台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との食事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕食 台北市立動物園へ 松…
以下から詳述するように、id:Midasには三つの質問がある。といっても、これは大まかな区別であって、質問は山済みと言えるだろう。第一に、私とid:gerlingの議論に対して残したid:Midasのコメントは、「反論」なのか放言なのか。第二に、私が「人工知能、特異点、エージェント、マシンラーニング」について肯定的に評価したと考える理由は何か。そして第三に、id:Midasは「知ったかぶり」でコメントを残したことはあるか。 この三つの質問の鍵となるのは、id:Midasの以下のようなコメントである。「反論とは「論旨」に対しなされるもの。「どっち?」は質問(疑問)。質問に反論があるかとは笑止千万。「どっち?教えて」と書くべき。でなきゃ黙ってな。真理をナメすぎ」id:Midas(著)『はてなブックマーク - 財)パタフィジック収集館ふくろう団地出張所』はてなブックマーク(2009)、閲覧日時:
村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。
祖母の白寿のお祝い 先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。 さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ本格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。 下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々…
◎白洲次郎が戦前に関わっていた、『セール・フレーザー商会』という 会社はいったい何か。以下ネットで拾うことが出来た情報です。 神戸の歴史『九鬼奔流』より、“白洲退三” 帰国後(1928、昭和3年)、(白洲)次郎はジャパン・アドバタイザーという新聞社に就職する。この頃ケンブリッジ留学の経歴を持っていれば、官民の別なく、どんなところへでも就職できただろう。 日本を海外に紹介するこの新聞社をわざわざ選んだのがどういう動機だったのかは分からない。いずれにせよ給与の余りの低さにすぐ退社し、セール・フレーザー商会という英国系貿易会社に転じている。通常の会社の十倍の高給であったという。 <以上引用> 『新潟産業大学HP』より、マーチャント・バンク (pdf) P.18 外貨社債発行状況(明治26年から大正3年)に “北拓債券 500万円 引受人 セール・フレイザー商会”の記載あり。 ※編注:明治末期の5
本来は北海道周辺や深い海にいるホッケやホタルイカなどが三浦市周辺の浅瀬に現れ、漁業関係者を驚かしている。 ホッケを持ち込まれた県水産技術センター栽培技術部の工藤孝浩主任研究員(46)は、「三浦市沿岸でホッケが見つかるのは10年ぶりぐらいだが、それも30メートルより深いところ。こんなに浅い場所は記録がない」と話す。 ホッケは、1月26日、三浦市間口(まくち)漁港の江奈(えな)地区で、釣り船棒面丸の鈴木俊一船長が、湾内にある水深約6メートルの係留所で船を洗っている際に釣り上げた。「アイナメに似ているが違うようだ」と同市にある県栽培漁業協会に持ち込まれたものが、工藤さんの手に届いた。現在、南下してくる親潮(寒流)の勢力が、北上する黒潮(暖流)よりも強く、年間で水温が最低になる時期と重なり、ホッケが浅瀬まで上がってきたと考えられるという。 また、9日に三浦市油壺(あぶらつぼ)の、水深約20〜
【モスクワ大前仁】ロシア訪問中の小泉純一郎元首相が北方領土問題に関して、日露両国が四島の面積を等分に分割する提案へ関心を示した。元首相は「両国が妥当だと思える線でなければ、(領土問題は)まとまらない」などと発言し、今後、「四島返還」に固執しない立場から領土問題の進展を目指す考えを鮮明にしている。 小泉元首相は17日にモスクワで開かれたロシア有識者との非公開セミナーに出席。ワレーリー・ズボフ下院議員(第2与党・公正ロシア)が北方四島の全島の面積を折半する案を説明したところ、「大変に興味深い」と語ったという。小泉氏は翌18日の会見でも、この提案の詳しい説明は避けながら、「領土問題の解決と平和条約を結ぶためには、(提案は)一歩進まなければいけないとの考え方から出ている」と提案に一定の評価を与えた。 小泉氏はまた、日本が四島返還を要求し続ける限り、ロシア側は譲歩しないとの認識を示した上で、「究極の
Midas 純粋に対等な人間関係などこの世にない。ハラスメントから逃れられる言説はないのだ。故にこれを訴訟案件または権力行使として具体化するには経済活動の空間−通常は職場−が必要とされる。本件はそれを満たしてない ああん!? 一文目は良いとして、二文目は「ハラスメント禍を蒙ることのない言説などない」という意味なのか、「ハラスメントであるとの非難を免れ得る言説などない」という意味なのか、どっちだ!? 三文目については、「これ」が何を指しているのか不明だがエントリの内容から言ってハラスメントと捉えるならば、いつも嫁の胸を触ったりパンツを覗こうとする吉田家の義祖父(?)なんてのはどうなるんだ!? 「経済空間」でも「職場」でもないし、家族間でも「訴訟」は起こり得るし、義理の祖父という立場に「権力」はあるだろうが。4文目の「本件」ってなんじゃい。当該エントリでは学部内の事例が紹介されているが、「経済
