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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (23)

  • 荒俣宏『歌伝枕説』 - heuristic ways

    以前、高橋富雄『平泉の世紀』に触発されて、「平泉と鎌倉」1〜4というエントリを書いたことがあるが、最近になって、松尾芭蕉が『おくのほそ道』で有名な「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」という句を詠んだのは平泉の地でだったことに気づいた。 調べたところ、芭蕉が陸奥(みちのく)へと旅したのは、彼が敬慕した能因法師や西行らのゆかりの歌枕(和歌の題材とされた名所・旧跡)を訪ねるためであったらしいこと、そして、荒俣宏『歌伝枕説』というがそういうテーマについて書いていることがわかった。ちなみに、これは『歌枕伝説(うたまくらでんせつ)』ではなく、『歌伝枕説(かでんちんせつ)』です。 図書館で借りて読んでみたが、これは実にスリリングで刺激的なだった。もともと著者は、現地に行って歌枕の役割を再確認しようという「東北歌枕の旅」を企画したようだが、スリリングなのは、思いがけずもそこから、日史の謎めいた領域へ

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    Imamu 2012/04/26
    (舞台探訪/聖地巡礼)「歌枕の地へは行けない!」「東北地方~歌枕を通じてだけ実在を感じ得る~「架空の土地」」「フィクション~歌枕~本当に見に行く歌人~能因~西行~芭蕉」
  • 外村大『朝鮮人強制連行』 - heuristic ways

    朝鮮人強制連行 (岩波新書)作者: 外村大出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2012/03/23メディア: 新書購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る  このの帯には、「朝鮮人強制連行の歴史は、“朝鮮人のために日人が覚えておくべき歴史”ではない」という著者の言葉が紹介されている。 このを読むまで私は、戦時中の朝鮮人強制連行について事実関係をよく知らなかったし、自分にとってこの問題が何を意味するのかを考える具体的なとっかかりがないように感じていた。もちろん、私がそのような「人権侵害」を強いた旧宗主国の子孫であるという事実は認識できる。だが、私がいま置かれている状況や自分が抱えている問題との具体的な接点が見えてこなければ、そこにはどうしても切実さが欠けてしまう。たとえば、「戦時中に強制連行されて過酷な労働を強いられた朝鮮人がいる」という風に捉えるだけでは

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    Imamu 2012/04/18
    「マイノリティに不利な条件を押しつける国家や社会はマジョリティをも抑圧していた。そして、そのような状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが」
  • 百済王氏など - heuristic ways

    上田正昭氏は、「平安京の誕生」(1994年)の中で、「桓武天皇の血脈には百済の王族の流れがあるということを、二十七年前に書いた」とき、「当時、一部の方々はたいへん激昂して、国賊上田正昭は京都大学を去れなどという脅迫状もきましたし、しばしば抗議の電話もありました」と言っている。 「ところが二十七年もたつと、このことはもう国民の常識になっています」。その七年後(2001年)には、今の天皇自身が誕生日会見でこのことに言及することになるだろう。 日歴史を調べていくと、われわれが思い描いているような「日」とか「伝統」のイメージとはまったく異質な「史料」に突き当たったり、日が日であるという同一性を揺さぶるような「歴史」に思いがけず行き着いてしまう。私はそこに日史を学ぶ意義があると思う。 たとえば天皇家こそが、いわば「韓流」の先駆けであったというように。  上田氏は、桓武天皇の生母・高野新笠

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    Imamu 2012/02/12
    上田正昭氏『平安京の誕生』森公章『「白村江」以後』/「たとえば天皇家こそが、いわば「韓流」の先駆けであったというように」
  • 教育と戦闘力 - heuristic ways

