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2010年8月12日のブックマーク (11件)

  • 戦う男の子の物語には、倒すべき相手がいる場合が多い。

    戦う男の子の物語には、倒すべき相手がいる場合が多い。倒すというと威勢がいいが、身も蓋もない言い方をすると殺しだ。強敵を倒して成長する、と書くと綺麗だが、人を殺して成長すると書くと、大変物騒だ。だが、無論殺人そのものに、そういった力があるわけではない。 殺しには動機がいる。「暴力は、正統な理由がなければ退屈である。」と、ヒッチコックもいっている。ただ、登場人物の動機を「アイデア1000ノック」のようなもので作ったとしても、観客がそれを納得するかは別である。納得しないモノを出しても駄目なのだ。 船戸与一によると、冒険小説における納得できる殺人の動機は、大別して三つだという。「生体の保存」「任務遂行の目的あるいは手段」「復讐」。「生体の保存」は、殺らなきゃ殺られる、というやつ。「任務遂行の~」は、プロの殺し屋や軍人などに多い。 ロボットアニメを頭に浮かべる。 受け売りだが、ロボットの設定を凝り

    戦う男の子の物語には、倒すべき相手がいる場合が多い。
  • 映画「レオニー」で考えた非承認時代の生き方:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    札幌のモエレ沼公園の空は青かった 20世紀の最も偉大な彫刻家のひとりに数えられているイサム・ノグチは当初純粋な彫刻からスタートし、やがて庭園や噴水の設計など、大地をつくり変える方向性へと進んだ。彼は自然と作品を融合させ、人工でも自然でもないマージナル(境界的)な領域に自分の世界をつくりだした。だからアメリカでのイサム・ノグチの評価はいまにいたるまで、彫刻に自然という存在を取り入れたという部分に最も高い。 どっしりと広がる大地と、その上で自由に子供たちが軽やかに楽しく遊ぶ世界。たとえばプレイマウンテン(遊び山)というテーマは、彼の人生の大きな主題のひとつとなった。1935年、ニューヨークの公共施設のために彼が作ったプレイマウンテンの作品案は、ピラミッド型の山の横幅いっぱいに階段を頂上までつみかさね、夏にはそこに水を流してウォータースライダーとして遊び、冬にはそれが橇遊びの場所になるというもの

    映画「レオニー」で考えた非承認時代の生き方:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • https://quarter4.info/create/22-wordpress-customize-hack.html

  • 「4つの耳」持つ子ネコ、自動車修理工場で生活 - MSN産経ニュース

    ロシアのウラジオストクにある自動車修理工場で暮らす「4つの耳を持つ」子ネコ=11日(2010年 ロイター/Yuri Maltsev) ロシア極東地域のウラジオストクで11日、「4つの耳を持つ」子ネコを撮影した。このネコは、地元の自動車修理工場で暮らす生後3カ月の「ルンティク」。外見上は耳が2対あるように見えるのだが、そのうちの1対にしか外耳道はないという。(ロイター)

  • 日米の多様性 – 愛の日記

    ブログも久々に書き始めたところで、またネタ系の話を・・・今日は文化のお話です。 アメリカに引っ越してきてもう4年近く経とうとしている。引っ越したばかりの時は文化の違いに参る事も多かったけど、慣れると意外と快適である。特に良いと思うところは僕みたいな人間でも怒られずにいられることだ。怒られないでいいと、素直に生きていられるのでとっても楽。 これはいわゆる多様性という文化があるからだと思う。でも、多様性ってなんだろう? 僕は、多様性というのは、人間の標準偏差の大きさの話だと思う。標準偏差というとよくわからないので、以下のような分布の絵の話。 「何の分布の話か」というといろいろなものがあって、身長などの外的特徴、運動神経、知能指数、性格・・・とりあえず、今は抽象的に考えてみたい。とにかく、人間っていうのは、どんな国に生まれようと、生まれつきいろんな形で分布している。 で、多様性の文化の話に戻すと

