2009年7月8日のブックマーク (6件)

  • イケメン童貞ヴァンパイア - 成馬零一が考えていること。

    http://ktv.jp/vampire_love/index.html 嘘、正式タイトルは『恋して悪魔 〜ヴァンパイア☆ボーイ〜』。 でも俺の中では『イケメン童貞ヴァンパイア』。 火曜10時フジ枠のイケメンドラマだが面白かった。 中山優馬演じるルーマニアから来たイケメン高校生(実はヴァンパイア)の物語なのだが、共演の桜庭ななみ目当て(彼女は相変わらずもっさりしたアホっぽい喋り方しててグッド)で見ていたら、思いのほか共感して見てしまった。 主人公のヴァンパイアはどうやら大人になるために人間界に来たらしくて、吸血鬼は人間の血(もちろん女)を吸わないとヴァンパイアの世界に戻れないらしい。でも彼は人間が大嫌いで、汚いものと考えていて、血を吸うのをためらってる。それでマッチ演じるヴァンパイアの先輩みたいな奴に「人間が豚肉をう時に自分より下等とか考えないだろう。とっとと吸っちまえよ」みたいなこと

    イケメン童貞ヴァンパイア - 成馬零一が考えていること。
    LittleBoy
    LittleBoy 2009/07/08
    "今の女性アイドルに求められることは同世代の中高生にとって等身大の分身としての役割で、下手に可愛かったりオシャレだったりというオーラをまとうことを禁じられてる"
  • 宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る(前編)

    アニメ『機動戦士ガンダム』の監督として知られる富野由悠季氏が7月7日、東京・有楽町の日外国特派員協会に登場し、講演を行った。『機動戦士ガンダム』の放送30周年を機に招かれたもので、50人ほどの記者や一般参加者を前に、自らの半生や映画哲学などについて語った。 率直な語り口が特徴的な富野氏。今回もしばしばヒートアップしながら、30分ほどの講演と1時間ほどの質疑応答が行われた。前編では講演の内容を詳しくお伝えする。 50~60年前、僕が子どもの時代(富野氏は67歳)には、漫画と言われているものは基的にゴミ箱に毎日捨てられるようなものでした。また、アニメではなく漫画映画と言われているような特別なもの、ディズニーの長編漫画映画に代表されるようなものしかありませんでした。 それでも、長編漫画映画としてのディズニー作品だけは特別でした。僕が小学校の時代に学校のクラス単位で映画を見る時間があって、その

    宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る(前編)
  • 峯田和伸の★がぶがぶDIEアリー : わらうよ。いつまでも。きみが望むなら - ライブドアブログ

    なにもない、退屈以外なにもない寒空に覆われた街にうまれ、 ある日音楽をみつけ、パンクをみつけ、そしてパンクに絶望した。 そんな少年たちが四人、集まった。 そして少年たちはバンドを組んだ。 やがて少年たちはメロディーを手にいれた。 イギリスのパンクバンド、MEGA CITY FOURのファーストアルバムが発売されたのが1989年。 僕がレコード屋でこの作品のアナログレコードと出会ったのは2001年の春先。 スタジオでの練習前に立ち寄った際の出来事だった。発見したときはあまりにも嬉しくて店内で叫びたかったほどだった。(毎日のように中古レコード屋に通いつめてお目当て品を探す方々にはわかって頂けるはず!) しかも僕が手にしたそれにはメンバー四人による直筆のサインまでも。 スタジオでは練習そっちのけでバンドメンバーに声高らかに自慢しているのを今でもおぼえてる。 MEGA CITY FOURのシンガー

  • 時代が求める批評型アイドル - 笑いの飛距離

    昨日のダイノジのよしもとオンラインを見ました。 NON STYLEの代わりに急遽出演でしたが、「音楽裏ノジ」と題して、ジャニーズの嵐がどんなに素晴らしいかを熱く語るダイノジ。そこからPerfumeやSMAP等のJ-POP、さらにはアニメやプロレス、お笑い論にまで発展して、ダイノジらしい濃い、濃すぎる80分でした。 今回は、題の嵐に付随して出てきた話題について印象に残ったところを書き起こしてみます。 ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2013年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: ロッキング・オン発売日: 2013/09/30メディア: 雑誌この商品を含むブログ (1件) を見る 熱すぎるダイノジ 2009年7月7日配信の「よしもとオンライン」。ダイノジ「音楽裏ノジ」。 NON STYLEの代わりで登場したダイノジ。最初の挨拶。 大谷「さあ!来、NON

    時代が求める批評型アイドル - 笑いの飛距離
  • ナンシー関の意外な無邪気さ- 死んだ目でダブルピース

    ひさびさにナンシー関のエッセイを読み直してみた。 テレビの裏側をえぐるような視点を持ってる人、という印象があったのだが、読み返してみると、意外と「見たままの感想」が多いように感じた。というか「作った側の視点」については、全然興味が無さそうなのだ。 もちろん芸能人を見すえる視点はかなり厳しくて、ちょっとでも隙のある発言をすると、そいつが腹の底で考えているであろうホンネを容赦なく暴きにゆく。……のだが、たとえばバラエティ番組の演出に関しては、まったく無防備に受け入れているように思えてならない。 たとえばウド鈴木について書いた、この文章。 この「電波少年インターナショナル」の「キャイーンのはじめてのおつかい」では、ウド鈴木の「保護される者」性がいかんなく発揮されていた。「保護しなきゃいかん」性といったほうがいいかもしれないが。 ロンドン経由でオランダに入り、ドイツとの国境に行くというのがウドに課

    ナンシー関の意外な無邪気さ- 死んだ目でダブルピース
  • “相方を連れ去られた者”同士が語る『電波少年』とは何だったのか

    かつて、多くの若手芸人の人生を狂わせた伝説のバラエティ番組があった。その名は『電波少年』(日テレビ)。猿岩石の大陸横断ヒッチハイクツアー、なすびの懸賞生活など、若手芸人を半ば強制的に巻き込んだ過激な企画の数々が話題を呼んだ。高い視聴率を誇っていた同番組は、無名芸人が一夜にしてスターへと生まれ変わるシンデレラストーリーを次々に生み出していった。 そんな中で、時代に取り残された芸人もいた。コンビの相方が『電波』に連れ去られ、スターになっていく過程を指をくわえて眺めているしかなかった男たち。その1人である幽谷マサシ氏は、そんな自分の境遇を『すべる時間』(太田出版)という小説にまとめて、「第2回hon-nin大賞」を受賞した。そんな幽谷氏と、同じく相方を『電波』に連れ去られた経験を持つ元・クールズの森脇優雅(プロダクション人力舎)の2人に、当時のことを振り返って語ってもらった。彼らにとって、また

    “相方を連れ去られた者”同士が語る『電波少年』とは何だったのか