    小熊英二氏は、「いま歴史教育に何が求められているか――可能性としての日」(一九九九年、『私たちはいまどこにいるのか』所収)という文章の中で、身分制社会(江戸時代)の教育と明治以降の近代教育の違いについて、実に興味深いことを言っている。 たとえば江戸時代には「寺子屋というものがあり、藩には藩校というものがあり、読み書きそろ盤を教えたといわれている」が、これはわれわれが馴染んでいるような小学校とは全然違う。そもそも「社会のつくり方の前提」が違っているので、農民、武士、商人といった身分に生まれた者は、将来それぞれ農民、武士、商人になることが決まっている。だからそれぞれの身分によって、学ぶこと、習うことが違う。たとえばそろ盤を教えているのは、「主に都市部の商人の子どもを相手にした学校」が中心になっている。また、読み書きといっても、主に「手紙の書き方」を教えていることが多い。これは、「主に農民のな

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    Imamu 2011/07/15
    "現代日本の体制にとっては、「無力化されたシニカルな個々人」の増大は、計算違い(落ちこぼれ)や副産物などではなく、むしろ狙い通りの好都合な事態"Compulsory Education強迫教育-義務
  • 『チェルノブイリは女たちを変えた』より - heuristic ways

    数日前のニュースで、福島市の住民たちが地元医師を招いて開催した講演会で、内部被曝をめぐる質問が相次いだという報道があった(「内部被曝の不安拡大、独自検査決めた自治体も 福島」 朝日新聞、2011/6/18)「私、あの爆発の後、子どもを散歩させたんです。道の草触らせちゃった。内部被曝したんでしょうか」「個人で専門的な病院にかかるしかないのでしょうか。私の不用意で将来子どもががんになったら、当に申し訳ない」  昨日図書館で『チェルノブイリは女たちを変えた』(社会思想社、1989年)というを見つけた。 これは、ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)を受けて、西ドイツの女性たち(15人)が同年8月に刊行した原書から11人の文章を翻訳し、これに西ドイツ在住のフリーライター山知佳子氏の「三年後のプロローグ」を加えて出版したものとのこと(出版社紹介に高木仁三郎氏も協力したらしい)。 

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    Imamu 2011/06/21
    「チェルノブイリ事故以後~普通の生活を営むということは、戦争中と同じように、女の仕事がふえるということ」「このシステムについて私たち自身が暗黙のうちに共犯者であったことだ」
  • 『源氏物語』メモ14 - heuristic ways

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    Imamu 2011/04/22
    (「近代的」という訳語/仏教「末世」)『千年も前から「世の末」ということを人は言ってきたわけだが、私が思うのは、「世の末」という観念は、「近代的」という意識と裏腹のものではないかということである』
  • キュビスムと怪談 - heuristic ways

    前から気になっていた朝吹真理子「きことわ」(『文藝春秋』20011年3月号)を読んだ。まず思い浮かんだのは、「キュビスム」と「怪談」というキーワードだった。 花田清輝氏はどこかで、西洋のシュルレアリスム絵画をわざわざ追い求めなくても、日には妖怪の絵がすでにあるではないかという趣旨のことを書いていたと記憶する。 それを念頭に置いて言えば、朝吹真理子「きことわ」は、ある種の怪談を西洋絵画的な手法で描いているのではないかという気がする。 芥川賞選評で、この作品について、池澤夏樹氏は、「いくつもの時や光景や感情がアニメのセルのような透明な素材に描かれ、それを何枚も重ねて透かし見るような、しかもその何枚もの間に適切な間隔がおかれて空気遠近法の効果があるような、見事な構成」と評しているし、山田詠美氏は、「後ろ髪を引かれる事柄について書かれた小説は数多くあれど、後ろ髪を引くものそのものを主にした小説

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    Imamu 2011/02/24
    朝吹真理子「きことわ」/『花田清輝氏はどこかで、西洋のシュルレアリスム絵画をわざわざ追い求めなくても、日本には妖怪の絵がすでに』「現実はあたかも怪談のように構成されている、という光景」
  • 女楽について - heuristic ways

