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ブックマーク / ja.wikipedia.org (72)

  • 韓国軍慰安婦 - Wikipedia

    韓国軍慰安婦(かんこくぐんいあんふ)、または大韓民国軍慰安婦(だいかんみんこくぐんいあんふ、朝: 한국군위안부、대한민국군위안부、英: Korean Military Comfort Women[1])とは、第二次世界大戦後、日の統治を解かれた朝鮮において韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦。大韓民国政府は韓国軍慰安婦問題に言及したことはなく、未だ抑圧と偏見により被害が明るみに出ていない[2]。 朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国アメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。現在も坡州市のヨンジュコル(용주골、en:Yong Ju Gol)[3][4]などに存在している。 政策沿革[5] 1947年11月14日 公娼制度廃止 1950 - 1954年 韓国軍慰安婦設置 1961年1

    韓国軍慰安婦 - Wikipedia
  • 朴裕河 - Wikipedia

    朴 裕河(パク・ユハ、1957年3月25日 - )は、韓国・世宗大学校日文学科名誉教授。女性。 経歴[編集] 1957年、ソウル生まれ。高校卒業後に来日し、慶應義塾大学文学部国文科を卒業。早稲田大学文学研究科に進み、2003年に学位論文『日近代文学とナショナル・アイデンティティ』を早稲田大学に提出して博士(学術)号を取得[1]。 受賞歴[編集] 2004年:『反日ナショナリズムを超えて』で、日韓友好促進に貢献した韓国人を顕彰する第5回(2004年度)日韓文化交流基金賞を受賞。 2007年:『和解のために』で、第7回大佛次郎論壇賞を受賞。 2015年:『帝国の慰安婦』で、第27回アジア・太平洋賞特別賞、第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。 研究内容・業績[編集] 韓国に日近現代の文学・思想を紹介しており、また、夏目漱石や大江健三郎、柄谷行人などの著作の朝鮮語への翻訳を手

  • 激流中国 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年1月) 激流中国(げきりゅうちゅうごく、英語: Dynamic China)とは、NHKのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」大型シリーズの主題である。経済優先から真の大国へ向けて激流の如く変化する中国社会の現状と、それに伴う様々な社会的ジレンマを毎回テーマ毎に取り上げた。 2007年4月から北京オリンピック直前の2008年7月まで、毎月あるいは数か月に1回の間隔で放送された。初月の「プロローグ」と「第1回」のみ2夜連続放送。計13回。 シリーズ各回のテーマ[編集] プロローグ 「富人と農民工」 初回放送日: 2007年4月1日 登場人物: 李暁華(56歳)、金波(29歳)、張建平(31歳)、杜文海

    KATZE
    KATZE 2014/05/20
  • 軍慰安所従業婦等募集に関する件 - Wikipedia

    軍慰安所従業婦等募集に関する件 軍慰安所従業婦等募集に関する件(ぐんいあんじょじゅうぎょうふとうぼしゅうにかんするけん)とは1938年3月4日付陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、北支・中支軍参謀長宛の副官通達案(陸軍省公文書)。防衛庁防衛研究所蔵 陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号。慰安婦、慰安所に関する日軍の公式資料のひとつである。 1992年1月11日朝日新聞がこの資料を「慰安所に日軍が関与した」証拠として報道した事で広く知られるようになり、今日でも研究者たちによってしばしば引用され解釈されている。1992年当時において日政府は「慰安婦は民間業者が連れ歩いたもの」と答弁していた[1]。朝日新聞はこの資料を1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」と報道し、記事や社説では「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は

    軍慰安所従業婦等募集に関する件 - Wikipedia
  • 支那渡航婦女の取扱に関する件 - Wikipedia

    支那渡航婦女の取扱に関する件とは、1938年2月23日、内務省警保局長が各庁府県長官に宛てた通達。内務省発警第5号。原文は「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」と表記[1]。 警保局警務課(課長町村金五)が1938年2月18日付けで起案し、富田健治警保局長、羽生雅則内務次官、末次信正内務大臣の決裁を受けて、2月23日付で各地方長官に通達された[2]。外事課と防犯課も連帯している[2]。また1938年11月4日には内務省警保局「支那渡航婦女に関する件伺」が起案され、11月8日に施行された[3]。 この通達では7号の命が記され、中国に渡航させる慰安婦を満21歳以上の内地で商売する現役の娼婦に限定し、外務省が身分証明書を発行するとした。証明書発行の際には、人身売買や誘拐でないか調査し、募集に際して軍の諒解・連絡ある言辞を厳重に取り締まることを命じている。 この内務省警保局長通牒を受けて、1938年3月

