北島康介が現役引退を表明しました。 オリンピックに4度出場し、金メダル4、銀メダル1、銅メダル2の計7メダルを獲得。世界選手権・・・続きを表示 ●「チョー気持ちいい」(2004年、アテネ五輪) ●「何も言えねぇ」(2008年、北京五輪) ●「理想の泳ぎでパーフェクトだと思います」(2008年、北京五輪) ●「自分でもさすがと思う」(2012年、日本選手権でロンドン五輪出場を決めて) ●その他
北島康介が現役引退を表明しました。 オリンピックに4度出場し、金メダル4、銀メダル1、銅メダル2の計7メダルを獲得。世界選手権・・・続きを表示 ●「チョー気持ちいい」(2004年、アテネ五輪) ●「何も言えねぇ」(2008年、北京五輪) ●「理想の泳ぎでパーフェクトだと思います」(2008年、北京五輪) ●「自分でもさすがと思う」(2012年、日本選手権でロンドン五輪出場を決めて) ●その他
まるで、『オーラの泉』。煌びやかなシャンデリアの下、豪奢なソファに座る姿勢はピンと伸び、太く伸びやかな声は、優しくこちらの耳に届く。御年80歳の現在も、若かりし頃と同じく2オクターブ半の音域を保っているというのも納得だ。 Number890号の取材で浅田真央選手の魅力について語る美輪明宏さんは、テレビや舞台で見る姿と同じく、圧倒的な存在感を放っていた。17歳で歌手デビューして以来、映画界や演劇界、文壇からスポーツ界まで、数々の著名人と交流を深めてきた方だから「私は比較することができるのです」と語る。 では、著名人の中でも「国民的スター」となるための条件は。この質問への答えとして美輪さんが挙げたのが、「人間性」だった。 人間としての基本ができている。 「長嶋茂雄さんも王貞治さんも、国民的な人気となりましたけど、2人とも礼儀作法や言葉遣い、たしなみがきれいで、奥ゆかしさがあります。人格者で義理
今年2月、ソチ五輪でフリープログラム「ビートルズメドレー」を踊る高橋大輔。これが公式戦での最後の演技となった。 10月14日、28歳での現役引退を宣言した高橋大輔。3度の五輪に出場してきた彼の歴史は、日本男子フィギュアの歴史に他ならない。その軌跡を10年間の取材ノートと共に、もう一度追い掛けてみたい。 高橋を取材したノートは'05年春から始まる。日本スケート連盟関係者からヒアリングしたメモには、「才能があるが、本番に弱い『ガラスのハート』」と記されている。'05年3月の世界選手権ではミスが相次ぎ、15位。'06年トリノ五輪の出場枠を「1」しか獲得出来なかったことも理由のひとつだろう。 高橋の最大の幸運は、コーチの長光歌子に出会えたことだ。「何があっても私は最後まで大輔を見守る」と覚悟を決めた彼女は母親代わりとなり、'05年夏からは2人でアメリカへ。熱血漢のロシア人、ニコライ・モロゾフの指導
痛々しい治療跡を見せたまま、最後まで滑りきった羽生。フィギュア界だけでなく、他のスポーツジャンルからも、その強行出場と現場の医療態勢を巡って議論が巻き起こっている。 何という大会になったのか――。11月7日から上海で開催された中国杯は、誰も予想していなかった前代未聞の事態が起きた。 男子フリー最終グループの6分間ウォームアップの最中に、羽生結弦が中国のエン・カンとフルスピードで激突するというアクシデントが起きたのだ。 氷上に倒れた2人のうち、カンが先に自力で起き上がった。羽生はしばらく苦しそうに激しく呼吸をしている様子が見てとれたが、ようやく到着した救急班に支えられて身を起こした。こめかみとあごの傷から流れた血が首をぬらすという悲惨な姿だったが、自力で氷から上がった。よほどの痛みだったに違いない。顔はすっかり青ざめ、目もうつろになっていた。 本人の強い意志で競技決行。 まさかこのアクシデン
雑誌『Sports Graphic Number』864号に掲載されたコラム 「高橋大輔の現役引退に、盟友チャンが送った言葉」。 チャン選手が尊敬する高橋選手に、真に伝えたかったことは何なのか? 今回はWeb用に加筆修正されたバージョンを特別配信いたします! 10月14日、高橋大輔が岡山市でアマチュア競技からの引退を宣言した。 怪我の影響でソチ五輪6位に終わった後、1年間競技を休むと宣言。だが「1年かけて考えようかと思ったけれど、やっぱりシーズンが始まる前に言おうと思った。(シーズンがはじまると)他の選手がモチベーションを上げていく中で、迷惑をかけたくないなと思った」と会見で語った。日本のエースとして、常に周りへの配慮を忘れなかった高橋らしい決断だった。 3回の五輪を戦ってきた28歳の高橋の引退宣言は、まったく予想できないものではない。それでも後輩からの人望も厚く、日本男子を世界のトップレ
