日銀は2006年7~12月に行われた金融政策決定会合の議事録を公開した。日銀はこの時期にゼロ金利解除を強行したが、これはなぜ止められなかったのか。そして現在の日銀が同様の失敗を繰り返すことはないのだろうか。 筆者は06年9月までは小泉純一郎政権で総務大臣補佐官、それ以降は第1次安倍晋三政権の官邸で内閣参事官を務めた。その間、日銀は06年3月にインフレ基調になったとして量的緩和を解除し、同年7月にはゼロ金利から0・25%へと利上げを行った。 本コラムの読者であればご存じだろうが、筆者はこの日銀の決定に異論を持っていた。というのは、日銀は同年3月の量的緩和解除の際、消費者物価指数が前年同月比で0・5%程度のプラスだったことをインフレ基調になったという根拠としていたが、指数は8月には改定が予定されており、その改定作業では0・5ポイント程度の下押しとなり得ることを知っていたからだ。 消費者物価統計