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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (25)

  • 天皇の利用と使用について - Arisanのノート

    太郎「何が政治利用ですか?」 会見で陛下への手紙は「被曝問題」と明かす http://www.j-cast.com/2013/10/31187810.html人はこう言っているのだが、実際のところどうだったのか。 僕は、天皇に何らかの政治的影響力があると、氏がナイーブに信じてたとは考えにくいと思う。天皇に「直訴」の手紙を渡すことで、天皇人にではなく、社会や政治全体に対して何らかの影響を与えられると考えたのではないか。 だとすれば、これはやはり誤った判断というしかない。 何故かというと、この行動は結局は、天皇という存在を使用(利用というよりも)することで、原発を維持し、現在の体制を存続させようとうる人々のやり口を正当化し、強化する結果しか生まないからだ。 いま、実際にそういう流れになっている。 与野党の政治家たちは、この山氏の行動を「天皇の政治利用」であるとして非難している

    天皇の利用と使用について - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2013/11/02
    「結果的に支配勢力に利用されてしまうからよくない」と言ってるこういう奴が1番バカ。利用されない様にする最良の方法は山本だけでなく皆でお手紙を書くこと。毎年1000万人が礼儀も弁えず直訴大ブームだけが民主主義
  • 欺瞞に満ちた安倍答弁 - Arisanのノート

    安倍首相は、先の猪瀬知事のトルコに関する問題発言と同様に、排外デモやネットを含むヘイトスピーチに関しても、それを支持の拡大ばかりでなく、統制強化のための手段としても利用したいらしい。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130507-OYT1T00902.htm?from=main1 http://www.asahi.com/politics/update/0507/TKY201305070355.html?ref=com_rnavi_arank 改憲への動きは無論のこと、原発推進や閣僚の靖国参拝、朝鮮学校排除などの差別的な政策など、どこを見ても、安倍政権の政治そのものが、国家に従わない者の存在と生存を許さないという、根的な差別性・否定性を社会に蔓延させる最大の力となっていることは明らかだ。 排外デモが、ネットの上から「路上」へと登場したこと

    欺瞞に満ちた安倍答弁 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2013/05/08
    例えば法律で『たんに特定国家や国民を貶める行為を否定する』社会ができたら同時に(日の丸にバツをつける様な)日本国批判も逮捕されるであろう。こんな簡単な事が解らないブログ主やここに集まってる連中↓は大バカ
  • なされるべきであった事 - Arisanのノート

    天皇訪韓という事柄が、はじめてはっきり提起されたのは、金大中政権の時だったはずである。当時僕は、大統領がこれを提起したのは、日との間に「現実的な」関係を作ろうとする選択をしたということだろうと思った。 つまり、植民地支配をもたらした天皇中心の日の国のあり方は、その被害をまともに受けてきた韓国にとって決して望ましいものではないが、その体質を日が自力で変えるということは、少なくとも当面は望み薄だから、それにこだわって交流を損うよりも、それにはいったん目をつぶって交流を進め、互いに利益を得ると共に、そのなかで日の国の体質も自ずから好い方向に変わってくれれば良い、というような選択をしたのだと受け取ったのである。 つまりは、日に対する「太陽政策」ということだ。 だとするとそれは、植民地支配や歴史認識に関わるような次元をいったんは棚上げにして、経済や文化や、また最近では軍事面の交流だけを進め

    なされるべきであった事 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2012/08/17
    「来客でありトンカツ弁当まで持参した俺に当然だしてしかるべきだったお茶をださなかった株式会社はてな(フリードリンク)は誠意をもって全世界へ向け謝罪をし末代まで祟られるべき」
  • 瓦礫受け入れ問題を考える - Arisanのノート

    『「災害廃棄物を東京で焼却すること」について』(今日、考えたこと) http://tu-ta.at.webry.info/201111/article_4.html この災害廃棄物(瓦礫)の引き受けの問題は、ぼくにも答えの分らない問題だ。 言えることは、東京や大阪など、各地が汚染された瓦礫を引き受けないことによって、福島では、汚染のなかで暮らし続ける人たちが存在し続ける、被曝の危険性が、より一層増すであろうということ、その事実を直視するべきだ、ということである。 だがそれは、東京などが、瓦礫を引き受けるべきだ、ということではない。 ぼくは、小倉さん(たち)の主張には、やはり同意できない。 ではどうするのか、被曝の危険のなかに、福島の人たちを置き続けるのか。 答えに窮するのだが、しかし同時に思うのは、こういう問いそのものが、原発という不正義・暴力によって、ぼくたちに押し付けられた、まったく不

