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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/kenjiito (29)

  • 広重徹 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

  • 「素人」はどの「専門家」を信用すべきか判断できるか(Novice/2-Expert problem). - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    Alvin I. Goldman, "Experts: Which Ones Should You Trust?" pp. 14-38, in Evan Selinger and Robert P. Crease, eds., The Philosophy of ExpertiseNew York: Columbia University Press, 2006. 先日紹介した論文の著者の一人、Evan SelingerがRobert P. Creaseと編集した論文集にThe Philosophy of Expertiseというものがある。これは専門知の問題についての理論的な論文を集めたものである。その最初に収録されているのが上記のGoldmanの論文で、もともと2001年に出版されたもの。この論文は「探索型」論文で、問題の答えを与えるものではないが、概念を整理する上で役立ちそうなので、

    「素人」はどの「専門家」を信用すべきか判断できるか(Novice/2-Expert problem). - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
  • Evan Selinger, Paul Thompson, and Harry Collins, "Catastrophe Ethics and Activist Speech: Reflections on Moral Norms Advocacy, and Technical Judgment," Metaphilosophy 42, 2011: 118-144. - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    この論文はアフリカにおけるGMOを事例に、それに反対する活動家に関する倫理的な議論に関して、哲学的・倫理学的な見地と、第三の波論に基づいた社会学的な見地にもとづく二つの理論的な考え方を提示し、それらの活動家に対する単純な倫理的断罪とは別の観点があることを指摘している。 著者らのいうカタストロフィー倫理とは、大惨事が起る可能性があるのなら、それが起らないように対策を取る責任があるというものである。例として、2008年のニューヨークタイムズのOp Edコラムで、ポール・クルーグマンが地球温暖化問題に関して述べていることを挙げている。地球温暖化が起るかどうかについては科学者の間での議論が決着していない。しかし、大惨事が起る可能性があるならば、それに対して対策を取るべきだ、とクルーグマンは主張しているという。*1 クルーグマンが地球温暖化を扱うのに対して、この論文で問題になっているのはアフリカにお

    Evan Selinger, Paul Thompson, and Harry Collins, "Catastrophe Ethics and Activist Speech: Reflections on Moral Norms Advocacy, and Technical Judgment," Metaphilosophy 42, 2011: 118-144. - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
    Carnot1824
    Carnot1824 2012/04/14
    ”そして、そのなかでこの問題に関する著者らがいうような「専門家の中核的グループ」、主流となる専門家がいったい誰なのかというのは、まったく明らかでないし、当然ながら、それらの専門家が(略)”
  • 東電原発事故と科学技術社会論・科学史、問題の枠組みの試案 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    東日大震災とそれに続いて起こった福島における東電の原発事故は、これまで当然視されていた前提をいくつも覆し、見過ごされていた様々な問題を改めて暴きだした。日にいる大多数の人たちはそれらの問題に関心を持たざるを得ないし、それはおそらく自然であると同時に、必要でさえもあるだろう。科学技術社会論(以下、STSと書く)とよばれる分野の人たちも例外ではない。現在の状況に直面し、何かをしなければという衝動を強く感じているこの分野人たちは少なくはないはずである。だが、それは一方で、機会に乗じて研究のネタを得て、名前を売る行為になってしまうべきでないし、他方で、多大の犠牲を払って得られた経験から教訓を学ぶ機会を逸し、その結果将来同じ過ちを犯すようなことをすべきではない。STSの分野は、その特色の一つである反省性(relfexivity)を生かして、一体どのような問いを問うべきなのかを批判的に検討すべきだ

  • 科学コミュニケーションと個人と組織 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    先週末、東京で開かれた研究会に二つほど出席した。どちらも、とても印象深く、かつ色々と考えさせられるものだった。その二つの研究会で共通したのは、今回の震災で、科学コミュニケーションに対する批判が向けられている、という話だった。あれだけ予算をつぎ込んでおいて、非常時にいったい何をしていたのか、という批判があるらしい。これはこれで気にかかる問題であるが、それとは直接関係なく、これらの研究会に参加して、思ったことを書いてみる。*1それは、組織と個人の関係、あるいは特殊利益と一般利益の関係の問題である。 組織と個人 私が考えている状況とは次のようなものである。日社会における多くの個人は、何らかの組織に所属している。多くの場合、組織に雇用されるという関係にある。それは、高度な教育を受けた知的職業においてもそうで、一方で一部の医師や弁護士のように自営業的な独立性を持つ人たちもいる一方で、大部分の研究者

