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濱野智史さんの今号のインコミの原稿「「ニコニコ動画」をめぐる冒険」はいろいろと考えさせられます。... 濱野智史さんの今号のインコミの原稿「「ニコニコ動画」をめぐる冒険」はいろいろと考えさせられます。特に彼がニコ動とは「メディア」ではなくて「ゲーム」なんだと言っていることは重要だと思いました。確かに日本の思考は、どんな立場に立っていようと基本的に「メディア論的」なんですね。つまり、一方に手の加えられていない素の自然があり、他方でそれを人工的に再構成するメディアがあるという構図です。言い換えれば、自然と文化という二分法をけっこう愚直に守っている。文化というのは、この場合コード=約束事の集合体です。そして、ここ十数年の日本で思考するということは、これまでにない新しいコード、新しいパラダイムを提案するということだった。大きな約束事、いわゆる大きな物語が壊れてしまったのであれば、中規模の約束事のクラスター(文化)をつくって、それで社会を維持すればいいというわけです。 しかし、ゲームというのはむしろ
2009/07/01 リンク