    瓦礫受け入れ問題を考える - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2011/11/20
    正しいのは前半だけ。本当に原発をやめさせたければリスク計算そのものを拒否せねばならない。リスク管理比較は交渉のテーブルに自らついてるのと同じ。「我々に責任が」も誤り。我々は(対価を払ってきた)東電の顧客
  • 旗旗さんの記事について - Arisanのノート

    最近、以前ほどネットを見なくなっていて、情報にうとくなってるのだが、数日前にこういう一連の記事を読んで驚いた。 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8236 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8320 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8379 6月11日の東京でのデモ開始前の集会でトラブルがあったことは、前日からツイッターを見たり、その後の情報によって少しは知っていたが、具体的に当日何があったのかは、実はほとんど知らなかった。 こちらの情報なども参考にしてみると、 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620/p1 http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110619/1308487730 http://livingtoge

    旗旗さんの記事について - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2011/07/14
    「暗黙の排除の可能性(日の丸があるとデモに参加しにくい人がいるかも)があるから公然と排除(日の丸は禁止)すべき」は「ユダヤ人はお金儲けが上手く我々から職を奪ってるからガス室に送れば根本解決になる」と同じ
  • 最悪のこと - Arisanのノート

    リビア情勢に関して、「軍隊が自国の国民を殺害するなんて最悪だ」ということを言う人が居る。 しかし、「自国の国民を」は余計だろう。自国民であっても、自国民以外でも、殺害・虐殺は常に最悪だ。 軍隊が自国民を殺すことよりも、自国民以外(他国の市民でも、他の国籍を持つ自国の市民でも)を殺すことの方が「最悪さ」が軽い、なんてことは絶対にない。 「カダフィの軍隊」が自国の民衆を殺すことも、「ブッシュやオバマの軍隊」が他国の民衆を殺すことも、まったく同じに「酷い」のである。 こんなことは当たり前のことだ。 でも、これが当たり前のことだとは教えられず、思っていてもそのように発言しにくい社会というものがある。それは、徴兵制を敷いているなど、国民と軍隊が一体化し、「われらの軍隊」という意識によって国が成立しているような社会である。 たとえば日の隣国の韓国がそうであり、この国では光州事件以来、きまって述べられ

    最悪のこと - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2011/02/27
    ↓その戦闘が(内戦にしろそうでないにしろ)『侵略』でなく「防衛」戦争だというのを、いったい誰がどう決めるのですかwどんな戦争もやってる本人は『何か大事なものを守ってる』つもり>id:mojimoji
  • 排外デモが意味するもの - Arisanのノート

    http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101207/1291739195 http://d.hatena.ne.jp/free_antifa/20101209/1291872075 この出来事については、すでに幾人かの人によって、言われるべきことが言われていると思う。 しかし、この映像を見ても、また文章を読んでも、なかには 『在特会によるデモは、一応法的に認められた「表現」で、それを「妨害」しようとした青年を警察が捕まえ、デモをしていた側を捕まえないのは、警察の建前としてはやむを得ないところだ』 という風に思う人が居るかもしれない(実は、私も当初はそう思っていた)ので、念のために書いておきたい。 この排外主義のデモというのは、今の日においては、市民の自由な表現行動というようなものではなく、国家暴力の一形態だと思う(こうした「デモ」が、それ自体で暴力である

    排外デモが意味するもの - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2010/12/10
    こんな空論を説いていい気になってる暇があるならハイジャックするなりインフラを破壊するなり国家に直接打撃を与えるべき。実際は逆に皆がこの国家は悪と既に深く認識してるから身動きが取れなくなってるのでは?w
  • プルーストと戦争 - Arisanのノート

    失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 作者: マルセル・プルースト,鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/01/19メディア: 文庫 クリック: 19回この商品を含むブログ (7件) を見る 失われた時を求めて 12 第七篇 見出された時 1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ) 作者: マルセル・プルースト,鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/03/20メディア: 文庫 クリック: 4回この商品を含むブログ (7件) を見る プルーストは、この大長編小説の各所で、主観(精神)的なことこそが重要であり、客観的な対象(他人、事物)などはそれに比べればほとんど意味のないものだという考えを繰り返し主張し、またそのように小説を書いているので、執筆当時のフランスをめぐって起きていた現実政治の大事件戦争についても、あまり関心

    プルーストと戦争 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2010/11/22
    間違ってる。プルーストが優れてるのは結局は(当時の最先端思想)「主観」も役立たずと示したから。マドレーヌ体験は反・意識的想起。「我々の思い出せない記憶とは何だろう」に『私(主体)』はない。勿論客観でもない
  • 自由をわれらに - Arisanのノート