    徳間文庫版『史記1』(市川宏+杉達夫訳)で、秦の繆(ぼく)公(前659年〜前621年)についてまとめた章に、「女歌舞団で堕落」というエピソードがある(『秦紀』)。 あるとき異民族戎(じゅう)の王が、秦の繆公の名君ぶりを伝え聞いて、視察のため、由余(ゆうよ)というものを秦に派遣した。由余の先祖は晋(しん)の亡命者であったので、由余は中原(ちゅうげん)の言葉を解することができた。 繆公が由余と会って話してみると、由余はなかなか鋭いことを言う。たとえば繆公が得意気に宮中の財宝類を見せると、由余は、「鬼神(きしん)がこれを作られたのなら、鬼神はさぞお疲れになったことでしょう。人民がこれを作ったものなら、人民はさぞ苦しんだことでしょう」という。 繆公は、どういうことかわかりかねて、こう問いただす。「わが中原の諸国は、詩書(ししょ)・礼楽(れいがく)・法度(はっと)にのっとって国を治めている。しか

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    Imamu 2010/08/25
  • 椎名軽穂『君に届け』 - heuristic ways

    たしか昨年暮れ、私が働いているコンビニに、椎名軽穂『君に届け』というコミックスが第1〜9巻まで、まとめて入荷した。今年に入って第10巻も出た。帯を見ると、「TVアニメ絶賛放映中」とか「実写映画化決定」*1とか書いてあるのだが、私は何の予備知識もなかった。ただ、表紙を見ると、わりと好きな絵柄なので、どんなマンガなのか、ちょっと興味はあった。で、数日前に、第1巻をちらっと読み始めたら、これが私のツボに見事にはまってしまった。 真っ黒な長い髪 真夏でも青白い肌 黒沼爽子(くろぬまさわこ)15歳 座右の銘は一日一善 小学生以来のあだ名は貞子 最近では名を知る者はほぼいなく怖れられる毎日 人に恐怖心を与えない人になりたいな……  初登場のシーンではホラー漫画風のタッチで描かれる高校1年生の少女・黒沼爽子は、独特の陰気な雰囲気から、『リング』の貞子のような存在だとなぜか周りに思われ(名が貞子だと勘

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    Imamu 2010/01/19
    『「悪意の文法」を彼女は知らない』『自分に向けられた「悪意」を最後まで理解しない。どこまでも「相手の立場に立って」考えようとする~他人がこれまで生きてきた「歴史」を理解しようとする営みへとつながる』
  • 「寄生」の治療法――ガンジーについて - heuristic ways

    以前ガンジーの自伝や著述を読んでいろいろ調べていたとき、印象的だったのは、ガンジーが妙に「」の問題にこだわったり(ガンジーの母親はジャイナ教徒で、ガンジー自身も菜主義者だった)、イギリス人がインドにもたらした鉄道・弁護士・医者を批判したりしていることで、当時の私はやや当惑を感じたことを覚えている。 先日、C・ダグラス・ラミス氏の『ガンジーの危険な平和憲法案』(集英社新書、2009年)を図書館で借りて読んだのだが、その中で啓発的だったのは、ガンジーが「コンスティテューション」という言葉をさまざまな文脈・用法で使っていたという指摘である。*1 ラミス氏は、ガンジーの文章を検討して、1.体質、2.組織の構成、3.イギリス憲法、4.神の意思、5.組織の会則、6.革命戦略、といった意味での用例を挙げ、そこから「社会のボディ(身体)としてのコンスティテューション」という発想・イメージをガンジーが持

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    Imamu 2009/09/30
    『病気(ミクロ寄生)の問題と、食物(他の動植物への寄生)の問題、そして政治(マクロ寄生)の問題を、ガンジーが切り離して考えていなかった』『革命戦略の核心も、「武装蜂起」よりはむしろ「非協力」のほうに』
  • 間々田優 - heuristic ways

