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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (9)

  • アニメの物質性 - 仮想算術の世界

    『けいおん!』に近場の風景がぽんぽん出てくることに我慢できなくなって、「聖地巡礼」を敢行してしまいました。実際『けいおん!』の舞台は半分くらい僕の生活圏とかぶっていて、たとえば第1話で律たち3人がだべっていたマクドナルドは、たまにそこで原稿書いたりゲラ直したりする行きつけの店だったりするし、オープニングで階段だけ出てくる京都造形芸術大学はいまの家から自転車で3分くらいのところだったりするし、第2話に出てくる楽器屋(10GIA)は京都三条のJEUGIAがモデルで、高校時代からよくCDを買いに行っていた馴染み深い店でもあるし…というわけで、あんまり冷静に見ることができないんですけど(笑)。まぁ、これまで出てきた(あるいは、これから出てきそうな)風景を類推しながらデジカメでぱしゃぱしゃやってると、なんというか、純粋に楽しいですよね。これは病みつきになりそうです。 そういう個人的な盛り上がりは抜

  • グーグルの「転生」 - 仮想算術の世界

    いろいろ原稿を書いていて、更新が空いてしまいました。 ここ最近もいろいろ思うところがあっては忘れていくという感じなのですが、とりあえずちょっと気になったのは例のグーグル・ストリートビューに対する反応。ネットをつらつら見ていると、あのサービスが何の役に立つのかさっぱりわからないし、プライバシーの問題もあるから止めたほうがいいんじゃないかという議論がけっこうあります。別にその感想自体はわからないでもないですが、ただそれは、社会性や人間の行為というものに対する了見がちょっと狭いと言わざるをえない。それを言うなら、たとえば初期の望遠鏡なんてたんに星空がくっきりと見えるだけなんだから、その意味ではたいして役には立たない。ところが、その発明が空に向けられるのではなく地上に向けられると、今度はそれが顕微鏡になるわけで、そこから生物学なり医学なりが発達することになる。 最初に空を見たくて望遠鏡をつくっ

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    BigHopeClasic 2008/09/19
    感性を阻害するファシスト・福嶋亮太は銃殺されるべきと偉大なる同志領導者様がおっしゃっておられます。
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

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    BigHopeClasic 2008/08/02
    革命を戒めるはずの『ゼロ年代の想像力』を、ナルシズムの排除という観点から「ネオヒューマン」的世界観を提唱する革命的思考と読み解く。
  • MADは「日本文化」 - 仮想算術の世界

    …というわけで、この機会に2週間くらいネット断ち(メール除く)して、腰を据えてでも読もうと思っていた矢先の、ニコニコ動画のMAD削除問題。アニメやドラマ一まるまるアップしている動画ならともかく、MADまで削除するのは明らかにやりすぎですが、これについて著作権の問題等含めてきちんと書くには、いまの僕は用意が足りていません。 ただ、文化批評的な観点から言えることがあります。そもそも、ニコ動のMADはいま相当数の人間が関わる文化圏になっていて、そこに楽しみを求めているひとも大勢いる。まず単純に、その文化圏を権利侵害を盾に萎縮させていいのかという現実的な問題があります。 それから、MADには日文化のひとつの伝統的なスタイルが凝縮されている、という点も見逃せません。たとえば、かつて三島由紀夫は伊勢神宮を例に出しながら、日文化の柱は実体ではなく、実体をつくりかえていく「フォルム」にあると述

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    BigHopeClasic 2008/07/04
    福嶋さんは『普遍的動画作成技術時代の芸術作品』をお書きになるべき。お願いします。
  • 現前性の時代 - 仮想算術の世界

    前回「世代」の話で、世代と生成(ジェネレーション)を結びつけておいた。そこで僕は、だいたいこういうことを書いている。ふつう世代論というと、社会的・経済的・文化的利害の対立を描くために用いられる。ということは裏返せば、このタイプの世代論では、ある世代はつねに別の世代との比較(釣り合い)で存在するということを意味している。経済的闘争の話はわかりやすいが、たとえばもっと世俗的に、世代の性格診断のようなものも、事実上、他世代との比較で成り立っている。こういう枠組みのなかにいる限り、ひとつの世代だけで世代論をやるのは、実はほとんど意味がない。 しかし、僕が前回言ったのは、別の「世代論」、つまり他の世代との社会的釣り合いをすっ飛ばして、いきなりひとつの「世代」として生成するような何かを扱えないかということだった。わかりやすく言うと、この場合の世代はちょうどケータイの機種の「世代」のようなものと近い。

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    BigHopeClasic 2008/06/15
    なんだよなあ。方向性は見えてるのにわからない。
  • Codec的文化防衛論 - 仮想算術の世界