    きのうたまたま、「天声人語」のこの文章を見つけて読んだときには、正直あまりのひどさにショックを受け、何を言えばいいのかも分からなかった。 今日ほかのところを見たら、この記事を非難してる人があったので、それに勇気付けられて自分も書いておく。 http://www.asahi.com/paper/column20101019.html 欧州あたりで「嫌米」のデモが荒れると、しばしばマクドナルドの店舗が襲われる。米国のグローバル支配の象徴というのだろうが、店員や材の多くは「国産」だ。籍に執着の薄い国際ブランドが、右代表としてやられるのは皮肉である▼中国内陸部の地方都市で、反日を叫ぶ群衆が暴れた。「坊主憎けりゃ」で、パナソニックの電器店やトヨタ車も壊された。政府間では落ち着くかに見えた日中の対立。外交から街頭へとなれば厄介だ▼騒いだのは愛国教育を受けた世代という。就職難など、色んな格差への不満

    自由をわれらに - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2010/10/21
    その通り。反共と新自由主義を「自由」とすり替える発想こそ欺瞞。秋葉デモの皆さんも資本主義に飼い馴らされず街を破壊すべき…あれ?w←ブログ主は自分は左翼のつもりだがやってる事は『排外』デモを煽ってるだけ
  • 領土について - Arisanのノート

    このところの尖閣諸島や北方四島をめぐる問題に関して、前原外相の強硬な態度・発言が、また注目を集めている。 以前その前原が、北海道に行った時、北方領土問題について「ロシアは北方四島を不法占拠している」という発言を行ったことがあった。 ずっとこの言葉がひっかかっていたのだが、今回調べてみると、元々麻生元首相の発した言葉なのだった。 http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101701000221.html ニュースになるほどだから、やはり異様な、強い響きとして受け取られた表現だろう。 ロシアが北方四島を領有している事実をどう考えるかではなく、とくに「不法占拠」という表現が用いられたことが耳目を引いたのである。 「不法占拠」ということは、相手の行為を法の名によって断罪しているわけだ。 自分と相手とを共通に裁ける法があり、その法に適っているか否かを判定する権限・能

    領土について - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2010/10/01
    略奪的な行為を忘却、正当化←この論は「ユダヤこそ太古の時代ここに住んでた。アラブは出てけ」と同じ。「俺はうしろめたくない歴史的必然性がある」主張に耐えれない。間違った前提を「内面化」してるのはブログ主
  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/10/15
    マルクス主義者なら自己欺瞞から逃れられる訳ではない。自己欺瞞は近代以降の人間の条件。程度の差こそあれ全てに当て嵌まるなら、まず疑うべきは他人か自分か。他人を「自己欺瞞」と指弾する行為こそ最大の自己欺瞞
  • わけのわからない非難 - Arisanのノート

    どのぐらいのけが人なり逮捕者が出たのかとか、詳しいことを知らないけど、映像と関連記事を二三読んだ感想を書いておきます。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1 上の記事に書かれてることだと思うけど、こうした排外主義の行動、最近では個人をターゲットにしたデモなどが行われてるということ自体が、まず暴力です。どこの国のどんな社会にもあることかも知れないが、だからといってその暴力が黙認されていいことにはならない。 ところが日の場合には、それが社会全体からたいてい黙認されている。これが、排外主義の対象になってる人にとっては、実際の行動以上の暴力でしょう。 それに比べると、この映像に映ってる直接的な暴力というのは、さしたる問題でないとさえ言える。 ぼくも、こういうデモについては、「ほっとけばいいのになあ」とか思ってしまうけど、それは、自分が矢面に立ったり

    わけのわからない非難 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/09/30
    最善だった←バカ?何が善か。という問いは暴力を前に完全に無意味。暴力とはそれを行使する者たちにとって善悪を超えた存在。暴力こそが善悪を(究極的には)規定するから。殺しあいで生き残った者だけが善悪を語れる
  • マイケル・ジャクソンの生と『論語』 - Arisanのノート

    先日、マイケル・ジャクソンが亡くなったが、マイケルというと、整形手術の話題がずっとされていて、一説には顔などの整形を50回以上もしたとも言われている。 「親からもらった身体を傷つけてはいけない」というのは、儒教の古い教えだともされていて、たとえば『論語』のなかにも次のような逸話が語られている。 孔子の弟子の曽子というひとが亡くなる時、門弟たちを集めて次のように言ったというのである。ここでは、あえて現代語訳を引用する。 夜着をのけてわたしの足を出しておくれ。わたしの手も出してそしてしっかり見ておくれ。 おずおずと、またおそるおそると 底知れぬ淵をのぞむように ごく薄い氷の上をわたるように この詩のことばのように、父母に生んでいただいた身体をたいせつにもちあつかってきたのだから。しかし、今日という日からもうこういう心づかいがいらなくなった。おまえたちよ、ほんとにそうではないかね。 (『論語』貝