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    Imamu 2008/11/18
    (間々田優)『多くの人の神経を逆撫でし、非難と罵倒の嵐を引き出すというのは、この人の「テロリスト的」資質*3を物語って』『Cocco、椎名林檎、天野月子、松崎ナオ、山本美絵、桃乃未琴、勝野慎子~』
  • 主婦・植民地・動物 - heuristic ways

    このところどうもスランプ気味で、なかなかまとまった文章が書けそうにない。とりあえず精神的リハビリを兼ねて、備忘録的な「コピペ」をとっておくことにする。 J.アン・ティックナー『国際関係論とジェンダー』は、17世紀ヨーロッパに起きた画期的な変化とその影響を繰り返し取り上げているが、その中心的事態は近代主権国家と国民国家システムの成立である。 *1 西欧社会で、国民国家体制は一七世紀ヨーロッパに始まる。チャールズ・ティリーが指摘するように、近代国家は戦争を通して誕生した。近代国民国家初期の指導者たちは、資源の強制的な搾取と、より強大な領土獲得を求めた戦争を通して、彼らの権力を強固なものとしてきた。 ティックナー氏は、この過程が「西欧啓蒙主義の科学」、すなわち「自然を飼いならし、支配し、利益や便利さを求めて利用しようとする」「機械論的自然観」の成立と並行していたと指摘している。《一七世紀に自然は

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    Imamu 2008/05/28
    (近代)(資本主義)自然観の変化(生きた有機体→自分では動けない生命のない機械)―女性観の変化(「家庭」概念,「主婦」概念)→「植民地で生産された贅沢品の需要が高まり、また贅沢品の誇示が公的領域から私的領域へと」
  • 資本・実体・身体 - heuristic ways

    ふだんは滅多に読まない雑誌だが、『BRUTUS』(4/15号)で「日経済入門」という特集をやっていたので、その中で内田樹「武道家は株を買わない」という記事をざっと読んでみたら、これがすごく面白かった。後で雑誌を購入してじっくり読んでみると、いろいろ引っかかる点、疑問を感じる点もあったのだが、議論の大筋とポイントは、今の時代の質を見きって鋭く斬り込むような鮮やかさを感じさせる。内田氏はまず、「今、世界で起こっているのは、実体経済の空洞化と富の偏在です」ということから説き起こす。「人類の成人人口の1%にあたる富裕層が、世界の富の40%を独占する」ような今日の世界では、個人資産のうち実体経済の中で買えるものは限られているのだから、結局、残った莫大な資産は非実体的な「金融の世界へ行くしかない」。*1 「流動している貨幣の総量」は膨らんでいるようにみえても、「生身の人間の日常的な衣住に関連する

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    Imamu 2008/04/03
    内田樹「武道家は株を買わない」消費=自己表現→お金がない=アイデンティティーを持つことができない『資本主義のマーケットでは「身体を持たない人間」「生きていない人間」こそが最も理想的なプレイヤー』
  • 労働力(商品)になること - heuristic ways

    谷有希子さん*1の小説『生きてるだけで、愛』を読んで、人が「労働力(商品)になる」ということは、決して当たり前のことではなくて、実はさまざまな条件をクリアしないと、自分を「労働力(商品)」として実現・維持することは困難な事柄なのではないか、というようなことを考えた。 この小説は、25歳の「メンヘル」(・過眠症)の女性の「精神的に浮き沈みの激しい毎日」を一人称で描いたもので、自分自身が制御しがたい衝動と無気力の束であるような脱社会的な主観性を内側から描こうとした試みだといえるかもしれない。「あたし」(板垣寧子)は、32歳の雑誌編集長・津奈木と3年前から同棲しているが、1ヶ月前に職場のトラブルで「時給九百円のスーパー」のバイトを辞め、部屋に閉じこもって、だらだら寝たり、過眠症の人間が集うネットの掲示板に書き込みしたり、時々料を買いに出かけたりして過ごしている。津奈木は半年前に編集長をまか