    Hi-kari
    Hi-kari 2010/08/12
    絵、手ずから?
  • 踊るHTML5、あるいはセカイ系化する世界 - アンカテ

    私が、Web+DB PRESS誌で連載している「圏外からのWeb未来観測」の第二回が、gihyo.jpで公開されました。 第二回のゲストは、「Webを支える技術」の著者である、山陽平さんです。 圏外からのWeb未来観測:第2回 REST侍は国益に殉ずる覚悟を持っていた|gihyo.jp … 技術評論社 今回も面白い話をたくさん聞くことができたんですが、特に重要だと思うのが次の所です。 山:特に今は,標準の決定プロセスがオープンになっています。昔は大企業の代表のような限られた人しか参加できない委員会で標準化が行われていましたが,現在は誰でも標準化に参加できて,当に実力のある人が意見を言ってそのとおりになるっていう世界になっていると思います。W3Cもあまり機能しなくなってきているし。そのへんはこの10年でかなり変わったところだと思います。 オープンなところで標準が決まっていく流れだと,普

    踊るHTML5、あるいはセカイ系化する世界 - アンカテ
    Hi-kari
    Hi-kari 2010/08/12
  • NT 10年9月号 冲方×富野 第3回 リアリズムの喪失 - シャア専用ブログ@アクシズ

    リアリズムでものが考えられなくなってくる 冲方 かつてサブカルチャーと呼ばれていたアニメやマンガですが、今やメインカルチャーとなっています。富野さんはまさにその真っ只中でお仕事をなされてきたわけですが、アニメ的なもの、いわゆるビジュアル表現が社会を席巻したと実感された瞬間はあったんですか? 富野 この現象の現れ方として、一番衝撃的だったのは、先月お話した麻生首相の「犬夜叉」発言です。麻生さんひとりの問題ではなく、ここ2、3年、アニメ映画の試写会に政治家が行くことも珍しくないでしょう。サブカル、つまり卑下される媒体であったものが、そういう形で政治家にまでい込んでいる。当にものを考えられなくなった人たちが出現しているんだなと実感して、僕はとてもショックでした。アニメを見ているからものが考えられないということではありません。ものを考える深度の問題で、それが浅くなっていう大人たちが出現している

    NT 10年9月号 冲方×富野 第3回 リアリズムの喪失 - シャア専用ブログ@アクシズ
  • 『物神化しメディアの自家中毒を誘発した世論調査』

    government of the people, by the people, for the people 世論調査はいったい何を調べているのだろうか。 むろん、世論を調べているということになる。では、世論とは何か。辞書にはこう書いてある。 「社会的問題・政治的争点や政策などについての人々の意見・態度を把握するための統計的な調査」 仕方がない、この説明にそって考えよう。 「社会的問題・政治的争点や政策」。「人々」は何によってこれを知るのかというと、言うまでもなくメディアであろう。 メディアは当然のことながら、社会、政治、政策のすべてを書いたり、放送したりすることはないし、物理的にもできない。 何かを主観的に切り取り、情報、あるいは評論という商品として、それを受け取る「人々」に提示するのが関の山である。 メディアの記者たちは「人々」の関心を惹きそうな物事を、例えばさまざまな利害のからむ政

    『物神化しメディアの自家中毒を誘発した世論調査』
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  • 確かに「大きい主語は信頼できない」けど、それ自体の主語が大きい。 - 小学校笑いぐさ日記

    最近、「主語が大きい人」という言葉を覚えました。 「我々は」とか「世間が」とか、むやみに広大な範囲を主語にとる主張は妥当性が低い、ということのようです。 原則としてその通りだろうなー、と思っていたのですが、その一方で、 1:人間は〜〜なものである 2:男なら〜〜である 3:中国人はみな〜〜である の3つの中で比べると、なんか後になるほど主語は小さいのに妥当性は怪しい気がします。 何が違うんだろう、と思って考えた末、「主語」の中に話者人が含まれているかいないかの差だと気付きました。 例えば、 「女とは〜〜なものである」 というのは、全人類の半分を含む主語ですが、それを語るのが男性であるか女性であるかで信憑性が変わってきます。 (もちろん、女性が語っていてもなお、主語が大きすぎて、充分信頼できるとは思えませんが) だから 「我々日人は」より「彼ら韓国人は」の方が主語は狭いけれど、話者が日

    確かに「大きい主語は信頼できない」けど、それ自体の主語が大きい。 - 小学校笑いぐさ日記
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