    マイケル・ジャクソンの生と『論語』 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/07/01
    まさかと思うが当然の展開。唯物論は「永続する身体」へ堕落する。スターリンの魂が存在しないかわりに永久保存された遺体だけが革命を保証するからだ。これと「身体の見掛けを改変してはならない」はコンパチブル
  • 『戦後責任論』 - Arisanのノート

    の死者への「哀悼」とは何か。もちろん私は、たとえ「侵略者」だった死者でも、死者となった肉親、友人、知人等を「哀悼」し、「弔い」たいという残された者の欲求を理解する。そうした欲求は、こういってよければ、"人間一般の基的欲求"であり、加藤氏が「国による死者の鎮魂」から区別しているように、「国家」には回収不能な欲求であろう。しかし、だからこそ、そうした「哀悼」や「弔い」は、「侵略者」たちが遂行した戦争、「侵略戦争」の被害者となった死者たちへの「哀悼」や「謝罪」と同じレベルのことではありえないし、したがって、これらの「先に置かれる」べきものでもない。もしも私たちが、あの戦争は「侵略戦争」だったという判断を自分の判断として引き受けるなら、当然「侵略者」たちの責任を問わなければならないが、そのことが、死者への「哀悼」や「弔い」によって曖昧にされてはならないのである。(『戦後責任論』文庫版p215

    『戦後責任論』 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/04/25
    共同体みたいな間抜けな事言ってるのはあの読解がヘーゲルどまりだから。因みに私はこのレヴィナス風な解釈にも賛成しない。表象不能な「死」は他者ですらない。逆に他者が内破する点。でなければ個人など成立しない
  • これが黙っていられるか - Arisanのノート

    当分何も書かないつもりだったが、場合が場合なので、そうも言ってられない。 これは、ぼく自身の怒りの感情の表明である。 「冷静」でなどいられるか。 テレビを見てたら、拉致被害者の家族の人が、「われわれ日国民は、もっと怒らねばなりません」というふうに言っていた。ぼくも同意見だ。ただし、怒りの対象が違うが。 http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2009/04/06/20090406ddn041030007000c.html http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2009/04/06/20090406ddn041030006000c.html 在日コリアンが多く暮らす大阪市生野区の人々には戸惑いが広がった。コリアタウンの商店街「御幸通東商店街振興組合」の理事長、井上修範(のぶのり)さん(45)は父が韓国籍。「北朝鮮

    これが黙っていられるか - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/04/08
    謝罪と賠償、人権回復をしてない日本人が被害者ヅラして吉永早百合を泣かせ永久平和を誓うのは偽善なのだ。北の人々にとってあの戦争は継続中。なら9条は廃止にしようか…という流れにしかなり得ないのが歴史の皮肉
  • サルトル『ユダヤ人』 - Arisanのノート

    彼は、社会が悪いことを理解し、しかも、正統でないユダヤ人の素朴な一元論に、社会の複数論を対立させる。彼は、自分が別もので、触れてはならぬもので、恥かしめられ、追放されているのを知っていて、そういうものとして、自分の権利を主張するのである。(p169) ユダヤ人 (岩波新書) 作者: J‐P.サルトル,Jean‐Paul Sartre,安堂信也出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1956/01/16メディア: 新書購入: 3人 クリック: 42回この商品を含むブログ (21件) を見る岩波新書のなかでももっともよく読まれているもののひとつだと思うこのには、昔からどうもすんなりと受け入れられない部分があった。 それは、サルトルがユダヤ人を「正統(authentique)なユダヤ人」と「正統でないユダヤ人」に分けていることである。 このでのサルトルの基的な主張は、「反ユダヤ主義がユダヤ人

    Midas
    Midas 2009/04/05
    なぜ最近の議論がここから後退してるかというと結局は実存主義が「『実践の主体』として歴史の主体に発展しうる主体」の概念どまりな政治と哲学を合わせた楽観的なガラクタだから。袋小路に陥った命題の必然的な帰結
  • 集団について - Arisanのノート