    濱野智史さんの今号のインコミの原稿「「ニコニコ動画」をめぐる冒険」はいろいろと考えさせられます。特に彼がニコ動とは「メディア」ではなくて「ゲーム」なんだと言っていることは重要だと思いました。確かに日の思考は、どんな立場に立っていようと基的に「メディア論的」なんですね。つまり、一方に手の加えられていない素の自然があり、他方でそれを人工的に再構成するメディアがあるという構図です。言い換えれば、自然と文化という二分法をけっこう愚直に守っている。文化というのは、この場合コード=約束事の集合体です。そして、ここ十数年の日で思考するということは、これまでにない新しいコード、新しいパラダイムを提案するということだった。大きな約束事、いわゆる大きな物語が壊れてしまったのであれば、中規模の約束事のクラスター(文化)をつくって、それで社会を維持すればいいというわけです。 しかし、ゲームというのはむしろ

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    BigHopeClasic 2008/06/04
    刺激的な思考実験であり、新たな視点の提供。ただ、面白い自己矛盾も同時に内包するか。
  • 『ナディア』とMAD的なもの - 仮想算術の世界

    黒瀬さんのブログで、アニメのOPの話が語られています。いま気付きましたが、彼と会ったのは今年の3月のことなので、まだほんの2、3ヶ月くらいしか経っていないわけですが、それから随分と物の見方は変わりました。美術評論も気で読むようになったし、この作品は黒瀬さんならこう読むんじゃないか、という類推もよく働くようになった。僕にとっては、すでに得難い友人です。 ただ、黒瀬さんとしゃべっていると、自分の趣味がとても子どもっぽいということはすごく感じます(笑)。やっぱり彼は美術家らしく学生時代からいいイメージをたくさん見てきたひとで、その体験が自然に思考に流れ込んでいる。逆に『To Loveる』だのMUGENだの言ってる俺ってどんだけ厨房やねん……、と時々我ながら情けなくなる瞬間があります。 とはいえ、たぶんそこにも理由があるはずなんですね。黒瀬さんに便乗して語り始めるなら、僕にとってアニメのOP

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    BigHopeClasic 2008/05/22
    MADについてはよくこのようなことが語られて、基本的にはそれは首肯できるのだけれど、それだけではない部分も非常に多いように思う。つまり一見切り貼りであるようで同時にキャラへの依存も高いという。
  • 岡田斗司夫氏の新著について - 仮想算術の世界

    岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』。僕は発売直後に読み、ふつうに納得してそれで終わったのですが、さっきちょっと気になってネットを調べてみたら予想外に否定的――というかむしろ嘲笑的――な反応が多くて驚きました。そんな簡単にバカにしていいんでしょうか。 僕の印象では、ネットの評判は「オタクは死んだというが、それは岡田の思いこみで、いまでもオタクはいるし、これからもオタクは生き続けるだろう」というひとと、「岡田が言うように昔ながらのコアなオタクが死んだとして、だからどうだというのだ」というひとに大きく分かれています。けれども、それはどちらも浅い主張だと思います。 そもそも、なぜ論壇はオタクに惹かれるのか。いろいろな側面はあると思いますが、いちばん単純な理由は戦後の問題です。東浩紀さんがずっと言っているように、オタクというのは戦後日の価値を凝縮し、かつ大きくねじ曲げた文化階層として

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    BigHopeClasic 2008/05/12
    ヌルヲタの極みとしては、肯かざるをえない点も多い。しかしそれでもなお、「だからどうした」と、あえて肯定した上で開き直ることもできるし、これは所詮ブログとしてもやはりつける穴はあるように思う。
  • ロゴスとミュトス/神話とは何か3 - 仮想算術の世界

    4Gamer.netで濱野智史さんのインタビュー記事が公開されてますが、これは抜群に面白かったです。ニコ動を中心にしながら、現在のウェブ上のサービスの性質がとても精密に論じられているわけですが、こういう一筋の通った俯瞰的なパースペクティヴはこれまでそうそうなかったのではないか。まさにこういう記事を読みたかった、という感じです。 来ならば、それぞれのトピックの面白さについて語るべきかもしれませんが、ここではひとつだけ「確かにニコニコ動画は,「Wikipedia」のように何かの役に立つ「知」を生み出すようには見えないし,単に暇つぶしのための娯楽のようにしか見えない。しかし,それにしてはあまりに異様なサービスであることは間違いない。そこから学べるものはもっとあるはずです」というところに、それこそニコ動的にコメントを書き込んでおきたいと思います。というか、僕自身も実はWikipediaとニコ

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