レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベースです。詳しくは「事業について」の各ページをご覧ください。
歌田明弘の『地球村の事件簿』 週刊アスキー連載「仮想報道」などの原稿のアーカイヴやリンクが中心です(詳しくは「プロフィール」参照)。編集部との話し合いで、週刊アスキーの原稿は発売後、次の金曜日以降に公開することになっています。つまり、実際に書いたのは公開日の2週間ほど前です。 ●儲かることはわかっているけれど‥‥ グーグルは、昨年、グーグル・プリントと名づけた新しい検索サービスを開始した。 これは本の横断全文検索で、検索ウィンドウに言葉を入れてサーチすると、 その言葉が使われている本を見つけてくれる。選び出された本のリストからクリックすると、該当個所が黄色くマーキングされて本のページが表示される。タイ トルや著者名、表紙、目次、索引なども見ることができ、該当個所の前後2ページが読める。つまり、ウェブ上で本の「立ち読み」ができる。オンライン書店の リンクが並んでいるので、それをクリックすれば
id:rna:20051218:p1を読んで不安を覚える。え〜、私も12月はじめぐらいから右まぶたが時々痙攣するんですが。仕事が忙しいので目を酷使しすぎかなと思っていました。数週間経っても治らなければ病院に行ったほうがいいらしい。自分用にメモ。 しかし「数週間」って人によって感覚が違う単位ですよね。私だったら3〜4ぐらいかな、と思うけれど7〜8だという人も世の中にいるでしょう。医学的な目安に「数分」だの「数週間」だの曖昧な単位があると不安が余計に煽られます。 昨日のあるある大辞典がすごかった。年末年始なのに婦人科検診の予約が殺到しそう。 id:kmizusawa:20051218:p3で読んだ実話。アメリカの大学生が授業の課題レポートのために毛沢東の本を図書館にリクエストしたら、FBI捜査官が来ちゃったニュースです。オリジナルの記事を読むと、この学生は教授に「原本をあたってごらん」とのアド
分類→キーワード→分類 2005-12-18-2 [Folksonomy] mojixさんは、タグ(Folksonomy)がカテゴリに勝利したとの意見ですが、 私は今のタグはフラットなカテゴリであって、最終的にはタグは構造化 されたカテゴリ(Taxonomy)に変化していくんじゃないかなと思います。 Zopeジャンキー日記 :なぜネットではディレクトリが敗れ、サーチとタグ が勝利するのか <http://mojix.org/2005/12/18/102729> ディレクトリ・カテゴリ階層から、サーチやタグへという移行を ひとことでいえば、 「分類からキーワードへ」 といったところだろうか。 ディレクトリ・カテゴリ階層が「分類」の技術で、 サーチやタグが「キーワード」の技術だ。 これは単に、時代や流行の変化ではなく、 科学的な真理を含んだ帰結だと思う。 タグ(F
「なまえとタイトル」の最後のほう、「対象が多すぎると、タイトル的な名前は機能しない」という項で、私は次のように書いた。 <「ファイル名はなくてもいいかもしれない」という話が出てくるのも、まさにこの状況だ。ファイルが多すぎて、どこにあるかわからなくなるような状況では、ファイル名の「説明」機能がそもそも果たせない。 そしてこれこそが、インターネットにおいてサーチやタグが浮上してきた理由なのだ。 これは重要なトピックなので、あらためて別エントリで書きたい>。 このエントリは、この話の続きだ。 ■インターネットという、「対象が多すぎる」世界 「対象が多すぎる」とは、この場合、「全部のタイトルをざっと眺める」ことすらできないくらい、対象が多い状況を指す。 インターネットが、この「対象が多すぎる」世界であることに疑問の余地はないだろう。 仮に、ネット上にある全ページのタイトルがどこかに列挙されていると
http://cruel.org/other/rumors.htmlより。 ぼくも、読み始めは同じく「おおすげえ!」と喜んでいたけれど、でも最終的な評価はそれじゃ足りないのだ。「マオ」はいろんな資料をあたってよく調べてあるのは事実だが、問題はそれをもとに何を言っているか、ではないか。それをきちんと広い視点からフェアに評価できるのが、エスタブリッシュメントとしての正統文化であるはずなのに、それをやってくれそうな人もメディアもまったく思いつかない。なんでおれみたいな腰掛けサブカルの端っこの人間が、正統エスタブリッシュメント文化の仕事をかわってやらにゃいかんのだとは思うが、これからぼくが CUT とかで書く書評以上のものがどっかに出てきたら驚く。 僕の立場からはさすがに「そうそうその通り」ともいえないのだが、山形さんの苛立ちには確かに共感できる点もある。例えば英語圏では、必ずしも専門学術誌ではな
さよなら絶望先生(2) (講談社コミックス) 作者: 久米田康治出版社/メーカー: 講談社発売日: 2005/12/16メディア: コミック購入: 4人 クリック: 37回この商品を含むブログ (421件) を見る詳しい感想はまたあとで。 ともあれこれは久米田康治の意外なまでにオーセンティックなブンガク趣味が(おもにタイトルで)炸裂した作品として、劃期的ではあろう。まあ、高校の現代国語の授業を真面目に聞いていれば、同定できそうな元ネタが多いのだが。 ちなみに前も紹介したことがあるかもしれないが、久米田康治がいわゆる「マジオタ」ではなく、サブカルチャー全般に関心のある青年であったことは、下の本に収録されたインタビューからも知ることができる。かってに改蔵かってに研究しやがれBOOK―公式ファンブック 作者: 少年サンデーかってに製作委員会出版社/メーカー: 小学館発売日: 2003/12/16
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_a86b.htmlアメリカの大学で政治学の授業のためにタームペーパーを書いている学生が『毛沢東語録』(The Little Red Book)を大学の図書館で借りようと思ったら、その大学には置いていなかったので、他大学から取り寄せることになった。数日後、本を持って彼の家を訪ねてきたのは国土安全保障省の捜査官であった。これって(実話か否かに関わらず)図書館業界的にはとんでもない話なんだけど、こういうひどいことをしている図書館があるなんて信じられないといった「他人事」ではすまされないような気がする。(例の船橋の図書館の話がなかったとしても)最近では本を読まない図書館司書とか「図書館ってお給料いいかと思って司書の資格をとってみたけどアルバイトしかなくてがっかり」みたいな笑えない話もあるのだが(あ
アメリカの大学で政治学の授業のためにタームペーパーを書いている学生が『毛沢東語録』(The Little Red Book)を大学の図書館で借りようと思ったら、その大学には置いていなかったので、他大学から取り寄せることになった。数日後、本を持って彼の家を訪ねてきたのは国土安全保障省の捜査官であった。 という、映画にありそうな話が、本当に起こったようです。大学はマサチューセッツ大学ダートマス校。地元紙 Standard-Times が17日付けで伝えています。捜査官は『毛沢東語録』が要注意リストに掲載されていると学生に語ったとのこと。 図書館の守秘義務とか学問の自由って、現代の市民社会(ないし、工業化の進んだ経済の上になりたつ民主社会)の礎にあるものだと思います。それらをことごとく破壊しようとするブッシュ政権(に限らず日本の自民党政権もそうだと思いますが)って、いったい何を考えているんでしょ
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