Bigbanさんの主張に批判ということではないのでそのあたりが ⇒BigBang: 仔猫殺しに思う----自らの両手を血に染めて得られるものなどない とりあえず主張の原点はこれかな。 平たく言うなら、ある一定の条件がそろえば、それが仔猫であれ、成犬であれ、人であれ、その命をコントロール=消滅させることが我らに許されるのかということ。で、僕はそれはできないと思っている。 もうちょっと伺ってみるかなと こんにちは。批判ではないのですが、殺すために入念に用意される実験用小動物についてはどう考えますか? 投稿者: finalvent (Aug 26, 2006 10:32:53 AM) ほいで、鮫島登場。 こんにちは。批判ではないのですが、「熊殺しウィリー・ウィリアムス」についてはどう考えますか? 投稿者: 鮫島 (Aug 26, 2006 1:45:28 PM) これは鮫島さんの私への揶揄かな?
中国大連の空の下、30女は吠えた! 先日、厄介者が帰国した。「やっといなくなった!」というのが正直な感想だ。中国・大連に留学中の私と同じ学校に通っていた日本人男子学生。年は26歳。彼は自称「やくざまがいの事業を行う会社のぼんぼん」(なんだそれ?)。声は大きく、TPOも考えずに傲慢に振舞う。いったいどんな行動かって? ……数ヶ月前を振り返り、ほんの一部を紹介しよう。 [シーン1]クラスメートを含む学友6人で近くの食堂に行った時のこと。 昼時ということもあって店内は混雑していた。私達の隣の席には先に入店していた3人の中国人女子学生。その日、私達が注文したのは5人が同じメニュー。彼一人違うものを頼んだが、頼んだ料理すべて揃うまで時間はさほど要していない。だが彼は、苛立っていた。隣のテーブルより後に自分の料理が運ばれて来たことに(くだらない!!)。 彼は大声で怒鳴った。 「このメンマどもっ! なん
この国の未来を支える若者の論理は・・・ 昨年、インターネットの申し子とも言うべきひとつの書籍が発行された。 ご存知の方も多いとは思うが「嫌韓流」である。 この本は、第二巻まであわせて、数十万部という売れ行きを記録し、若者を中心とする購入者の考え方に大きな影響を及ぼした。 筆者もインターネットはよく利用するが、この本の発行は信じられないものであった。 実際に買って読んでみたが、的確なソースが見当たらない。 たしかに信憑性のありそうな事象を取り扱ってはいるものの、明らかに韓国のみを一方的に批判する内容であった。 日本が戦時中行なってきた蛮行や残虐な行為がその原因であることに触れずに、だ。 最近インターネット上で一部支持されつつある主張のひとつに、太平洋戦争において日本に罪はない、という主張がある。 これは、日本はアメリカなどの圧力により開戦を余儀なくされたという、日本の侵略責任をすべて放り投げ
⇒保坂展人のどこどこ日記:愛国心は燃焼しだしたら止められない 子どもたちの内面は教育という場でいかようにも変わる。「いつ行っても批判されますから今日が適切だと判断した」と語る総理に、中国・韓国の要求をはねつけてエライと拍手する「大人」が少なからずいる。かれらの多くは教育基本法のもとで育った戦後世代である。十分すぎるほどの「愛国心」ではないか。そこに、プログラム化された愛国心教育を受けた子どもが若者となって加わる。 つまり、子供たちはタブララサ(白紙)だから、保坂展人が考えるところの正しい教育を実施すれば正しい子供になる……そんなことはないんですよ。 そんなことはないんですよが人間のありかたとして理解されないと、その「正しくない子供」を思想矯正しようということになる。これがソフトスターリニズムっていうものです。 社会の変化や理念(たとえば反戦にしても男女平等にしても)などは、大衆の無意識の成
⇒「母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言(宮城晴美)」 ⇒母の遺したもの【立ち読み】 事実はそうではなかった。母は自分の“証言”がもとで、梅澤元部隊長を社会的に葬ってしまったと悩み、戦後三五年経ったある日、梅澤氏に面会して「あなたが命令したのではありません」と〝告白〟しました。しかしそのことが思わぬ結果を招き、母は心身ともに追いつめられることになるのです。 改めて事実を記した手記を出版することで、母は“証言”をくつがえそうとしました。しかしそれだけでは、また別の意味で誤解を生じさせかねません。そこで母は、私にノートを手渡しながら、「これはあくまでも個人の体験なので、歴史的な背景や当時の住民の動きを書き加えてから発表してね」と言い、私も軽く引き受けたのです。でもその時は、そんなに早く母が逝ってしまうとは、夢にも思いませんでした。 母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の
洒落たことを書く意図はないが、時折「無門関」(参照)第十四則南泉斬猫を思う。 南泉和尚、東西の両堂が猫児を争うに因んで、泉、乃ち提起して云く、「大衆、道得ば即ち救わん、道得ずんば即ち斬却せん」。衆対無し。泉、遂に之を斬る。晩に趙州外より帰る。泉、州に挙似す。州乃ち履を脱して頭上に安じて出ず。泉云く「子、若し在らば、即ち猫児を救い得たらん」 古来難関とする所。私はわかったような気がしたことがあるが、今の気持ちとしてはとんとわからんな、いかれてるな南泉、と思うくらい……とまで言い切らないが、これを「異類中行」と呼ぶのであればむかつく。南泉斬猫を喝破し「異類中行」に一喝すべき禅師も日本いなかったじゃねえか。十年前によ。あのときに、いなかった。末法とはかくのごとし。という感じだがこの問題にはどうしようもなく暗いものがある。 禅の世界ではこの公案にいろいろ言う。だが私はなんか変だな、猫かわいそうじゃ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く