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2008年2月9日のブックマーク (2件)

  • 「不自由な存在」と、働くことのモチベーション - ohnosakiko’s blog

    『橋の下のこどもたち』というがある。対象年齢は小学校中学年くらい。アメリカで発表されたのが1958年、日での初版は1966年。 橋の下のこどもたち 作者:ナタリー・サベッジ カールソンフェリシモ出版Amazon小学4年のクリスマスに、親からこのを贈られた。「家のない子ども達とおじいさんの心温まる物語」といった帯の紹介に、なんか夢のなさそうなビンボ臭そうなお話で、気が進まないなあと思ったことを覚えている。当時私が夢中になっていたのは『ナルニア国物語』や「ドリトル先生」シリーズなど、ちょっと現実離れしたわくわくする冒険物語だった。 でも読み始めたらなかなか面白くて、一気に読んでしまった。そして、こないだ数十年ぶりに読み返した。 以下、物語の雰囲気をよく伝えているamazonのレビューから。 アルマン老人は宿無しだ。手押し車一つに家財道具をつめこんで、パリの街を放浪する。仕事も家庭もなく、

    「不自由な存在」と、働くことのモチベーション - ohnosakiko’s blog
  • 「タテマエ」というコミュニケーションコード - 絶倫ファクトリー

    いわゆる「タテマエ」ってのは、立場の違う人間がとりあえず定められたコミュニケーションコードに乗っかることで、トータルのコミュニケーションコストを縮減するためのものだと思う。そしてそうまでしてコストを下げて、摩擦をなくし、コミュニケーションを図ろうとするからには、それなりにコミュニケーションの結果としてのベネフィットが想定されているはず。双方(かどうかは分からないけど)が違う立場に居ながら同じベネフィットを求めるとき、障害となる作法や形式の違いを乗り越えるために、統一的なコミュニケーションコードに則る。これが「タテマエ」であり、最終的に目指すベネフィットが「ホンネ」であると思う。 逆に言えば、コミュニケーションコストを下げていない「タテマエ」は、存在する意味が無い。何のためにわざわざ統一的なコードに則ってやり取りしてるのか。「ホンネ」と「タテマエ」があるのは良いんだけど、何故それが必要でどう

    「タテマエ」というコミュニケーションコード - 絶倫ファクトリー
    Masao_hate
    Masao_hate 2008/02/09
    ”「タテマエ」「常識」「コモンセンス」。その先にあるベネフィットを共有しない人にはそれらから降りる自由があるべき。文句がある人は、オルタナティブなコードを作ればいい”タテマエをツールとして捉える考え方