    このところ、集団と個人ということをめぐって書いているが、それについて忘れがたい思い出がある。 あるとき、旅をしていて、国内のどの空港だったか忘れたが、誰も居ない広々とした待合室の椅子に座って、疲労からうとうとしてかけていた。そのとき、はじめは気配しか分からなかったが、物静かな10数人の集団がやって来て、自分の周囲をすーっと囲んだのだった。 このとき、ぼくは言いようのない安心感、暖かさを感じた。 周囲を見回してよく見ると、この集団は、初老ぐらいの年齢のすべて黒人の10数人の男女なのであった。この人達が、どこから来たのかは分からない。分厚いコートに身を包んでいるいでたちから想像すると、アメリカの南部の田舎町の、老人会か何かの旅行かも知れないなどと思ったが、この人たちはあまり口を開いている様子もなかったので、英語圏の人なのかどうかさえ、定かでないのだった。 この集団のなかに、自分が包まれている一

    集団について - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/04/02
    民族主義と唯物論を足して2で割ると主体思想のできあがり
  • 文学・宗教・政治 - Arisanのノート

    村上春樹氏への働きかけを批判する人って、たいていはイスラエルの行動に「苛立ち」だの「憂慮」だのを抱いているらしいが、その人なり(要は自分なり、ということであろう)のやり方というものがあったり、行動できない事情がある場合もあるのだから、その行動なり非行動の自由を束縛するのはおかしい、という言い分のようである(こっちは、束縛するつもりはないんだけど。)。 ところが、この人たちは、村上氏に働きかけることがこの問題の解決(改善)のための「有効な方法だ」と思ってる人たちの行動や発言の自由だけは認めたがらないようなのだ。 変なの。 何度も言うけど、こういう声があるということを知った上で村上氏に判断してもらおうということであって、束縛や強制の意図などないのだ。そんなこと、出来るわけないだろう。 それなのに、そういう声が上がること、世の中の表面にそういう動きが出てくること自体が気にわないらしい。 えらく

    文学・宗教・政治 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/02/05
    違う。「政治でないものはない」んだろ?同じく君のこのエントリも私の米も村上作品も全て文字で出来てる以上「文学」だ。文学が「当面は無力」ならこのエントリも無力。脅迫文を送ってダメならどうすんの?テロ?w
  • 反駁者たち - Arisanのノート

    「村上春樹氏にエルサレム賞を辞退するよう働きかけよう」という動きに対する反駁の意見は、ネット上で散見される限り、次の二点が中心的であるようだ。 1 村上氏の文学は、その内容自体が、最終的に戦争やさまざまな争いの解消に向かうことを訴える性質のものである。今回のガザでの事態に関して(も)村上氏が作家としてなすべきこと、出来ることは、その作品を(イスラエルの人たちにも)広く読んでもらうことである。 だから、賞の辞退などの直接的に政治的と思われる方法はとる必要がない(そういう手段をとるかどうかは、人の自由である)。 2 イスラエルの人たちに対するアプローチとしては、賞の辞退などの直接に政治的・批判的な手段よりも、村上文学を広く読んでもらうことで「平和」への志向を深めてもらう、いわば精神的に平和を尊重する方向に進んでもらうという手段の方が、むしろ有効である。 直接的な働きかけは、無力であるに決まっ

    反駁者たち - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/02/04
    浮き彫りになってきたのはこうして毎朝、唯々諾々と地下鉄通勤してる人々の一定数の心理がわが国の支配層の論理と親和性を持つ事だ←これでサリンを撒けば「アンダーグラウンド」。代表で有名人を吊しあげれば文革
  • イスラエル問題と声の排除 - Arisanのノート

    29日に、日ではまた4名の死刑囚に対する刑の執行があったことが伝えられたが、イスラエルが「通常犯罪」に関しては死刑を廃止しており、国際的にも死刑廃止をめぐる議論の場で積極的な役割を果たしていることは、よく知られている。 このことに限らず、イスラエルという国は、その軍事的な外見とは裏腹に、制度の面でも公共空間についても、決して非民主的な国というわけではない。 イスラエルが建国されて間もない頃、アメリカよりもソ連との結びつきが強かった50年代には、この国のキブーツを訪問したソ連の代表団が理想郷のようにその空間を絶賛したことを、ドイッチャーは興味深く書いているが、ソ連型の社会主義にとってというよりも、むしろ強権的な支配に抗して民主的な政治・言論空間の護持を追求するリベラル左翼的な価値観(ぼくはこの言葉を、一概に非難や揶揄の意味で言っているのではない)を持つ人々にとってこそ、イスラエルは強い魅力

    イスラエル問題と声の排除 - Arisanのノート
    Midas
    Midas 2009/01/30
    逆。外部を殺し続けてるからこそ制度に頼らずやってける。紛争解決の適切な手段は非人道と呼ぶのでなく死刑を取り入れるよう迫ること。また今エセインテリが唱えてる反対の呪文も必ず暴力の問題に突き当たり挫折する