過去の歴史から日本に対して複雑な感情を抱く中国人が少なくない中、山東政法学院の張伝宝さんの祖父は、張さんの「中日友好の伝導者になりたい」という夢を応援してくれた。そこにはどのような考えがあったのか。張さんは以下のように綴っている。 大学入試に合格した時、私が一番学びたいことは日本語だった。だが、両親は私の考えが軽率だと思ったようだ。頑として反対した。こうして私は、合格の喜びに浸る間もなく、急転直下奈落の底に突き落とされた。 それから3日後。両親と私は、祖父母宅を訪ねることになった。私は祖父に問われるままに、「僕の夢は中日友好の伝導者になることなんだ」と夢を語った。それを聞くや否や、祖父は「若者の未来は、若者自らが決定するべきものだ。本人の考えを尊重してやろう」と両親を説得してくれた。祖父は第2次世界大戦の生き残りだが、意外なことに私を応援してくれた。当時の私は藁にもすがる思いだった。そのと
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