軍の元戦隊長やその遺族が起こした訴訟が最高裁で係争中であることなどを理由に挙げ、変更を求める意見が出た。同博物
平沢氏を通じて伝えられた三木首相のメッセージを記録した米政府文書=米ミシガン州 戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件への対応をめぐり、1976年春、当時の三木武夫首相が外交評論家の平沢和重氏を密使に指名して、キッシンジャー米国務長官と交渉させていたことが、このほど秘密指定が解除された米政府の内部文書でわかった。三木首相は、日本政府・与党の幹部が事件に関与しているかどうか内密で確認を求め、回答次第では自民党を割って総選挙に打って出る可能性を伝えていた。日米関係の裏面史がまた一つ明らかになった。 ロ事件は76年2月4日に米議会で明るみに出たが、ロ社のカネを受け取った政府高官の名前は伏せられていた。日本では真相解明を求める声が高まり、三木首相は同月24日、フォード米大統領に、疑惑に関する全資料の提供を求める親書を送った。 その2日後、米政府・国家安全保障会議のピーター・ロッドマン氏に、若
黒船来航(1853年6月)にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄。蒸気船とかけている) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリーが浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航した直後に詠まれていたことを示す書簡が東京・世田谷の静嘉堂(せいかどう)文庫で見つかった。 この狂歌は、1878年(明治11年)の史料で確認されるのが最初で、後世の作との説も出てきたことから、現在は、多くの教科書が記載を見送っている。新資料の発見で旧来の説が裏付けられた形となった。 発見したのは、専修大学元講師の斎藤純さん(62)。常陸土浦(茨城県)の薬種商で国学者だった色川三中(みなか)(1801〜55年)あての書簡を集めた「色川三中来翰集(らいかんしゅう)」のうち、江戸の書店主、山城屋左兵衛からの書簡にこの狂歌が記されているのを確認した。 書簡は53年6月30日付で、異
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