こんにちは、ほぼ日刊イトイ新聞の奥野です。 2010年12月ですから、もう1年4ヶ月くらい前、 まだ東北の震災が起こる以前のこと。 ある若い読者から、「ほぼ日」に宛てて 1通のメールが届きました。 京都大学に通う、志谷啓太さん。 当時、3回生(3年生)で、年齢は22歳。 真冬の深夜に届いた、 読むのにちょっぴり長めのメールは 以下のように、はじまります。 はじめまして。 現在、大学3回生で、就職活動中の者です。 突然ですが 「糸井さんが、就職活動中の僕を面接する」 というコンテンツを やっていただけませんでしょうか。 といっても 糸井さんの事務所に入るためではなくて、 面接という堅い形式は残したまま、 これから社会に出て行こうとする学生の話を 糸井さんに、聞いてもらいたいのです。 糸井重里に、面接してほしい‥‥という内容。 しかも「糸井事務所に入るため」ではなく、 「話を聞いてほしい」との
卓球の人って、どうしてこう 薦めるんだろうね! バレーボールの人が 「やりませんか」って、 ボール持ってきた話は聞いたことないもんね。 (気にしないで歩く) 卓球台のメカニズムを説明します。 ピエゾというデバイスを使った センサーが8個あって、 ボールが落ちると、 落ちた音をセンサーが聞きます。 すると、それぞれのセンサーが 音を拾った時間というのは、 微妙にずれてるんですね。 その音の波の伝わりのずれから 三角測量しています。 ではサーブしてください。
こういったデバイスがあれば、 従来とは違った コミュニケーションが可能になります。 ここにありますのは、 オーディオパッドというシステムです。 コンピューターミュージックを 演奏するためのものなんですが、 マイクロフォンを表現するオブジェクトを それぞれの音源に近づけることによって、 音量や音質を変えたりする しくみになっています。 コンピューターミュージックで 悩ましいことは、 「何が起こっているのかが わからない」 ということなんですよ。 例えば、そろばんだったら 何も隠れてないんで、 演算してるプロセスが すべてわかりますね? しかしコンピューターは、 中はブラックボックスですから、 どういうふうに 計算してるかまったくわかんない。 マイクロスコープがあっても、 ふつうは理解できないです。 ですから、コンピューターの ブラックボックス化じゃなく、 コンピューターの中で起きている処理を
大分には何度も行ってますが、 あるとき この店にふらりと入ったら 「あ、これは大分そのものだな」と思い、 それを女将さんに言ったら 「あんた、よう知っとるね」とか言われて うれしくなり、 それから、よく来るようになったんです。
まことに、恐れ入ります! さっそくですが、アラマタ先生といえば 「延々と本を読み続ける博覧強記」 というイメージで 一般に知れ渡っておりますが‥‥。
いえ、読み手のハードルを下げておかないと ほんとうのよさが伝わるまえに あきれられるかもしれないので。
にもかかわらず、 あれから10年くらい経ちますけど、 池谷さんはずーっと研究者の立場のままでいる。 これは、絶対、なにか池谷さんに 変化があったんだろうなって思って、 ぼくは妙にうれしかったんです。 現役の研究者として長くはいられないと思う、 って言ってた人が続けてるわけだから、 なにかが変わったんだろうと。
No, but I want to make sure we catch him as he comes out of the elevator.
