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ブックマーク / klov.hateblo.jp (8)

  • 『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 - 絶倫ファクトリー

    サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書) 作者: 鈴木謙介出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/10メディア: 新書購入: 11人 クリック: 168回この商品を含むブログ (103件) を見る どちらかというと、「社会学者・鈴木謙介」の著書というより、「Life パーソナリティ Charlie」の著書と言った方がいいのかもしれない。ある程度社会科学的な分析を交えながらも、最終的に彼が目指すのは極めて実存的な問題へのコミットである。彼の著書にはそういう面が多分にあるが、書はそうした傾向が最初から最後まで通呈している。 書の概要―既得権批判者が自らを窮地に追い込む理由 書で一貫して議論されるのは、「既得権批判」という、いまや右も左も大好きなキーワードとなったロジックが、時にその批判する側を更なる窮地へと追い込んでしまう、逆説的な状況である。

    『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/10/13
    書店でサブカル関連の棚が1番大きかったのはたしか2000年前後。個人的にはとっくに終わってる現象。
  • 『POSSE』を手にとってみた。 - 絶倫ファクトリー

    『POSSE』、悪くないと思うんだけどなぁ。 雑誌『POSSE』ホームページ|NPO法人POSSE 雑誌『POSSE』を9月に創刊します。 - NPO法人POSSE(ポッセ) member's blog 当事者に売るのか否か ちょっとばかしはてなまわりで話題になっている労働問題誌(同人誌)『POSSE』。機会があったので読んでみた。POSSEは確かこれまでフリーペーパーを発行しているNPOだと記憶していたのだが、今回同人誌という形に「ステップアップ」したようだ。 まず既にあった議論として、値段が高い、つまりこれじゃ労働問題の当事者に買ってもらえないのではないかという話があった。上記リンクから拝見できる発行元の方の話をそのまま鵜呑みにすれば、売る方も当事者、つまり現場で実際に働き苦境にある人々をターゲットにしてはいないのだろう。 ただそもそも、こうした労働問題を扱う雑誌を現場の人間に売りつけ

    『POSSE』を手にとってみた。 - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/09/27
    悪くない。程度で充分かどうかは置いといて/「当時者」を最も喰い物にしてるのは今は派遣、昔の名はヤ〇ザ←彼らが歯に何か詰まった嘘しか言えない理由の1つ。更には派遣の親玉は国。国の金アテにしてるのがNPO
  • 現代版『自由論』としての『CODE』―グーグルストリートビューが教えてくれたこと - 絶倫ファクトリー

    グーグルのストリートビューの議論は特に興味が持てなかったのだけれど、id:SURViVEで今晩これについてのustreamをやるようなのでメモ程度に。 Googleの「ミッション」としてのGSV グーグルストリートビュー(以下GSV)はリリース以降、各国でプライバシーについての議論を巻き起こしている。日でも目立つものだとMIAUによるシンポジウムが開かれたりと、専門家、ユーザー問わず議論が活発である。 GSVにまつわる議論の核は、「主体無きプライバシー侵害」である。GSVをプライバシーの侵害と位置づけようとも、では果たして侵害しているのは誰なのか? Google? ではその意図は? 意志は? 不明である。明確な意思に基づいた個人でも組織でもなく、GSVがもたらすのはただ機械的に巡回しクロールされた風景である。撮影基準が不明瞭、という指摘があるが、であるがゆえにますますもってgoogle

    現代版『自由論』としての『CODE』―グーグルストリートビューが教えてくれたこと - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/09/06
    一連のグーグル→ホームレスの流れは3段逆スライド方式/他者が主体かどうかの疑問が投影されると例の俗人主義(動かす者としての歴史主体)批判になる/むしろ主体を形成するための言説の1つ(例・ボロロ族神話)では
  • 鈴木謙介の「転向」? - 絶倫ファクトリー

    タイトルは釣りです。サーセン。 鈴木による「ロスジェネ論」の批判的検討 [rakuten:book:13019616:detail] 文化系トークラジオLife 作者: 津田大介,斎藤哲也,柳瀬博一,佐々木敦,仲俣暁生,森山裕之,鈴木謙介出版社/メーカー: の雑誌社発売日: 2007/11/08メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 92回この商品を含むブログ (95件) を見る 鈴木謙介は「論座」九月号の中で、「見る者と見られる者――秋葉原事件と”モテ”る議論」というタイトルの論考を寄せている。 タイトルにこそ秋葉原事件が入っているものの、内容はそこから大きく離れている。事件の報道によって暴かれた加藤智大のパーソナリティは、「コミュニケーションの不全」という概念に改めて光を当てることになった。はてな村でも「非モテ」議論として定期的に話題になっていたが、秋葉原事件前後