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    Imamu 2007/05/27
    『人が「労働力(商品)になる」ためには、そういう原初的な情動や衝動を抑圧・制御し、自分自身を一定の型に形式化(規格化・規律化)するという途方もない「転倒」を必要とする。』
  • 語れないことと書けないこと - heuristic ways

    5月2日と3日にNHKの「ハートをつなごう」という番組で、「性同一性障害」の特集があった。2日の分は見逃したが、新聞のテレビ欄を見て気づいたので、3日の放送は録画してチェックした。この番組では、昨年度から断続的に「性同一性障害(GID)」の問題を取り上げて放送しているらしく、過去の放送に対して、「特に当事者からの反響が大きく、番組宛に多くのメールが送られて」きたという。今回は、「メールを送ってきてくれた当事者を訪ね、番組に参加して」もらうという企画。前半では、山岡純さんというGID当事者のメールをまず紹介し、人やその周りの人々(母親、パートナーなど)に対する取材の様子を放送。後半では、すでに社会的にカミングアウトしているGID当事者たち(虎井まさ衛、大迫真実、森村さやか、杉山文野、村松康さん)と、精神科医の針間克巳氏、作家の石田衣良氏、女優・歌手のソニンを迎え、さらに山岡さんも加わって、

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    Imamu 2007/05/07
    『GID当事者の「問題」とは、自分の心や身体の状態について他人に「語れない」という問題と、公式の書類に自分の性を「書けない」という問題と二つのレベルがあるのではないかと思い至った』
  • heuristic ways - 「男らしさ」の明暗

    庄司薫氏は、十年ぶりに発表した小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞を受賞したとき、「受賞の言葉」でこういうことを言っている。「この十年間ぼくが考えてきたのは、「男の子」いかに生きるべきか、とでも言ったこと」であり、絶えざる自己鍛錬や努力の結果「ぼくがたどりついたのは、余りにも素朴で笑われるかもしれませんが、みんなの幸せを考えること、そしてそのためには強さにささえられたやさしさとでもいうべきものを育てること、「これぞ男の生きる道」といったことでした」と。庄司氏は、「『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、何よりもこの「他者への愛」を描こうとする努力だった、と言っていい」とも書いている。庄司氏にとって、「男らしい」という規範は、「他者への愛」、「みんなの幸せを考えること」、「強さにささえられたやさしさ」を育てることなどに結びついた自我理想であり、その対極にあるのは、「平気でエゴイスティックな目的を求め

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    Imamu 2007/03/27
    『「男らしさ」もまた人為的に獲得され実現されるべき「プロジェクト」であり、私が嫌悪していたような粗暴で野蛮な「男らしさ」は、「権力」または「権力意志」の暗黒面や失敗例を示すものではないか』
  • 「比較・競争」構造の政治学 - heuristic ways

    大塚英志『サブカルチャー文学論』の中に「庄司薫はデレク・ハートフィールドなのか」という章がある。*1 それを読んで私は、庄司薫氏が連合赤軍事件について1つだけエッセイを書いていること、そして実際に連合赤軍のメンバーのうち2人が庄司氏の「日比谷高校の後輩」だったという事実を知り、興味をもった。私は庄司薫の小説をまだ読んだことはなく、庄司氏が福田章二の名(名)で書いた『喪失』という作品集も読んでいない。ただ、福田章二氏が20歳前後の大学生のときに『喪失』を書いた後、十年間「沈黙」して、十年後に突然のように庄司薫名義で『赤頭巾ちゃん…』を発表したというエピソードは好奇心をそそるものがあった。とりあえず『狼なんかこわくない』(中公文庫)というエッセイ集を購入してみたのだが、このには2006年改版の際に御厨貴氏の解説が新たに付け加えられている。御厨氏はその中で、「『狼』は「政治学」のテキストとし

