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ブックマーク / apeman.hatenablog.com (25)

  • 前エントリへの補足 - Apeman’s diary

    「公娼制は当時においては当たり前のことだったんだから、慰安所を作って何が悪い?」論者たる右派こそが、1991年までの日政府をだれよりも批判しなきゃならないんですよ。だって、彼らによれば旧日軍「慰安所」にはなにひとつ問題はなかったわけでしょう? だったら、日政府は最初から軍と政府の公式な関与を認めるべきだったわけです。姑息な嘘をついて自らの外交的選択肢を狭めるような愚かなことはせずに。中曽根康弘に対しても「なぜお前は嘘をつくのだ?」と糾弾してしかるべきなんですよ。 ……ってまあ、日政府や中曽根康弘がなぜ嘘をついたかを考えれば、「慰安所つくって何が悪い?」論の破綻は自ずと明らかになるってことなんですけどね。

    前エントリへの補足 - Apeman’s diary
  • 右派は恨む相手を間違えている - Apeman’s diary

    「日は慰安婦問題で世界から誤解されている」「誤解されたのは吉田清治/朝日新聞/韓国ロビーのせいだ」という右派の認識そのものが「誤解」であることはいまさらいうまでもありませんが、ひとまず「誤解されている」という仮定を受け容れてみることにしましょう。では、一体誰が悪いのか? そもそもこの問題で日政府が主導権を握れなくなったのは、「民間業者が連れて歩いていた」などという稚拙な嘘をついたからです。こんな大嘘をついた政府の言うことがそうそう簡単に信用してもらえるわけがありません。さらに、「慰安婦」問題が注目を浴びた1990年頃であれば、自民党にも元軍人、元内務官僚の政治家が少なからずいたわけです。主計将校として「慰安所」設置に尽力した大勲位を筆頭に、です。彼らが率直に事実を話していれば、日政府のペースで「慰安所」制度についての認識が形成される可能性はあったのに、彼らは沈黙を守っていました。 そ

    右派は恨む相手を間違えている - Apeman’s diary
  • m-matsuoka さんが「死ぬほど考え抜いて」みたら中共と同じ結論に到達したよ!(追記あり) - Apeman’s diary

    m-matsuoka これはひどい, 南京事件, 歴史 人口が30万以上だから30万殺せたはずという虐殺があったことを前提にしたハチャメチャな論。id:hahiho←軍の殲滅は兵隊皆殺しにあらず。組織的行動力を奪うこと。id:Gl17←30万人も殺された中国軍は無能の塊でしたね。 2012/06/14 (http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20120614/p1) m-matsuoka 南京事件, 歴史 id:Gl17←中国軍が南京防衛できなかった無能を指摘したら、30万人説への抗弁だとか、相変わらずピントがぼけぼけの反論ですか。あなたは死ぬほど考え抜いてからコメントしたほうがよいですよ。 2012/06/15 (http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena

    m-matsuoka さんが「死ぬほど考え抜いて」みたら中共と同じ結論に到達したよ!(追記あり) - Apeman’s diary
  • 「日中歴史共同研究」への識者評 - Apeman’s diary

    「日中歴史共同研究」については案の定産経新聞が熱心に報じているので助かりますね。 【日中歴史研究】私はこう読む 現代史家の秦郁彦氏 「日弾劾色」に変化 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010010002-n1.htm 南京事件について、中国側の報告書は典拠を明らかにした事実関係の記述にほぼ終始しており、日の弾劾から始まるプロパガンダ色が強かった従来の歴史論文と比べると、大きく変わったという印象を受ける。 事件の事実経過に限れば日側とほぼ同じと言っていいが、大きく違うのは「30万人以上」とする被害者総数だ。報告書では中国側の軍人参戦者を計15万人とし、市民の被害者については、ほぼ唯一の推計である「スマイス報告」から約3万人とする数字を挙げている。しかし、これだと軍人が27万人殺されたことになり、15万人の参戦