NHK杯のSPで、シーズンベストを出した高橋大輔。フリーの後、「(今の出来は)50%くらい。欲張れば30%くらい」と今後への意欲を見せた。 NHK杯が終わり、フィギュアスケートのグランプリシリーズ6大会が終了した。 12月6日にソチで開幕するグランプリファイナル進出者も決定した。 その顔ぶれを眺めれば、あらためて日本男子の躍進が目をひく。すでに進出が決まっていた小塚崇彦、町田樹に、NHK杯で優勝した羽生結弦、2位の高橋大輔が加わり、6名中、4名を日本勢で占めたのだ。過去最多である。さらにファイナル進出はならなかったが、無良崇人のフランス大会でのグランプリ初優勝があり、織田信成もスケートカナダで3位と表彰台に上るなど、故障明けのシーズンで一定の成果をあげている。驚くべき層の厚さである。 それは今後の日本代表争いの激化も意味する。 町田、羽生……若手の勢いに危機感を募らせる高橋大輔。 「来年3
NHK杯のSPで、シーズンベストを出した高橋大輔。フリーの後、「(今の出来は)50%くらい。欲張れば30%くらい」と今後への意欲を見せた。 日本男子の可能性を切り拓いてきた高橋の多大なる功績。 ただ、高橋が追いかけてきたときと少し異なるのは、彼が切り拓いてきた場所の大きさだ。 グランプリシリーズで優勝を含め何度も表彰台に上り、世界選手権で優勝し、ついにはバンクーバー五輪で日本男子初の銅メダルを獲得した。 類まれな、彼ならではの観客を引き込む力とともに、日本男子がどこまで到達できるのか、ひとつひとつ形にして見せてきたのが高橋である。 その活躍に、他の選手も大いに刺激を受けてきた。 「高橋選手に負けまいとやってきて、ここまで来ることができたと思います」 と、以前、織田が語ったことがある。 「バンクーバーで銅メダルを見せてもらって、『次は僕も』と思いました」 とは、小塚の言葉だ。五輪の次のシーズ
わずか14歳で4回転を跳び、18歳で初の五輪を経験。 失意の時期も乗り越え、'11年に2度目の世界女王に輝くも、 選手人生の絶頂期に休養を宣言。約2年の月日が流れたが、 人々は何故、美姫がいればと想像し、復帰を待ち望むのか。 公私に渡って支え続けてきた関係者たちの証言から、 見る者すべてを惹き付ける、彼女の魅力の秘密を探った。 両手を開き、指先を嬉しそうに眺める。 「この爪、安藤がきっかけなの」 城田憲子の10本の爪には「銀ラメ」のマニキュアが施されていた。 城田は、日本スケート連盟の元強化部長だ。そのときの縁で、女子フィギュアスケーターの安藤美姫とは、今も親交が続いている。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 5387文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく Number
フィギュア不毛の地と呼ばれる韓国。そんな場所から突如現われた、銀盤の女王。なぜ彼女はこれほど強くなれたのか。その秘密を探るため、故郷を訪れコーチたちに話を聞いた。 かねがね、キム・ヨナの存在を不思議に感じていた。なぜ、韓国の土壌から2009年の世界選手権を制し、バンクーバー五輪の金メダル争いで本命視されるような突出した存在が生まれたのだろうか、と。 バンクーバー五輪の韓国女子フィギュア代表の枠は2つだ。もうひとつの枠を確保したクァク・ミンジョンの目標は、初日のショートプログラムで足切りを食らわず、2日目のフリー演技の舞台に立つことだという。ヨナと自国の2番手の代表選手には圧倒的な実力差がある。振り返ってみても、韓国女子フィギュアの選手の名はヨナ以外思い浮かばない。 だからこそ、ヨナについて勝手な想像をめぐらせてしまう。 例えば、裕福な家庭に生まれた子だろうとか。韓国では'88年のソウル五輪
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