    Carnot1824
    Carnot1824 2011/05/07
    併せて読む「学問の自由」(寺田寅彦)http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/43535_24583.html
  • 日本は高等教育過剰か?(1) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    は高等教育過剰か?この問い自体が様々な曖昧さを含んでいる。まず第一に、過剰かどうかは、何をもって適正な基準とするかに依存する。従って、日に高等教育が過剰であるとする議論において、何をもって適正なな基準とするかが示されていないのであれば、迷走した議論にしかなりえない。そして、何が適正であるかは、論理的に導きだされるものではなく、主権者の政治的判断によって決定されるべきことであると思う。 第二に、過剰ということ自体にも、様々な意味がありうる。なされている教育の量や質 が過剰なのか、大学生数ないし大学数が過剰なのか、あるいは使われている予算が過剰なのか。 このエントリーは4つほど続けてエントリーを書くシリーズの最初のものである。ここではまず、日は高等教育が過剰であるとする主張にどのようなものがあるのか考えてみる。そして、次のエントリーではそれを批判・検討する。三番目のエントリーで、逆に日

  • Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

  • 大学院部会 人社系ワーキンググループ(第5回) 議事録 http://bit.ly/9CwVeF - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    Carnot1824
    Carnot1824 2010/05/30
    "社会の中で専門知識を持った博士が活躍することを目指すというなら、まず大学の研究者・教員以外の部分でもそれを実現することを目指すべきだと思うのである。"
  • Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

  • 9大学総長・塾長による緊急政策提言 「国家の成長戦略として大学の研究・人材育成基盤の抜本的強化を」 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://www.hokudai.ac.jp/shinchaku.php?did=536 この提言、旧7帝大早慶が何の権限があって、リーダーシップをとるのか、という疑問もあるが*1、ここの提言自体は、ざっと見た限りでは、至極もっともだと思う。とくに若手研究者の育成・支援を最初に置いているのは評価できる。 いろいろ提言が上がっているが、とりあえず「人件費削減方針の撤廃」がかなり重要だと思う。毎年の人件費の一定率の削減は、国立大学の運営にかなり悪影響を与えており、当然、若手の雇用問題にも響いている。大量ポストをつくれ、とまでは言わないが、物品や設備よりも研究者の雇用と育成に充てる自由はせめて大学が持つべきだ。 あと「国・自治体が率先しての博士人材の採用」。企業に博士を雇わせようとする前に、まず国・自治体が範を示すのは当然のことだと思う。 そして、 「大学に対する国民からの直接支援を促進する

  • Ph. D. Studentship - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    科学史関係のメーリングリストで、ときどきイギリスやヨーロッパの大学におけるPh. D. Studentshipの募集の広告を見かける。こういう制度はうらやましいと思う。アメリカではこういう言い方はしないけれど、大学院生の生活をサポートするのは当然なので、事実上、同じ制度があるといってよい。つまり、先進国で、大学院生のサポートが貧弱なのは、かなり日独特の現象である。 Ph. D. Studentshipというのがおおよそ次のようなものだろうと思う。ようするに、大学が給与のついたポジションとして、ある分野、研究テーマの大学院生を受け入れる。つまり、大学院生、というのがポスドクと同様に給与がついた職になっているわけだ。応募者はこれに応募し、選考の結果採用されると、大学院生として入学して、勉強・研究しつつ、給与をもらう。なんらかの義務、teaching assistantやresearch as

