指導歴は半世紀を超え、51年目に入りました。国見時代は五輪に、96年アトランタ大会の路木龍次を皮切りに、シドニーに三浦淳宏と都築龍太、アテネに大久保嘉人、北京に平山相太、ロンドンに山村和也、そして徳永悠平をアテネとロンドンに送り込みました。 5大会連続のべ8人。特別なことを教えたわけではないんです。それよりも底辺の拡大に貢献できたならうれしい。直接ではなくても、島原商時代の教え子だった山田耕介が前橋育英の監督になってアトランタとシドニーの松田直樹、北京の青山直晃を育てたり、小林伸二がJ2だった山形から豊田陽平を北京に輩出したり。徳永も、教え子が小学校の時に見つけました。全国高校選手権で6度優勝しましたが、日本一になれたのも小中学校の指導者が預けてくれたおかげです。 前回64年の東京五輪では「東洋の魔女」女子バレーボール日本代表が金メダルを獲得しました。翌65年に男子の監督に就任し、72年の