    「日中歴史共同研究」への識者評 - Apeman’s diary
  • 「日韓歴史共同研究」とナショナル・ヒストリー - Apeman’s diary

    先日報告書が発表された第二期の「日韓歴史共同研究」については、まだ第3分科会(近現代)と教科書小グループの目次に一通り目を通して、いくつかの論文を斜め読みした程度なのだが、「日中歴史共同研究」と比較すれば(政治外交史や軍事史以外の)多様なアプローチが採用されている点は注目に値する(これは第一期についても言える)。他方で、「日中共同研究」よりも問題をはらんでいるのではないかと思われる点もある。「黙然日記」さん経由で「古田博司」という名前を目にしたのでその業績を調べたところ、「あちゃ〜」と声を上げてしまった。 http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166605200 この点については ni0615 さんが詳しく紹介されています。なお、「「韓国は外国人に地方参政権を与えた。日も見習え」といわれたら」と

    「日韓歴史共同研究」とナショナル・ヒストリー - Apeman’s diary
  • 『新・現代歴史学の名著』 - Apeman’s diary

    関連エントリ 「日中歴史共同研究」執筆者の「歴史認識」論 「説明」と責任(特に後半部分) 樺山紘一編著、『新・現代歴史学の名著』、中公新書 買ってきたばかりでまだ読んでない。ということで実はこのについてではなく、上の「関連エントリ」で問題にした、「進歩派」の歴史認識についての「保守派」の認識について(「進歩派」の論調の変化をほぼ冷戦の崩壊という事情に還元する説明について)。 書がとりあげている「名著」のリストは以下の通り。 ニーダム、『中国の科学と文明』、1954〜 梅竿忠夫、『文明の生態史観』、1967 ゲイ、『ワイマール文化』、1968 ウォーラーステイン、『近代世界システム』、1974〜 ル・ロワ・ラデュリ、『モンタイユー』、1975 ギンズブルグ、『チーズとうじ虫』、1976 ル・ゴフ、『もうひとつの中世のために』、1977 サイード、『オリエンタリズム』、1978 網野善彦、

    『新・現代歴史学の名著』 - Apeman’s diary
  • 「事実であろうと、なかろうと」 - Apeman’s diary

    サブタイトルは「事実に対するシニシズム」 >b:id:gouk cf. http://b.hatena.ne.jp/gouk/20100126 , http://b.hatena.ne.jp/gouk/20100127 , http://gattee.net/talk/201001/201001post-89.html まずはじめに。私たちは通常ひとの言うことをいちいち眉に唾つけるような態度で聞くわけではないし、また関心事は人それぞれ、同じひとでも文脈によりそれぞれであるわけだから、「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした」だとか、“ゴボウをべさせただけで死刑になった日兵がいる”といった記述をついついスルーしてしまうことがあるのはまあやむを得ないことであります。 そうはいっても、特に“ゴボウをべさせただけで死

    「事実であろうと、なかろうと」 - Apeman’s diary
  • その論法は…(追記あり) - Apeman’s diary

    捕鯨についてはちゃんと調べたことがないので、「捕って問題ないなら捕りゃいいし、疑念があるなら止めりゃいい」と思いつつなぜ農林水産省があれほど懸命になるのかその裏はなんだ? という程度なんですが、Dr-Setonさんの一連のエントリは当ブログの名称とも深い関係があるのであえて触れてみます。 自滅する捕鯨 続 自滅する捕鯨 新 自滅する捕鯨 自滅する捕鯨 征服 最後の 自滅する捕鯨 国際社会で自国の主張が通らない時に、それをぜんぶ外国のせいにしてさらには「人種差別だ」とか言い出すのは、まさに満州事変後の日そのものなんで、それはヤバいですよと。自国の主張を通したいのならなおさら、国際社会がなぜ反対しているのかをきっちり理解しないと。 ブクマコメントより rna 「捕鯨をしなくてもいい理由(若しくは捕鯨の範囲を限定する理由)が繰り返し強調されますが、いくら捕鯨が必要ない理由を挙げてもそれが捕鯨を

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  • NHK「シリーズJAPANデビュー」に自民議連が質問状? - Apeman’s diary

