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ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (6)

  • 「バカが可視化される時代」とどう向き合うか - 脱社畜ブログ

    ローソン、バーガーキングあたりまでは静観していようと思ったのだけど、次から次へと出てくるので、例の飲店従業員twitter炎上問題について考えたことを少し書いておこうと思う。ただ、困ったことに「こうすればいい」という結論は出せなかった、ということを先にお知らせしておく。この問題は結構難しい問題だと個人的には思う。 多くの方はご存知だと思うが、一応経緯を書いておく。最近、飲店の従業員(主にアルバイト)が冷蔵庫に入るとか品の上に寝っ転がるとか、一言で言えば「バカな」悪ふざけをして、それをtwitter上で写真付きで暴露したために炎上、という流れが相次いでいる。店舗側の被害は甚大で、中には一時休業に追い込まれる店舗もあったそうだ。 この事件を、「最近の若者の倫理観破綻はひどい」と見るのはおそらく正しくない。こうやってなんでも最近の若者の問題に帰着させるのは簡単だが、それではその先には進まな

    「バカが可視化される時代」とどう向き合うか - 脱社畜ブログ
  • 「経営者目線を持て」の真の意味は「みんな俺と同じように考えろ」 - 脱社畜ブログ

    この前、「経営者目線」について知人と話をしていて、「面白いなぁ」と思ったことがあったので紹介したい。 日には、不思議なことに従業員に「経営者目線」を持つことを要求する会社がある。若者バッシングの常套句に「指示待ち族」とか「言われたことしかできない」とかいうのがあるが、これが発展して「お前たち従業員も、もっと会社のことを一人一人考えて、経営者目線をもって仕事をしろ」というご高説を垂れる経営者が実際少なくない。 しかし、よくよく考えてみると、仮にこれが当に実現したとすると結構大変なことになる。「船頭多くして船山に登る」という諺があるが、経営判断に関する意見なんて当然人それぞれになるわけで、従業員が当に経営者目線を持って自律的に考え始めたら、間違いなく大揉めになるはずだ。「右に行こう」と誰かが言い出したら「いやいや、左だ」と他の人が言い出して、さらには「待て待て、ひょっとすると上かもしれな

    「経営者目線を持て」の真の意味は「みんな俺と同じように考えろ」 - 脱社畜ブログ
  • Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感 - 脱社畜ブログ

    以下の記事をはてブのホットエントリで見つけたので。 脱社蓄ブログを読んで感じる違和感 http://hatedebu.hatenablog.com/entry/2013/03/01/164135 誹謗中傷ではなくて、ご意見をいただいたと認識しているので、これについて僕の見解を書こうと思う。 元記事の方が主に言及していたのはこの記事(給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか)である。この記事に限らず、このブログではいわゆる「やりがい搾取」については度々書いていて、企業側が賃金ではなく「やりがい」をエサに与えることで、不当に安く労働者を酷使しようとする状況に批判的な立場を取ってきた。 元記事の反論内容を要約すると、「日にはそもそも職業選択の自由がある。賃金の代わりにやりがいが与えられるような職場が嫌なら、辞めればいい」といった感じになると思う。 僕は、この主張については2つの点におい

    Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感 - 脱社畜ブログ
    IWANORI
    IWANORI 2013/03/02
    まさにこの「恩義の強制」で俺は上司への敬意を失っていった。特に何も言わなきゃ普通に感謝してたのに
  • 『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足 - 脱社畜ブログ

    数日前のエントリ「死ぬほど働いた」ことを美化するなに対してこんなご意見をいただいた。 「死ぬほど働いた」ことを美化するよ。 http://enator.hatenablog.com/entry/2013/02/08/104009 以前、ブラック自慢、残業自慢はみっともないというエントリを書いた時にも、似たようなご意見を頂いたことがあるので、このあたりでちょっと補足しておこうと思って筆を執った。 大前提として誤解の無いように言っておくと、僕は「死ぬほど働かされた」ことや「会社がブラックであること」に対する「愚痴」を言うことは何ら問題ないと思っている。かく言う僕も、今は会社勤めをしているので、会社がおそろしく忙しくなるような時はやはりあって、これに対して周囲に愚痴をこぼすことはある。 冒頭で挙げたエントリを書いた方は、『「死ぬほど働いた」ことを美化するよ』と題してはいるものの、内容は決して美化

    『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足 - 脱社畜ブログ
  • 怒鳴る上司に、怖い先輩――「恐怖」で人を動かそうとする人たち - 脱社畜ブログ

    もう21世紀になって10年以上が経つが、会社という組織では未だに「恐怖政治」が横行しているようである。後輩や部下に仕事をさせるために、怒鳴ったり、脅したりする上司や先輩が、あなたの周りにもいないだろうか。「いない」と断言できる人は、仲間に恵まれている。しかし、そう断言できる人ばかりではないというのが、実際のところであろう。大きな会社になれば、このように「恐怖」で人を動かそうとしている人は、必ず存在する。 間違った行動をした人に対して、恐怖を与えることで次はもうそのような行動をとらないようにさせる、というのは動物に対するやり方そのままだ。こういったマネジメントの方法は、人間に対してはあまりよい効果を生まない。確かに、怒られた人は「もう二度と怒られないように」と注意はするだろうが、その分間違いなくモチベーションは低下する。仕事の主眼が「価値を生み出すこと」から「ミスをしないように注意すること」

    怒鳴る上司に、怖い先輩――「恐怖」で人を動かそうとする人たち - 脱社畜ブログ
  • 一生安泰な企業をさがすという大博打 - 脱社畜ブログ

    世の中には、いわゆる「安定志向」な人たちがいる。このような人たちは、自分が定年になるまで倒産したり傾いたりすることが無さそうな企業に就職して、そこで堅実で安定した人生を歩もうと考え、インフラや大手メーカーなどに就職をする。リスクを取ることを極端に嫌い、給料はそこそこでもいいからとにかく混乱のない一生を送りたい、そういう価値観を持っている。 今日指摘したいのは、そうやって一生安泰な企業をさがしてその会社に人生を任せてしまうのは、実際にはかなりの大博打だ、ということだ。来ならばリスクテイクをしたくない人たちが、実は大きなリスクを取っているというのは皮肉である。しかも、全く危機感を感じていない人がほとんどだというのがさらに悲惨だと僕は思う。 仮に、大学卒業後そのまま就職し、定年の65歳まで働いたとすると、労働に従事する期間は約40年ということになる。定年まで勤められる企業をさがすということは、

    一生安泰な企業をさがすという大博打 - 脱社畜ブログ
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