SFに関するJD-1976のブックマーク (6)

  • ハインライン:1941年第3回世界SF大会スピーチ (2) - P.E.S.

    ふう、なんとかギリギリ約束したとおり、日曜日にアップする事が出来ました、と書いているうちに、12時を過ぎてしまった...もう月曜だよ。 できれば最後まで訳したかったんですが、後4ページ半ほど残ってしまいました。 なんとか近日中に仕上げます。 なお、一応書いておきますが、このスピーチは1941年、すでにヨーロッパでは第二次大戦が始まっており、アメリカも参戦近しの時期に行われたものです。スピーチ中の世界が狂気に...というのはそういう世界情勢を背景にしたものです。 ハインライン:1941年第3回世界SF大会スピーチ(2)未来の発見 サイエンス・フィクションにおいて、我々はそういった変化がどういうものになるかを想像しようとします。その推測は大抵はずれてしまいます。まず間違いなく、はずれてしまうようなものなのです。しかし、人よりもデータをより良く把握できる一部の人たちは、非常にうまくやってのけたり

    ハインライン:1941年第3回世界SF大会スピーチ (2) - P.E.S.
    JD-1976
    JD-1976 2009/12/28
  • ハインライン:1941年第3回世界SF大会スピーチ (1) - P.E.S.

    まあ、だれも興味ないかも知れませんが、だれも興味を持っていなくても私は持っていますので... アシモフと共にかつてSFビッグ3と言われたロバート・A・ハインライン*1は1988年に亡くなりましたが、彼の追悼としてハインラインの珍しい短編と、スピーチ、他の作家などからの追悼の辞を集めた"Requiem"というがでています*2。で、そのスピーチの内の一つ、1941年の第3回世界SF大会でのゲスト・オブ・オナーのものを訳す事にしました*3。なぜかって?それはファンとしてはハインラインのプレゼンスの(特に日での)低下が気になるからだよ!あとまあ、単純にいっても内容も結構興味深いと思いますし(当時のSFファンのマイノリティ意識は根深いなぁ、とも感じますが)。アシモフの翻訳もまだ道半ばなのに、こんな事をするのは、ちょっとアシモフに申し訳ないんですが... なおこのスピーチはのなかで16ページ強を

    ハインライン:1941年第3回世界SF大会スピーチ (1) - P.E.S.
    JD-1976
    JD-1976 2009/12/21
  • 我はアシモフ:29.シオドア・スタージョン - P.E.S.

    というわけで、今日2目の「我はアシモフ」、スタージョンの巻、です。 29.シオドア・スタージョン 1918年に生まれたシオドア・スタージョンの、もともとの名前はエドワード・ハミルトン・ウォルドー(Edward Hamilton Waldo)だった。しかし彼はその継父の名前を受け継ぐことにしたのだった。フレッド・ポール、ジャック・ウィリアムスン、レスター・デル・レイ、そしてその他と同じように、テッド(Ted)*1は難しい少年時代を過ごし、わずかの教育しか受けなかった。(わずかな教育は、もっと普通の職業に就くことを難しくする事で、執筆に人を向かわせたりでもするのだろうか?) テッドは、最終的にサイエンスフィクションの執筆に取り組むようになるまで職を転々としていた。彼の最初の物語はASFの1939年9月号「高額保険 (Ether Breathers)」だった。これはハインラインの最初の作品の一

    我はアシモフ:29.シオドア・スタージョン - P.E.S.
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    JD-1976 2009/12/09
  • 我はアシモフ:27.ジャック・ウィリアムスン - P.E.S.

    実はあんまり読まない事も多いまま、早川へのお布施として帰国以来毎号買っているSFマガジンですが、その2010年1月号は馴染みのある作家さん達*1が一杯載っていて楽しいです。まだ実は全部は読んでないんですが、読んだなかでスタージョンとコニー・ウィリスが特に楽しい。スタージョンはいかにもスタージョンだし、コニー・ウィリスのジャック・ウィリアムスンのお話は読んでると顔の筋肉が緩みます。ジャック・ウィリアムスンの作品って、おそらく一つも読んでいないんですが、ねぇ。やっぱりSFファンだからなぁ。あんまり終わり部分には納得行かないが、まあそれは重要ではないですね。 で、その2作に影響されて、"I.Asimov"からジャック・ウィリアムスンとスタージョンについてのエントリーを訳す事にしました。まず最初はジャック・ウィリアムスン。アシモフはあまりジャック・ウィリアムスンと交流はなかったようで、このエントリ

    我はアシモフ:27.ジャック・ウィリアムスン - P.E.S.
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    JD-1976 2009/12/09
  • 我はアシモフ:24.ロバート・アンスン・ハインライン - P.E.S.

    こんばんわ。水をかけたらマザーボードが壊れたThinkpad X40のLCDと、安く売られていたX41のマザーを組み合わせて、指紋読み取りセンサーがついているのにLCD下にはX40と刻まれているMy Thinkpad X40.5を最近作ったOkemosです。CPUはどっちもPenMの1.5なんですが、やはりなんとなく元のX40 よりX40.5の方が挙動が早い気がするなぁ。 さて、クラークについてのセクションの翻訳以来4ヶ月もたってますが、久しぶりの「我はアシモフ」の翻訳です。正直な話、経済関係のクルーグマンの翻訳などと比べると、「我はアシモフ」の翻訳はぜんぜん反応がありませんが*1、あれで翻訳がストップするとまるで俺がクラーク好きのように一部の人に捉えられかねない事が気になって夜も寝れませんので、誰も求めてないかもしれませんがハインラインについてのセクションを訳しておきます。実はSF界のビ

    我はアシモフ:24.ロバート・アンスン・ハインライン - P.E.S.
    JD-1976
    JD-1976 2009/11/23
    全体的にええ話やなあ。
  • 47. ビッグ・スリー - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第47セクション「ビッグ・スリー」の翻訳です。 一般にビッグ・スリーというとかつてのアメリカ自動車業界の3社の事をさすかと思いますが、SF界ではハインライン、クラーク、そしてアシモフの事をさします。というか、さしてました。もう今は、3人とも亡くなってしまいましたからね。このセクションはアシモフがその「ビッグ・スリー」についてどう考えていたのかについて、です。 それからつい最近まで、翻訳のペースは週に一というものでしたが、今週からまた一月ほど暇になりますので、恐らくは一日一のペースに戻ります。できればこの1月の間に訳したいセクションは全てやって、I.Asimovの翻訳を終わらせたいと思ってます。 追記:じゃんさんのコメントにより、2ヶ所修正。 47. ビッグ・スリー

    47. ビッグ・スリー - P.E.S.
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    JD-1976 2009/07/21
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