当月は上伊那ぼたんの新刊も発売され、たくさんの感想をWeb上で拝見している。とても嬉しい。 このインナー、わりと手癖で描いてますたまに目にする感想の一類型として、「作中に出現する情報全てを理解できないので、作品が十分に楽しめていない気がする」というものがある。どういうことか。 たとえば、私たちは日々、一定のコンテクストを共有して会話を成立させる。 私たちがビル・エヴァンスやスラヴォイ・ジジェク、あるいはウィリアム・フリードキンについて語るとき、<この世界の私たち>は第四の壁を想定した、説明的な語り方を採らない。 私たちにとっての”自然な語り”とは、固有名そのものが無遠慮に布置され、コンテクストを共有しない第三者にとって容易に理解し難い<コード>の体をなす。 『上伊那』では、上記のような固有名を中心に据えた会話がしばしば交わされる。 読者諸兄は、自分にとって未知の固有名が、あたかも会話の中で