    ZAKZAK 「日台双方で批判続出…NHK「偏向報道」政界に波及 5日放送「アジアの“一等国”」自民議連が意見書」 NHK総合テレビが5日に放送した「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの"一等国"』」の内容に対し、有識者らが「偏向・歪曲報道」などと批判している問題で、自民党の保守系議連「日の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)が近く、同局に質問状を提出することが20日、分かった。問題はついに政界に波及することになった。 番組は、日清戦争後の日による台湾統治について、一等国を目指して統治の成功を海外に誇示したが、日台間の格差と同化という矛盾を抱え、やがて皇民化運動で日文化を強制した−などと放送した。 これに対し、日台の文化交流を進める民間団体「日李登輝友の会」(小田村四郎会長)は10日、「日が一方的に台湾人を弾圧したとするような史観で

    NHK「シリーズJAPANデビュー」に自民議連が質問状? - Apeman’s diary
    Listlessness
    Listlessness 2009/04/23
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  • 「白燐弾」をめぐって問題にすべきことは何か - Apeman’s diary

    「どんな兵器で殺されようが殺されることに違いはない」といった主張は、たいていの場合シニシズムの発露でしかないとは思うが、たしかに一面の真理をついてはいる。人間というのはいかなる武器・兵器も用いることなくきわめて残虐なことを行いうる想像力(と想像力を遮断する能力)を持っているからだ。とはいえ、どのような兵器をどのように用いるかに軍事思想が現われるわけだから、やはりガザにおける白燐弾の使用を問うことに意味がないわけではない。 その前にちょっと遠回りして、白燐弾の使用それ自体ではなく白燐弾をめぐるネットでの議論について。mojimojiさんのところに書いたコメントに加筆しつつ。 特定通常兵器使用禁止制限条約の議定書IIIは、白燐弾を名指しで「違法」としたり「合法」としているわけではない。問題は「物に火炎を生じさせ又は人に火傷を負わせることを第一義的な目的として設計された武器又は弾薬類」「焼夷効果

    「白燐弾」をめぐって問題にすべきことは何か - Apeman’s diary
  • 戦う相手を間違えてるよ - Apeman’s diary

    は〜そうですか、という感想に尽きると言ってもよいのだが。 革命的非モテ同盟 「ヘイトスピーチは罪ではない」 「罪」というのが「犯罪」という意味なのだとすると、現在の日において「ヘイトスピーチ」が「罪」でないのはその通りだし人権擁護法が(先の政府案のようなかたちで)成立したって「罪」ではないし、現在の日においてヘイトスピーチを刑事罰の対象としようとする具体的で影響力のある運動は存在しない。だからなに? 他方、「罪」の外延を“倫理的な非難に値すること”と考えるならば、ヘイトスピーチが「罪」であることは私には自明であると思える。「ヘイトスピーチを含めて何かを発言することそのものは人間にアプリオリに与えられた所与の権利」だ、っていうならヘイトスピーチが「罪」なのも「アプリオリ」に決まってることですよ。この人は「アプリオリに与えられた所与の権利」が「何かを発言する」権利だけだ、とでも考えてるのだ

    戦う相手を間違えてるよ - Apeman’s diary
  • 『「戦争」の心理学』(その1) - Apeman’s diary

    デーヴ・グロスマン&ローレン・W・クリステンセン、『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』、二見書房 エントリタイトルに「(その1)」とあるのは書が2分冊ということではなく、全4部中の2部を読んだ段階でのエントリだから。 当ブログでもしばしば言及している『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)の著者グロスマンと、警察による武力行使についての研究家であるクリステンセンの共著。最初の2部では戦闘(書では軍隊だけでなく警察が関わる銃撃戦なども含む)の際にみられる生理学的変化(脈拍の上昇、アドレナリンの分泌、失禁などなど)および知覚の歪み(視野の狭窄、微細運動能力の喪失、選択的聴覚抑制/音の強化、時間延長、記憶の歪み等々)が豊富な実例とともに解説されている。 著者らが行なっている問題提起として興味深く、また裁判員制度の導入が決まっている日で真剣に受けとめられるべきだと思

