「ものづくり」とは、全くといっていいほど縁のない家庭で育った。両親は体育教師と英語教師。だからといって、勉強にも学校生活にも一切口を出してくるような親ではなかった。たとえ、リレーの選手に選ばれても、通信簿でオール5を揃えても、ほぼ無関心。裕福な家庭ではないが、貧困で苦しいという思いもしたことはなかった。ただ、塾や予備校に通うことと、保険をかけるような私立受験だけは「費用対効果を考えて必要なら」ときつく言われ、結局、高校は都立一本、大学はセンター受験と国立、私立一校ずつだけ受験した。大学まで進学するのは、疑いもせず「当たり前」だと思っていた。 「ものづくり」と、これまた全くといっていいほど縁の無い学生生活だった。成績は中学までは学内で上から3番にはいつも入っていたと思う。ただ、教師の家庭だからといって、「絵に描いたような学生」ではなかった。小学校、中学校では、意見が合わないと言っては男の子た