昨夜はややいい加減にポケットラジオ、スピーカーから垂れ流して深夜の馬鹿力。ポーンっとチャクラが開いた、伊集院光と桜玉吉って似てるところがあるんじゃねえの? って。それで、俺は俺に対して今さら気づいたのかよって思ったんだけれども。 まず、出所が、俺にとっての出所が似てるんじゃねえかって思った。伊集院光がいかなるものかと認識したのは、深夜ラジオだ。深夜ラジオの距離感っていえば、まあそういうもんじゃん。それで、テレビ出てんの見ると、少しはらはらするっつうか、なんていうか、微妙な感覚があるわけじゃん。珍しくコントやったり、すべらない話に出たりしたら、まるで身内がアウェイで戦ってるの心配するみたいな気になる。 一方で桜玉吉。これはもうファミコン通信の『しあわせのかたち』であって、ファミ通の妙なファミリアーな感じの中の身内であって、やはり漫画界みたいな括りの中の外側とか端っこにいるんじゃねえかって気が