    『「戦争」の心理学』(その1) - Apeman’s diary
  • 「コミンテルンの陰謀」説に「当時の価値観」で反論する - Apeman’s diary

    1937年の日中戦争勃発当時、外務省の東亜局長だった石射猪太郎の日記より。 8月19日 (…) ○日石原莞爾の河相情報部長に内話する処によれば、支那軍に徹底的打撃を与える事は到底不可能と、私の予見も其通り。日は今やソビエットの思う壷に落ち込みつつある。(…) 8月29日 ○とうとう蘇支不侵略条約だ。 支那をここまで追込んだのは日だ。之で日支防共協定の理想もケシ飛んだのである。 イラザル兵を用いて、ヘマな国際関係をのみ生み出す日よ、お前は往年の独乙になる。 (…) 9月2日 (…) ○米国の一新聞の云わく、日は何の為に戦争をして居るのか自分でも判らないであろうと。 其の通り、外字新聞を見ねば日の姿がワカラヌ時代だ。 9月3日 ○イギリスでは対日感情が悪くなって、商売にも差支えが出来て来たと正金*1に入電あり。 さもあるべし。英はまだ好い。 アメリカをおこらせたら事だ。自重して居る

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  • 「田母神論文」を擁護する人びと - Apeman’s diary

    「黙然日記」さんが「田母神論文」についての産経新聞【正論】を2編、紹介されています。手放しの擁護と言ってよいのが小堀桂一郎の「空幕長更迭事件と政府の姿勢」。しかしなんですな、あの駄文を指して「これだけ多くの史料を読み、それについての解釈をも練つて、四百字詰め換算で約18枚の論文にまとめ上げられた、その勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作」などと評するのはなかなか容易なことじゃないと思いますが、仮にも学者なら。いったい誰に魂を売ったらこんなことができるようになるんでしょうか。全身の好意を振り絞って好意的に解釈するなら「空幕長といふ激職にありながら」がエクスキューズにはなっているのかもしれません。しかし、「あれが多忙を言い訳にできるような水準のものか?」という根的な疑問をあえて(そう、断腸の思いで)脇においたとしても、もし田母神元空幕長が言行一致の人間であったとすると、このエクスキュ

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  • シーファー駐日米大使、原爆投下に言及 - Apeman’s diary

    ・・・上の話題と関連することとして。 2008/08/01 西日新聞(夕刊) 高校生に「原爆正当」 シーファー駐日米大使「被害者最少限に」 福岡県宗像で講演 シーファー駐日米大使が1日、福岡県宗像市で開かれている高校生対象の「第5回日の次世代リーダー養成塾」(塾長・御手洗冨士夫日経団連会長)の特別講座に招かれ、「私が高校生だったころ」をテーマに講演した。質疑応答で、高校生から「原爆投下は必要なかったのでは」と問われた同大使は、「戦争被害者を最少限に抑えるためだった」などと答え、広島、長崎への原爆投下の正当性を主張した。 (中略) 質疑応答では、2人の高校生が「原爆投下は正しかったと思うか」「長崎の原爆投下は必要なかったのでは?」と質問。シーファー氏は「(原爆投下に)賛成しないまでも理解できる」と前置きした上で、「降伏しない日に原爆を投下したのは、より多くの人命が失われないためだった

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  • 古森義久氏、中国・北朝鮮の放送メディアを賛美! - Apeman’s diary

    映画『靖国』の一般公開が危うくなったその日にこのようなエントリがアップされたのはなかなか興味深い符合です。 朝日新聞が「日の国益」主張を叩く――NHK国際放送で「日」を主張するな、とは 引用されている記事中の上智大学音好宏教授のコメント、「国営放送的なものに耳を傾ける人は少ない」とか「公正中立なニュース提供が報道への信頼と日の民主主義の成熟を示すことになる」は至極もっともだと思うのだが、古森氏はお気に召さないようです。 メディアが外国へのメッセージで自国の主張や事情を伝えると、対外的に信頼を失うというのは、おかしな理屈です。北京放送が中国の主張を伝え、平壌放送が北朝鮮の主張を伝えても、両国が独裁国家であっても、その放送がその国の主張を正確に表明しているという点では放送メディア自体への信頼が失われることはないでしょう。 笑ってしまいますね。新華社の報道がチベット問題についての「中国政府