    Carnot1824
    Carnot1824 2010/01/23
    "アメリカではこういう言い方はしないけれど、大学院生の生活をサポートするのは当然なので、事実上、同じ制度があるといってよい。つまり、先進国で、大学院生のサポートが貧弱なのは、かなり日本独特の現象である"
  • イギリス19日目 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/12/29
    "無神論者としては、罪のない人間が悲惨な目にあうことを理不尽だと思うなら、それを人間の側で和らげる努力をする以外にないとしか言いようがないし、それでいいと思うのだけれど。 逆に、宗教と結び付けて、(略)"
  • 平成22年度文教・科学技術予算政府案 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    「平成22年度分文教・科学技術予算のポイント」(http://www.mof.go.jp/seifuan22/yosan009.pdf)に基づく。 (政府案全体は次;http://www.mof.go.jp/seifuan22/yosan.htm) (Via『空飛ぶ教授のエコロジー日記』http://d.hatena.ne.jp/yahara/20091227/1261888837;『科学政策ニュースクリップ』http://d.hatena.ne.jp/scicom/20091225/p1) この文書はポイントだけ抜き出したものなので、基的にいいとこどりなのだと思う。だから、それなりにバイアスがかかっている可能性が高い。いまのところは情報源がこれだけなので。 それでも、全体として文教・科学技術振興費は5.2パーセント増。ただし、増額分2756億に対して、高校無償化費用が3933億円なので

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/12/28
    "ただ、気になるのが、運営費交付金。これは全体で0.94パーセント減となっているが、これは今年度も1パーセント削減をやる、ということなのだろうか。"
  • Vannever Bush, "Science the Endless Frontier" http://www.nsf.gov/od/lpa/nsf50/vbush1945.htm - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    これは基礎科学の擁護に関する基的な文献の一つと言っていいだろう。ちょっと読んでみたので軽く紹介する。私自身の関心は次のような点だ。基礎科学の成果はその性格からして、未知のものである以上、それが産業に応用可能か、どうか、ということは基的に知りえないことである。第一に、この時点で、ブッシュはいったいどんな論理を用いて、基礎科学の有用性を主張したのか、ということ。第二に、その上で、彼はどういう論理を用いて、国家による基礎科学支援を正当化したのか、ということである。 ブッシュは、アメリカの電気工学者で、重要な科学技術行政家。科学技術における政治家みたいな役割を果たした人物である。1944年の11月にローズベルト大統領が当時、OSRD(Office of Scientific Research and Development)の長官だったブッシュに、戦争終結をにらんで、戦時中の科学研究の成果の普

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/12/26
    "人材の供給源としての基礎科学"
  • 研究における動機と効果の乖離 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    基礎科学についての議論で、ひとつ話をややこしくしているのがこの点である。これはある意味わかりきったことかもしれないけれど、意外なほど無視されているようにも思われる。 基礎科学研究の動機と理想的な研究環境 第一に、基礎科学に関係するような研究者にとって研究という活動を行う動機は、基的には、その研究が興味深いからである。興味深い、というのは実に主観的な表現だが、実際、主観的だからこそ、強力な動機になるのである。このことがテーマの選定や、研究成果の評価にも関係するし、何よりも研究者を研究に駆り立てて、知的興奮状態において、時間外労働をものともせずに仕事をさせるのは研究のこの側面なのだ。 もちろん、そうでない研究者がいないとはいわない。業績を上げることが単純に目標の研究者もいるだろう。研究がゲームのようなもので、競争相手と勝つことが目的の人もいるらろうし、研究成果にともなう名声や、金銭的な利得が

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/12/19
    「研究の多様性」vs「選択と集中」
  • 役に立たない学問の価値についての覚書 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    このところ基礎科学について、頭を整理するために思いついたことをちょっと書いている。そこでは、基礎科学を擁護するいくつかの議論のタイプについて書いているのだけれど、それはどちらかといえば科学史家の立場から、どの議論にもコミットせずにメタな立場からどのような議論があるかについて整理しようというものだ。それとは別に私自身が個人的にどう考えるか、ということについて、まず書いてみようと思う。これはいわゆる基礎「科学」だけではなく、実用的ではない学問一般についてのことで、人文系の分野のことも念頭にいれている。 これは何かのときにちょっと思いついたこばく然としたことがあったのだが、それが何であるのかが自分でもうまくつかめないでいる。微妙な考え、というだけに、極めて情緒的、感覚的なものであって、それが基礎科学の擁護として説得力を持つことはあまり期待していないし、とくにがんばって自然科学のほうの基礎科学を擁