  • クマラスワミ報告 - Wikipedia

    クマラスワミ報告(クマラスワミほうこく)とは、国際連合人権委員会の決議に基づいて提出された、「女性に対する暴力とその原因及び結果に関する報告書」の通称である。「クマラスワミ」は、国際連合人権委員会に任命された特別報告者であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomaraswamy)を指す。クマラスワミ報告書ともいう。 概要[編集] クマラスワミ報告とは、「女性に対する暴力とその原因及び結果に関する報告書」のことで、国際連合人権委員会が、第50会期における1994年3月4日の決議(1994/45)に基づき、スリランカ出身のラディカ・クマラスワミを特別報告者に任命し(任期3年間)、毎年同委員会へその調査結果を提出させたものである。 日では、特に、1996年1月4日に提出された日の慰安婦について論じた附属文書1「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国お

  • スマラン慰安所事件 - Wikipedia

    スマラン慰安所事件 (すまらんいあんじょじけん)とは、日軍占領下のオランダ領東インド(現在のインドネシア)で、軍令を無視した日軍人がオランダ人女性を慰安所に連行し、慰安婦として働かせた事件のことである[注釈 1]。別名、白馬事件[1]、スマラン事件[注釈 2]。 概要[編集] 1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からジャワ島のスマランにあった慰安所に連行し強制的に売春行為を続けさせていた容疑で、戦後、国際軍事裁判において(将官や兵站責任者の佐官などの高級将校を含む)当該軍人・軍属(請負業者)たちが起訴、有罪が宣告されている[注釈 3]。 この事件では、インドネシアの抑留所を管理していた第16軍軍政監部が、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、その指示に反し、ある幹部候補生隊がオランダ人

  • 靖国神社法案 - Wikipedia

    靖国神社法案(やすくにじんじゃほうあん)は、靖国神社を国家管理とすることを定めた日の法律案。 概要[編集] この法案では、靖国神社を日政府の管理下に移し、政府が英霊を慰める儀式・行事を行い、その役員の人事は国が関与し、経費の一部を国が負担及び補助する事を規定している。 政教分離規定への抵触を防ぐため、靖国神社を宗教法人から特殊法人に変え、神道祭祀の形式において宗教色を薄めるとしている。このため、『この法律において「靖国神社」という名称を用いたのは、靖国神社の創建の由来にかんがみその名称を踏襲したのであつて、靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない。』(第2条)、また『靖国神社は、特定の教義をもち、信者の教化育成をする等宗教的活動をしてはならない。』(第5条)と規定している。 案を支持する全国戦友会連合会や日遺族会などは、「靖国神社国家護持」を嘆願する署名を2000万筆

  • 極東国際軍事裁判 - Wikipedia

    「東京裁判」はこの項目へ転送されています。映画については「東京裁判 (映画)」を、テレビドラマについては「ドラマ 東京裁判」をご覧ください。 裁判所が置かれた市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂 公判中の法廷内 極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、旧字体:極東國際軍事裁判󠄁、英語: The International Military Tribunal for the Far East、1946年(昭和21年)5月3日 - 1948年(昭和23年)11月12日)とは、広田弘毅・東条英機元内閣総理大臣など日の指導者28名が「1928年(昭和3年)1月1日から1945年(昭和20年)9月2日」にかけて「侵略戦争」を起こす共同謀議を行い[1] 、「平和愛好諸国民の利益並びに日国民自身の利益を毀損」したとして[1]、平和に対する罪(A級犯罪)、通常の戦争犯罪(B級犯罪)及び人道に対する

