時の有力経済学者の都留重人と大蔵省エコノミストの下村治の 論争は「成長と格差論争」といわれ、当時大きな話題になったの です。なかでも、『朝日ジャーナル』誌上で展開された論争は有 名であり、当時通産大臣だった池田勇人まで参戦し、都留をはじ めとする当時の著名な経済学者がそれに反論するというかたちで 派手に論争が展開されたのです。 それでは、何が論点だったのでしょうか。 当時下村治は、日本には強い潜在能力があり、それを発揮させ れば、日本経済は2桁台の高度成長を十分に成し遂げることがで きると主張していたのです。 これに対し、都留は理論的支柱になっている下村理論を批判し それを政策に取り入れ、所得倍増を推進しようとする池田勇人も 批判の対象にしたのです。都留は、「そもそも所得という概念が 曖昧である」として、次のように主張しています。 ―――――――――――――――――――――――――――――