日本の固体燃料ロケットの歴史は昭和30年、東大の糸川英夫博士が主導した「ペンシルロケット」の発射実験にさかのぼる。45年にはラムダロケットが人工衛星「おおすみ」を打ち上げ、日本は世界4番目の衛星打ち上げ国に。平成15年にはミュー(M)5ロケットが小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げるなど、大きな足跡を残してきた。 固体燃料ロケットは液体燃料を使う主力機H2Aなどと比べて構造が単純で、低費用で製造できる。短期間で開発可能なため、新技術を導入しやすいのも利点だ。費用が割高だったM5は18年に廃止され、固体燃料ロケットの歩みはいったん途絶えたが、イプシロンの登場で伝統を守った。 イプシロンの登場で日本の固体燃料ロケットは新時代を迎える。これまでは大型化で打ち上げ能力を高める「重厚長大」路線だったが、イプシロンは効率重視へと大きく転換。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の森田泰弘プロジェクトマネージャ