    極東国際軍事裁判 - Wikipedia
  • 卜部亮吾侍従日記 - Wikipedia

    『卜部亮吾侍従日記』(うらべりょうごじじゅうにっき)は、昭和天皇と香淳皇后に仕えた侍従卜部亮吾が、記していた約32年間の日記である。 昭和後期から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯と、晩年の昭和天皇の姿がわかる歴史的資料とされる。2007年に発見され[1]、同年朝日新聞社(全5巻)で刊行された。 卜部日記は、侍従となった1969年12月から死去直前の2002年2月までの32年間、ほぼ毎日記されている[1]。卜部は侍従(広報担当)として、昭和天皇の地方巡幸に常につきそっており、最後の地方巡幸となった1987年春の伊豆大島(前年に噴火した)訪問にも付き添っていた。また昭和天皇崩御・大喪〈1989年(昭和64年/平成元年)〉前後の動静・内情、特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯と、天皇自身の晩年の姿が判る事で貴重な史料とされる。 日記には、昭和天皇の晩年の闘病生活と先の

  • 富田メモ - Wikipedia

    富田メモ(とみたメモ)とは、2006年(平成18年)7月20日の日経済新聞朝刊により、その存在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦(1920年 - 2003年)がつけていたとされるメモ(手帳14冊・日記帳13冊・計27冊)。特に昭和天皇の靖国神社参拝に関する発言を記述したと報道された部分を指す。昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が注目された。メモ全体の公刊や一般への公開はされていない。 内容[編集] 公開された富田メモの一部は以下の通りである。靖国神社についての発言は、1988年(昭和63年)4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)の日付が書き込まれて手帳に貼り付けられたメモの中にあった。手帳の同じページに同日付の一連の4枚のメモが貼り付けられていて、その中の一番下4枚目の紙片である。 前にもあったが どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあっ

    KATZE
    KATZE 2014/01/01
    メモにある「高松薨去の時‥」などと弟宮のことを昭和天皇が「薨去」と発言されるはずが無い。これは「臣下のものが宮殿下の逝去のことを『薨去』と使う」とし、このメモの内容は昭和天皇の発言ではなく『徳川前侍従
  • 反知性主義 - Wikipedia

    反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: anti-intellectualism)または反主知主義(はんしゅちしゅぎ)[1][2]とは、英語辞典によれば、知識人と知的理論に向けられる反対・敵意を指す言葉[3][注 1]。1904年に「反~ + 知性主義〔主知主義〕」と「反知性〔反主知〕 + ~主義」から発生した言葉として、語源辞典に掲載されている[4][注 2]。『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によると、反知性主義的哲学は19世紀末にニーチェなどの思想として現れ、結束主義〔ファシズム〕運動へ繋がったとされる[1]。反知性主義・反主知主義という言葉は、知識人および知的活動への敵対的で嫌悪的な感覚を指し[5][注 3]、また、実際的解決と現実理解において知力と理由は重要でないという信念・教義をも指す[3]。 概要[編集] 反知性主義(anti-intellectualism 反主知主義)

  • ニューライト - Wikipedia

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    KATZE
    KATZE 2013/06/03
  • 尹美香 - Wikipedia

    尹 美香(ユン・ミヒャン、朝鮮語: 윤미향、英語: Yoon Mee-hyang または Yoon Mi-hyang、1964年10月23日[1]または1965年2月10日[2][3] - )は、大韓民国の政治家、活動家。元最大野党「共に民主党」所属で、元慰安婦からの不正告発後は無所属議員[4]。市民団体『日軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(略・正義連、旧・挺対協)』前代表[5][4][6]。 経歴[編集] 慶尚南道南海郡生まれ。韓神大学校卒業後、梨花女子大学校大学院でキリスト教学科修了、同大学の社会福祉大学院で修士号を取得。1990年より韓国キリスト教長老会幹事、1991年より女信徒会全国連合会幹事[3]。1992年、日軍慰安婦を支援する韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)発足時に幹事として参加。 2008年から2020年まで、挺対協と後の正義連でそれぞれ常任代表と理事長などを歴