私は、村上春樹が、エルサレムで語った言葉を、「日本人」として聞いた。 イスラエルは、国家というシステムを切望する情熱から生み出された。私は、その情熱を持っていない。なぜならば、私は「日本人」であることを生まれながらに付与され、特権を享受し、国家に守られて生きてきたからだ。それが当たり前にありすぎて、疑うこともなく育った。システム(壁)の内側の人間である。 村上春樹は、このような「日本人」を相手に小説を書く。読者も、村上春樹を「日本人」だと想定している。「日本人」のコミュニティの中で、「小説家・村上春樹」は存在している。たとえ、村上春樹個人が、日本を嫌って移住しても。 村上春樹は、エルサレムで「私は小説家である」と言った。このとき、「日本人」コミュニティ内での「小説家・村上春樹」と、エルサレムでスピーチを行う村上春樹は接続される。多くの「日本人」は、エルサレムでスピーチする村上春樹を「日本人
<身だしなみ>短いスカート「品欠く」新潟の高校ポスター 2009年02月19日22時22分 / 提供:毎日新聞 極端に丈の短いスカートをはく女子高校生に身だしなみを考えてもらおうと、新潟県高等学校長協会は「女性の品欠く」などと標語で呼び掛けるポスター3種類を作り、県内の高校に配布した。「その足、見られてますよ」と注意したり、「勉強もスカートも、やる気次第でまだまだのびるんだ」と訴えたものなど3種類がある。
【裁判】 「君が代強制が元で、家族を失うのと同じぐらいの喪失感…この苦痛は君が代症候群だ」…砕かれた教師倫理、精神科医が証言 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2009/02/19(木) 17:18:37 ID:??? 東京都教委の「日の丸・君が代」強制に従わなかったことを理由に処分された都立学校教職員六十六人が 処分取り消しなどを求めた裁判の第四回口頭弁論が十八日、東京地裁(中西茂裁判長)で開かれ、精神科医の野田正彰・関西学院大学教授が原告側証人として証言に立ちました。 野田氏は、一次、二次の原告十三人への面接等を通じた鑑定意見書に基づいて 「日の丸・君が代」の強制で原告が受けた精神的苦痛について証言しました。 強制によって子どもの納得のもとに教育をすすめるという「教師としての職業倫理」 が打ち砕かれているとし、「家族や自分の命を失うのと同じぐらいの喪失
小谷野氏からふたたびお返事をいただいた。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090310 宮崎先生からお返事があった。私は、吉田健一がそれほど凄いとは思っていない。アマゾンで『酒宴・金沢』にレビューを書いておいた。 吉田に限らず、「ヨーロッパ人」と日本人を対比させるような「比較文化論」は、1970年代に流行したが、今ではそれらはみな恣意的で、学問としてはダメだということになっている。ヨーロッパ人といったって、長い歴史があり、さまざまな国があり、階層がある。 永遠とか魂とかいうことは、日本の恋にもあった。それはたとえば平安朝の和歌を見れば明らかであろう。「魂ぎる」「暗きより暗きに」「とわ」といった言葉は恋にまつわってしばしば登場する。徳川時代ですら、心中もの浄瑠璃では、後世で蓮の台で一緒になろう、と恋人たちは言う。それが徳川後期になると失われるというのが私
※本文中で言及したaozora21さんのブクマコメントについては、御本人から本記事メタブクマでご指摘があり、再追記しております。 前記事の本文(付記は除く)では、なるべく私的意見や価値判断を含めず、あくまで一般的なセクハラ概念の説明を試みた。私の立場は、「まずセクハラの概念を理解すべき。そうでないと話にならない。その上で、個別の事例をどう見るか、そこでどういう態度を取るか、さらにはセクハラ概念そのものや運用に疑義を呈するか否かという話になる」というもの。 これまで関連記事につけたブコメも、あちこちのコメントも、あまりに意見が錯綜していると思ったのですべて「セクハラ概念を理解すべき」というスタンスで書いている。しかし個人的には、「セクハラだと言われたらともかく謝ってしまえ」とか「どこまでも被害者感情を優先せよ」とは微塵も思っていない。この点、誤解されそうなのではっきりさせておきたい。 で、今
「村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて」 半ば名指しで批判されていることですし、応答したいと思います。 代弁の問題 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日本での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 もちろん、「パレスチナの民衆から見れば」という視点は大事ではあるんですが、この語り方はどう
韓リフ先生⇒柳川範之『独学という道もある』 : 2009-02-19 - Economics Lovers Live その本を読んでないし、独学、というキーワード以外は話題はそれるのだけど。 コンピューターテクノロジーというのは、どうも独学というのが効くみたいだ。なぜかと思ったのだが、学習手順が公開されているというより、現物の全てであるソースが公開されていて、それを読み込めばいいからなのだろう。 他の分野で独学はというと、率直にいうと、最近、私は違うかなと思いつつある。自分がたいした人じゃないので僭越なんだけど、頭のよい人でも専門のある人でも、あれれ、そこの学問の一番基礎的なことや感性が抜けていると思うことが多い。いや、まさに私こそすかすかだんだろうと反省するけど。 学問というのは、サイエンスとアートからなっていて、アート部分の独学というのは効かないのかもしれない。 まあ、あまり否定的にい
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