このうち、東京都狛江市の矢野裕市長(4期)の場合は1996年の就任当初、市議会(定数23)で市長を支える与党が5議席のみだった。人事案は否決され、教育長は半年間、助役は約10年間空席となった。野党提出の問責決議案が可決される事態となり、矢野市長は「予算が通るかどうか常に不安を抱えていた」と振り返る。 だが、矢野市長は、就任半年後に市民推薦の学校長OBで野党を説得し、教育長の人事案を可決させた。市民ボランティアによる防犯隊結成など住民参加型の行政を掲げて野党側も取り込み、3期目には助役の人事案も通した。 一方、合併前も含むと通算4期となる長野県木曽町の田中勝己町長のケースでは98年の初当選時、町議会で共産は1議席のみだったが、前町長を支援した議員の多くが選挙後に田中町長を支える側に回った。選挙後最初の議会で教育長を助役に、総務課長を収入役に起用する人事案を可決に持ち込んだ。 両氏に共通するの