    鈴木謙介の「転向」? - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/08/04
    「本当の貧乏人はネットなどやらない」論争があった。真の非コミュも非モテも不可視なはずだ。実は「そんな事ないよ」と言って欲しかった彼らが自ら主張する者として承認されだした今、初めて何かを失ってるのでは?
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
    Midas
    Midas 2008/06/30
  • 弱者の代弁者? - 絶倫ファクトリー

    加藤智大は格差社会の代弁者ではない - the deconstruKction of right 秋葉原の事件に関してもう書くつもりはなかったのだけれど、一つだけ。 この上記リンクのエントリのコメント欄が荒れ気味なのがよく分からない。この事件に関して出たエントリの中ではかなり秀逸なものだと思うのだけれど。 まずid:naoya_fujita氏は事件の犯人のような派遣労働者を下に見ていたりなどしていない。それどころか彼のエントリの主眼はこの事件そのものですらない。これは事件を巡る言説に対する言説、メタ言説である。犯人とされる加藤智大がもし万が一貧困労働者の代弁者だとしたならば、彼の来の標的であるエスタブリッシュ層はセキュリティを上げ(現状としてそういう傾向はある)、さらに勢いづいた赤木智弘のシンパみたいのがテロを起こすモチベーションになる。 だがそれは構造的におかしい、彼は代弁者ではない、

    弱者の代弁者? - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/06/10
  • 「昭和三十年代主義」という夢想、もしくは勝ち逃げの思想 - 絶倫ファクトリー

    昭和30年代vsポストモダン―定常型社会への回帰 昭和三十年代主義―もう成長しない日 作者: 浅羽通明出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2008/04メディア: 単行購入: 7人 クリック: 181回この商品を含むブログ (60件) を見る オビ裏には「日人が昭和レトロ・ブームにハマったのには理由があった!」と煽ってあるが、このにおいては昭和30年代レトロブームの分析は単なる入り口でしかない。基的にこのは様々な映画小説をアナロジーにした「昭和30年代的社会/個人」と、「ポストモダン的社会/個人」*1の対立で論が進んでいく。 昭和30年的社会/個人 「Always 三丁目の夕日」に代表されるような社会。定常的社会とも呼ぶ。 社会全体のスケールが小さく、人々は自分が認知出来る範囲の生活空間の中だけで生きていた。 不便ではあったが、ゆえに人々は様々な「必要」に縛られ、その「必要」

    「昭和三十年代主義」という夢想、もしくは勝ち逃げの思想 - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/06/08
    三十年代主義とは「石油ショックはなかった」という歴史修正主義だ。今の原油高をうけ実質的には役目を終えてる。ことさら地元を強調する「都合の悪いものは見たくない」人々が盲目の姿を晒してるのがその証拠である
  • ケータイ小説と陰謀論て似てる気がする。 - 絶倫ファクトリー

    ケータイ小説について書こうとしたんだけど、だらだらの文章になったので「リアル」についての要点だけ書く。 ケータイ小説も陰謀論も、「隠された世界」の暴露によるカタルシスという図式において等価だと思う。 以下議論。 ケータイ小説の流行について、実際に読者である女性三人の声を聞いた「ダヴィンチ」2007年7月号の記事が以下のサイトに載っている。 活字中毒R。 彼女たちはケータイ小説の「リアル」「現実的」についてこう語る。 柳沢:うん、やっぱり「現実的」じゃないんだと思う。リアルかどうかって大事だよね? 一同:うん。 柳沢:出会い系とかレイプとか、ちょっとグロい現実の話が、もしかしたら近くであるのかもって思うところにリアリティがあるんだと思う。 柳沢:現実の恐い世界を覗き見た感じがしたよね。 そしてケータイ小説以外の小説についてはこう話す。 中島:私らにいわせると普通の小説家の人って、「今、起こっ

    ケータイ小説と陰謀論て似てる気がする。 - 絶倫ファクトリー
    Midas
    Midas 2008/01/05
    元祖ケータイ小説は「ツインピークス」?
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