    尹美香 - Wikipedia
  • 古屋圭司 - Wikipedia

    古屋 圭司(ふるや けいじ、1952年11月1日 - )は、日政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、自由民主党政務調査会会長代行、自由民主党憲法改正実現部長。 国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)、拉致問題担当大臣、国土強靭化担当大臣(第2次安倍内閣)、経済産業副大臣(第1次小泉内閣)、衆議院文部科学委員長・商工委員長・議院運営委員長、自由民主党選挙対策委員長(第4代)などを歴任。 旧姓は松。伯父は自治大臣を務めた元自民党衆議院議員の古屋亨。 来歴[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "古屋圭司" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL

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  • 在日本朝鮮人総聯合会 - Wikipedia

    在日朝鮮人総聯合会(ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する在日朝鮮人[3]のうち、「主体(チュチェ)思想」を指導的指針としてすべての活動、運動を展開しているとする人々で構成される団体[4]。 1945年(昭和20年)結成の在日朝鮮人連盟がGHQによって「暴力主義的団体」として解散させられた後、新たに設立された在日朝鮮統一民主戦線を経て1955年に設立[5]。略称は朝鮮総聯(ちょうせんそうれん、チョソンチョンニョン、조선총련)で一般にこの名称で呼ばれることが多い。報道などでは朝鮮総連とも表記される[6]。最高責任者は、2012年より許宗萬中央常任委員会議長が務める[7]。 法人格がない「権利能力なき社団」。朝鮮総連中央議長を始めとする数名の幹部は北朝鮮の代議員(国会議員)を兼任している[8][9]。過去に複数の元構成員が土台人となって北朝鮮

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  • 日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯 - Wikipedia

    軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(にほんぐんせいどれいせいもんだいかけつのためのせいぎきおくれんたい、略称:正義連、朝: 일본군성노예제문제해결을위한정의기억연대、英: The Korean Council for Justice and Remembrance)は、大韓民国の慰安婦関連最大の市民団体。1990年から韓国挺身隊問題対策協議会(かんこくていしんたいもんだいたいさくきょうぎかい、略称:挺対協、朝: 한국정신대문제대책협의회、英: Chong Dae Hyup, The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan)[6][7][8][9][10][11] が活動していたが、2016年に設立した日軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団と組織統合し、2018年7月に現在

  • 日本軍慰安婦問題関西ネットワーク - Wikipedia

  • 在日韓国民主統一連合 - Wikipedia

    在日韓国民主統一連合(ざいにちかんこくみんしゅとういつれんごう)は、「大韓民国(韓国)の民主化と祖国統一」をスローガンとする在日韓国人の運動団体。略称は韓統連(かんとうれん)。 韓国民主回復統一促進国民会議(かんこくみんしゅかいふくとういつそくしんこくみんかいぎ、略称:韓民統、かんみんとう)として発足し、1989年の組織改編により現在の形となった。部所在地は東京都千代田区。 韓国では大法院の判決により、北朝鮮政府、及び朝鮮総連と共に「反国家団体」との判断が確定している[1]。 韓統連は、在日大韓民国民団[2](民団)の元団員を中心メンバーとし、金大中の韓国民主化運動と反「軍部独裁」政権運動を支持・援助する事を目的に結成された。 1961年の5・16軍事クーデター後、民団では国の朴正煕政権を支持する中央執行部(従属派)と、四月革命の完遂を目指す在日韓国青年同盟(韓青)を始めとする一部の

  • 李容洙 - Wikipedia

    李 容洙(イ・ヨンス、이용수, 英: Lee Yong Soo, 1928年12月13日[1][2] - )は、元日軍慰安婦と主張し、その国際的な問題解決を求めている韓国の社会運動家。 韓国挺身隊問題対策協議会:略称 挺対協(現在の日軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯:略称 正義連)の支援の下で、韓国国内はもとより、アメリカ合衆国下院121号決議や女性国際戦犯法廷など、国際社会への発信活動においても中心的役割を果たした。しかし、集まった基金の分配をめぐり正義連と対立。2020年5月に元挺対協代表の尹美香は、李は慰安婦ではないと示唆した[3]。 人物[編集] 2007年、米下院で「民間業者の甘言に乗せられた家出娘」を演出し、2週間後に来日して議員会館や外国特派員協会で「軍人が夜半に押し入り刃を突き付けて連行された」と語った。傍聴していた秦郁彦は、途中で付き添いの中年女性が何か囁き、米

    李容洙 - Wikipedia