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    Imamu 2007/03/11
    『「戦後民主主義」の特徴の一つは「同輩集団」内の「平等」と「競争関係」という設定にあるのではないか』『「普通」という基準は、こうした「比較(競争)」を通じて「作られていく」』
  • 「不死身の身体」から遠く離れて - heuristic ways

    先日、書店で大塚英志氏の『サブカルチャー文学論』が文庫化されているのを見かけ、思い立って購入した。文庫版にして700ページ以上ある大部のなので、ぼちぼち拾い読みしているところだが、「キャラクター小説の起源、起源のキャラクター小説」という章を読んでいたら、栗薫の『ぼくらの時代』『ぼくらの気持』や新井素子『あたしの中の…』が取り上げられていたので、不意に懐かしさが込み上げてきた。すっかり忘れていたが、私は中高生の頃(1980年代初め)、栗薫さんや新井素子さんのをかなり熱中して読んでいたのだ。もともと私は中学生の頃、星新一や小松左京、筒井康隆や平井和正のSFが好きだったので、その流れから栗薫さんや新井素子さんといった「美人作家」に飛びついたのだと思う。 大塚氏の論考が面白いのは、栗薫や新井素子といった作家の登場を、田中康夫や村上春樹を始めとする「’80年前後に登場した作家にとって領域

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    Imamu 2007/03/06
    「資本主義化された企業戦士」→『「不死身の身体」*4へと自分を変えていくほかないように』~「死に至るイデオロギー」-『新井素子さんが「記号的リアリズム」の方法によって「耐えようとしていた」「現実」も』
  • 「あの日」の選択肢(heuristic ways)

    Arisanさんが2月25日深夜に放送された『NNNドキュメント07 孤独死・・・生活保護の闇』という番組についてレポートと感想を書いていて、私も興味深く読ませていただいたのだが、この番組の後半で、2006年1月に下関駅に放火して逮捕された老人(75)と手紙のやりとりをしているという北九州ホームレス支援機構の代表・奥田知志さんの話が紹介されていた。(ナレーション) 北九州市でホームレスの支援に取り組むNPO、その代表を務める奥田知志さんは、いま拘置所にいる75歳の元ホームレスのことが気にかかっている。 男は去年1月、山口県のJR下関駅で放火事件を起こし、逮捕された。数日前、刑務所を出所したばかりで、行き場がなかった。放火事件の直前、男は北九州市の区役所を訪ねていた。生活保護を受けたいと訴えた、と主張している。一方、区役所は、故郷の京都に帰りたいと言う男に、北九州市の隣、下関駅までの切符を支

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    Imamu 2007/02/27
    『ホームレス支援は、罪人の運動である」という驚くべき認識』『「尊敬」というより、どこか突き放されるような「倫理行為」の厳しさ』
  • 「自己本位」というポジション(heuristic ways)

    先日、図書館で柴田勝二『漱石のなかの〈帝国〉 「国民作家」と近代日』(2006年)というを見つけ、借りて読み始めたところ、冒頭に漱石の「個人主義と国家主義」の問題について書かれているくだりがあった。そこでは、漱石を『文学論』の構想・執筆へと向かわせた「自己位」の姿勢とはどういうものであったかということが、「私の個人主義」(1914年)などの講演を参照しつつ論じられている。 もともと漱石が任じようとする「個人主義」の起点をなすものは、漢文学への親炙のなかに育ちながら、青年期にそれらとは距離のある英文学を研究分野に選ぶことで、文学の包括的な像を見失った際に、価値判断の基準として浮上してきた自己の内在的な感覚としての「自己位」である。 この一節に何か心揺さぶられるものを感じて、少し考え込んでしまった。たとえば私がフリーターになったのは、学校教育や消費社会への親炙のなかに育ちながら、青年期

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    Imamu 2007/02/19
    『彼ら((ホームレス~フリーターやニート、引きこもり~))が「自己本位」にみえるのは、彼らが社会の正規メンバー(成員)として位置づけられるべき「自己」をもたない結果であって、原因ではない』