    古森義久氏、中国・北朝鮮の放送メディアを賛美! - Apeman’s diary
  • 「軍命令」をめぐって - Apeman’s diary

    沖縄戦における「集団自決」をめぐる教科書検定問題については、これまで福田内閣の姿勢を「融和的」と評してきたわけだが、結局のところ「直接的な軍の命令だったことを示す根拠は確認できない」(強調引用者)という姿勢は崩さなかったようだ。強調箇所は慰安婦問題をめぐる「狭義/広義の強制」云々といった議論を連想させるが、「直接的な軍の命令」ということで一体なにを意味しているのだろうか? 従来「軍命令」があったと主張してきた論者も、別に大営が命じたとか第32軍の参謀部が起案して牛島司令官の名前で発せられた命令があったはずだ…などといったことはもちろん言っていない。「命令する側の論理」ではなく「命令される側の論理」で考えるなら、初年兵は古参兵の褌を洗濯させられる時にも「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ」であって、「それは軍の直接の命令でありますか?」などと尋ねようものなら、

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  • じゃ、3分で読めるようにまとめましょう - Apeman’s diary

    「三十分で読めるサイト」がお望みだと某所で聞いたので、30分と言わず3分で読めるように「差分」をまとめてみましょう。 捕虜殺害についての秦郁彦の推定(幕府山のことだけを考えても明らかに過少だけど)を採用したとして、短期間に3万人もの捕虜を殺害したという事例は、近現代の戦争史において特筆に値する。投降してくる兵士を捕虜にせずに殺してしまう、というのはたしかに多くの軍隊に見られる現象だが、武装解除していったん兵舎に収容した捕虜を万の単位で殺害する、などということはそうそうあることではない。 南京の日軍は、少なくとも師団レベルで組織的に捕虜を殺害している。上海派遣軍参謀だった長勇が「ヤッチマエ」と命じたという証言が正しいとすれば(そしてこれについては偕行社の戦史も事実だろうと認めている)軍のレベルで収容した捕虜の殺害を組織的に行なったことになる。いずれにしても近現代の戦争史において特筆に値する

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  • 沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定をめぐって - Apeman’s diary

    多くの人々が亡くなったばかりの時点でこういうことを書くのはちょっと不謹慎のような気がして控えていたのだけれども、二つの出来事を対比してみる時どうしても頭を去らないことがある。ビルマ軍がデモ隊を武力鎮圧し日人カメラマン長井健司さんが亡くなったことに対して、ビルマ政府に抗議しその責任を追及することに疑問を差し挟む見解というのはただの一つも見かけなかった(もちろん、私がみた範囲で、だが)。しかし「外国人ジャーナリストを射殺せよ」に類する軍中央なり政府なりの「命令書」が見つかったという事実はもちろんないわけである。外国人ジャーナリストを特に指定して射殺せよという命令が出ていたか否かはビルマ政府(軍)の責任を論じるうえで二次的、三次的な問題でしかない、と考えるならば、同じロジックは旧日軍の戦争責任を考える際にも用いられねばならないだろう。 さて、11万人を動員した沖縄県での県民大会を受けて、政府

    沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定をめぐって - Apeman’s diary
    Listlessness
    Listlessness 2007/10/15
    "肝心なのは、この一連の出来事を「沖縄県民の声と、それを支持する他都道府県市民の声によって検定を事実上撤回させた」という物語に還元してしまうことなく、当初の検定の不当さをきちんと明らかにし記憶し続ける"
  • そもそも教科書の記述はどう書き換えられたのか - Apeman’s diary

    承前。 個人的には、直接の介入と間接的な影響力の行使とか、氏が参照している歴史研究者の抗議内容のように直接的な命令や暴力による強制と実行を容易にしたりそのような行動を選好するように誘導することを区別しない思考というのは非常に法的ではないなあと思うわけであるが、もちろん法的だからえらいとか正しいとか言いたいわけではない。 強調は引用者。かの「かなり心の狭い学究」氏はそもそもどのような記述にどのような根拠でどのような検定意見がついたのかをご存知なのかどうかという問題。結果次第では「狭い」のは「心」だけではなかろうということになると思われる問題について。 沖縄タイムス 連載「『集団自決』」検定(2) 軍隊(4月28日朝刊総合1面) 「軍の姿」都合良く変更 教科書準拠では実相伝えられず 東京書籍の「日史A」の検定申請は、沖縄戦の犠牲者を十五万人余と説明、続けて「そのなかには、日軍がスパイ容疑

    そもそも教科書の記述はどう書き換えられたのか - Apeman’s diary
    Listlessness
    Listlessness 2007/10/15
    politicsタグはつけるの迷った。