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/12/15
    未知の世界を探索するなら、特定の方向に多くの人が赴くのは効率が悪いのではないか。巨大科学との整合性は如何に。
  • 大阪府立大学の改革についてのメモ - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    いくつかマスメディアで報道されている。たとえば、 「橋下知事「日一の理系大学に」 大阪府立大が改革案提示」(読売新聞) http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20091204-OYO8T00664.htm これに対して、卒業生が再考を求めている: 「大阪府立大再編案 卒業生が再考求め要望書提」(MBSニュース) http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE091211113100303687.shtml 大阪府立大学が、いかに改革したところで「日一の理系大学」になることができると当に思っているわけではまさかないだろう。もし気だとしたら、東大、京大、東工大も舐められたものである。そもそも大阪には阪大という立派な「理系」大学があると思うのだけれど。もし気でないとしたら、心にも思っていないことを目標にして

  • ロボット展、アルスの会の研究会、NSF東京支部のレポート、科学技術総合会議の有識者議員会合議事録 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    今日も東京出張。 まず午前は10時から東京ビッグサイトの国際ロボット展へ行く。あまり時間がないので、詳しく見れず。 つづいて、東大郷キャンパスへ移動して、午後1時から、アルスの会の主催する研究会に出席する。 http://www.viva-ars.com/ まさに、上にあるような、学術会議の民間版を作る、ということが目標らしい。 研究者の自治的な組織が必要だというのはまったくその通りだと思うのだが、多分、困難だろう。 一つの問題は、現状で、分野間の対立を超えて合意形成を行うことが果たしてできるだろうか、ということである。たとえば、ポスドク問題に限っても、「ただし生命系に限る」とか「文系は分かっていたことだから自己責任」だとかいった論調の人もいる。色々なところで分野間の考え方の違いや、利害の違いが大きい上に、自分の分野の利益を最優先する傾向は根強い。パイが小さくなっているのではないかと思わ

  • 「【事業仕分け】刷新会議事務局長が野依氏を「非科学的」と批判」(産経ニュース) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091126/plc0911262253029-n1.htm 野依良治氏が事業仕分けを「見識を欠く」と言ったことに対し、行政刷新会議の加藤秀樹事務局長が次のように言ったそうだ 仕分け人は)誰ひとりとして科学技術を否定していない。そういうことを見も聞きも知りもせず、『非見識』というのは非科学的だ これは色々な意味で興味深い。非科学者が科学者(それもノーベル賞受賞者)に対して、非科学的だというのはちょっと面白いことである。そこで、ちょと条件反射的に感想を書いてみる。もう少し調べてから書きたいこともあるのだが、今は時間がないので。 私は事業仕分けには基的に賛成なのだが、科学技術関係事業への適用の仕方に大きな問題があると考えており、その意味で野依氏の「見識を欠く」というのはそれほど外れていないと思っている。その意味

  • 事業仕分けとProblem of Extension - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    このところ、時事的な問題に関しても、研究に関しても、大学関係の仕事にしても、あまりにも色々なことがあって、圧倒されている。アーカイブズ調査に出張している間は、アーカイブズが開いている以外の時間はのんびりできるかと思ったら大間違いで、大学関係の仕事の宿題もいくつかあるし、何よりも、「事業仕分け」という大事件が起こっているときに、それに無関心ではいられないのである。 前のエントリーにちょっと書いたけれど、これは専門性の問題に関係している。そして、現在STS(科学技術社会論)のかなりホットな問題の一事例になっているのだ。まだまだ日では理論的な問題だとおもって、ゆったり構えていたところが、突然、現実の、かなり大きな問題として降ってきて、少しあわてている、というのが正直なところである。 Studies of Expertise and ExperienceとThird Wave これはつまりこうい

    Carnot1824
    Carnot1824 2009/11/18
    "理想的な世界においては、(略)自然科学の社会に果たす意義、日本で基礎的な研究を行うことの意味、自然科学の文化的な価値についての理解を得ていて、国の行う他の事業と比較しての優先順位について妥当な考えを"