走るのと自転車。 あと有酸素運動だけだと 脂肪といっしょに筋肉も落ちちゃうから 1年くらい筋トレもいっしょにやってます。 そのまえまで「やっちまった」っていう 太りかたをしていたんですよ。
それから、吉本隆明さんが ずっとおっしゃってる 「人間の体は何も変わってないんだ」 ということ。 目の位置も同じだし、 声帯の使い方も同じだし、 ということは心が変わっていない。 さらにおまけ的に言えば 人類の中の偉人を指折り数えていったら、 だいたいギリシア時代までの人で 80人ぐらいは済んじゃう。 そんな話を聴いていたら、 ぼくは、勇気が出たんですよ。 人類50万年の歴史がどうだとか、 おさるっぽかった人たちが いつ頃から、どういうふうに、 何を感じて、っていうのを、 ちょっと辿るだけで、 いまの人たちと昔の人たちってそんなに 変わんないんだ、って。 で、変わってると言う人たちが、 自分の商いをしてるだけで、 ほんとうは、ものすごく普遍的なことだったり、 あるいは、言葉の少ない人たちが持ってる 良さみたいなものに価値があるのに──と、 そういうことをずうっと思ってるときに、 ルディーさ
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 人の話を聞くということ。 2010-06-21 いつのまにか、ぼくは、 人の話を聞くことが、仕事のようになっていた。 「インタビュアー」と名乗ったこともないし、 「聴き手」だとか「対談者」という仕事でもない。 「取材者」というわけでもない。 でも、人の話を聞くことは、 いまではもう、ぼくの生き方のようにさえなっている。 特に、「ほぼ日」をスタートさせてからは、 人と会うこと、人の話を聞くことは多くなった。 話を聞くということの合間には、 流れのなかで、じぶんも話すこともある。 ときには、じぶんのしゃべる分量のほうが、 多くなることもある。 それでも、ぼくの意識としては、 対談というのは「聞く」時間なのである。 これだけたくさん人の話を聞いてい
ほぼ日、12周年おめでとうございます。 ひとりの読者として これからほぼ日がどこに向かうのか ますます楽しみです。 それから、つい最近、 私もツイッターを始めてみました。 ここでは、もうひとつの「ぼくは見ておこう」 という気持ちで、 心に残った言葉などを発信できればと 思っております。 暇な時があったらのぞいてみてください。 さあ、きょうはひとりの裁判長の物語です。 ぼくも長くインタビューをする仕事をしてきましたが これほど刺激的なインタビューは あまり記憶にありません。 お時間があったらおつきあいください。 4回に分けてお伝えしようと思います。 ことの始まりは、新しい番組スタート3日目だった。 ゲスト出演した元東京地方裁判所・裁判長の 山室恵(やまむろめぐみ)さんに、 スタジオでお話をうかがっていた。 死刑判決が出たある裁判のニュースで、 解説を求めていたのだ。 と言っても決して長くない
みなさんにとって去年という1年間は、 どんな年だっただろうか。 きょうはごく個人的な思いを綴ることを許してほしい。 私にとって、 いやわが大学時代の友人たちにとって、 2009年はかなり特別な意味を持つ年になった。 3人の仲間が、映画監督として 作品を世に送り出したのだ。 それぞれ違ったやり方で夢を実現した。 ひとりはテレビドラマのディレクターから、 ひとりはCMのディレクターを経て、 もうひとりは自らの小説を映画化するという方法で。 誰ひとり簡単にそれを手に入れたわけではない。 3人とも長き時間をかけて、 その場所までたどり着いた。 もう25年以上前のことになる。 私たちは早稲田大学の 小さな映画のサークルに所属していた。 当時わが大学には『シネ研』と呼ばれる、 名だたる映画のサークルがあった。 すでにスター監督だった 山川直人氏らが率いるこの集団は 次々と話題作を発表、 黒沢清監督を輩
途中で有吉さんが ひとりでお話しされる場面がありましたが、 あれって、事前に どのくらい打ち合わせしたんですか?
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 とばっちりの法則。 2009-09-21 マンションのエレベーターは、 どこかの家の引っ越しや、 部屋の改装やら修繕があるたびに、 養生のためのシートが貼られる。 古い建物だとはいうものの、 運搬中の大きな荷物がぶつかったりして、 エレベーターの壁面を傷つけてはいけない という配慮だ。 これは、かなりよくあることだった。 しかし、今回はちょっといつもとちがっていた。 たいしたことじゃないんだけどね。 エレベーターのなかにある「かがみ」の部分にも、 もちろん養生用のシートがかかっているのだけれど、 そこに手書きで、こう記されていたのだった。 「鏡あり (注)ぶつけるな!!」 意味はよくわかる。 この場所には鏡があるから注意しろよ、と。 ぶつける
暇になるのが怖くてしょうがないんだ。 オレは、バードウォッチングに行くのは、 まだちょっと無理なんだ。 「ほぼ日」をやっている糸井さんって、 歳とったと思えないから、正直言って オレはちょっとつらいんですよ。 オレだって、 「あーあ」とか、家で言ってみたい。 「もうオレもなぁ」なんて言ってると、 糸井さんはいろんなとこに出てるし、やってるし、 もう何にも言えなくなっちゃう。 だらけられないですよ。
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