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戦争に関するMitsunoriのブックマーク (44)

  • タモリさんの「戦争が無くならない理由」が衝撃的だった | SOLO MARKETING BLOG

    ずっと感じていた違和感の正体 このタモリさんの戦争論は、僕の中で最近ずっと引っかかっていたことや、感じていた違和感をスカッとさせてくれましたね。 キレイゴトばっかり言ってる人や「戦いは良くない」って言っている人や、ビジネスにおいて「競合と争ってはいけない」「同業とは共存するんだ」って言っている人って、確かに良い人そうに見えるし、実際に平和主義なんだろうなとも思うんですね。 あるいは、みんな平等で、みんなにチャンスがあると言う人、誰にでも声をかけて、誰にでも優しくする人って、一見、人格者に見えます。 が、僕はこういう人にずっと強い違和感を感じていました。 こういう人って、自分の周りから人が離れていくのが怖くて、怒りや悲しみの感情をひた隠している、単なる臆病者なんだろうなと思っていたわけです。 いつも同じ場所で同じことを言っている進歩のない人だと。 最近、ちょうどそんなツイートを見かけました。

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  • 戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場(籏智 広太) - BuzzFeed

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you. 戦後70年以上PTSDで入院してきた日兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場戦争から生き残り、日へ帰国しても精神病を患ったとなると一家の恥とされ、故郷に帰れず入院したまま戦後の日を過ごす兵士たちも多くいました。自身も元復員兵の父を持つ埼玉大名誉教授の清水寛さんに、戦時中の経験によりトラウマを抱え苦しんだ兵士たちの話を聞きました。

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  • 日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由(栗原 俊雄) @gendai_biz

    特攻。「十死零生」の作戦はなぜ生まれたのかを探る連載。最終回は、次第に「成功率の低い作戦」と判明していく中で、それでもなぜこの作戦を止めることができなかったのか。その「謎」を紐解く。毎日新聞・栗原俊雄記者のスペシャルレポート。 (前・中篇はこちらから http://gendai.ismedia.jp/list/author/toshiokurihara) 「お前ら、覚悟しろ」 「特攻隊を志願しましたか?」 筆者がそう問うと、江名武彦さん(1923年生まれ)は答えてくれた。 「いえ。意思を聞かれることはありませんでした」 早稻田大学在学中の1943年12月、江名さんは学徒出陣で海軍に入った。航空機の偵察員となり、茨城県の百里原航空隊に配属された。前任地の静岡県・大井海軍航空隊から百里原に到着したとき、上官が言った。 「お前たちは特攻要員で来たんだ。覚悟しろ」 特攻隊員になるかどうか、聞かれ

    日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由(栗原 俊雄) @gendai_biz
  • 『永遠の0』の何が問題なのか?

    先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように

    『永遠の0』の何が問題なのか?
  • 広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」

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    広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」
  • 小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB

    太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日に帰国したときは、日中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日兵 小野田寛郎さん 7月23日、日とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ

    小野田さん帰国 42年後の真実|NHK NEWS WEB
  • 「こっちは日頃の恨みで容赦しねえ。三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」

    「どんな仕返しをしたんです?」 「ある村の副村長が何度もけしかけやがったから、そいつを三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」 寛郎の目の光りが強くなった。伊東にきてから目方が二キロふえたという彼は、顔つきもかなり柔和になっていたが、このときばかりは元のするどい眼差しに戻っていた。 「まず膝をねらって一発射ち、歩けないようにしておいてボロ(蛮刀)でたたっ斬ってやった。その野郎、腕で顔をかばいながらいざって逃げようとしたが、こっちは日頃の恨みで容赦しねえ……」 ちょっと前に最後の日兵小野田少尉こと小野田寛郎さんの訃報のことを書いた。 訃報の後、ネット上ではしばらく小野田さんの話題が飛びかっていた。そんな中、僕も読んだことがある小野田さんの手記を書いたゴーストライター自身の手による小野田さんの暴露がネット上で全文公開されていることを知った。 その暴露は「幻想の英雄」とい

    「こっちは日頃の恨みで容赦しねえ。三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」
  • 小野田寛郎さんはサイコパスだった: 日光かわず庵雑記帖 by たくき よしみつ

    フェイスブックの今日は何の日的な書き込みで、「57年前の今日(1959/03/15)、フィリピン、ルバング島の小野田寛郎少尉と小塚金七一等兵が日比合同捜査隊に発砲する」というのを目にした。 横井庄一さん、小野田寛郎さんの帰還はテレビで大々的に中継されていたから鮮明に覚えている。でも、小野田さんと一緒に潜伏していた日兵が複数いて、仲間は戦後だいぶ経ってから銃撃戦の中で死んで、小野田さんだけが戻って来たことは、記憶としては残っているけれど、詳細については知らないことが多いと気づいた。 そこで、実際はどういう経緯だったのか、調べてみることにした。 時系列でまとめると、 1945年2月28日 米軍がルバング島に上陸。装備もまともになかった日軍はあっという間に壊滅状態で、一部兵士が山の中に逃げ込んで潜伏。生き残った数十名が投降。小野田寛郎少尉は島田庄一伍長、赤津勇一一等兵、小塚金七一等兵と一緒に

    小野田寛郎さんはサイコパスだった: 日光かわず庵雑記帖 by たくき よしみつ
  • 日米戦争とは何だったか

    日米戦争とは何だったか 大東亜戦争の意味 アメリカは真の敵が誰かを見誤った。 「当に勝ったのは日だ」という ドラッカーの言葉はなぜ生まれたか 日への最後通牒ハル・ノートを書いたハリー・ホワイト(左) 彼はソ連のスパイだった。 前項「日米戦争はなぜ起きたか」では、真珠湾以前からアメリカが行なってきた日に対する執拗な嫌がらせについてみました。その嫌がらせの総まとめとも言えるものが、開戦直前にアメリカが日に提出してきた最後通牒「ハル・ノート」です。 最初の一発を日に打たせるためのハル・ノート アメリカが提出してきた「ハル・ノート」は、日にとっては寝耳に水、予想もしないものでした。そして日政府には、目がくらむほどの絶望感が走ったのです。 その対日要求は、中国大陸や、仏領インドシナから日の軍隊を引き上げるなどが、要求のおもなものでした。このような要求は予想できないでもありませんでし

  • デタラメと欺瞞に満ちた新安保法制の問題点を整理する by 藤原敏史・監督 | 日仏共同テレビ局フランス10

    衆院の特別委員会の最終日ですら、政府が答弁に詰まり審議が中断する局面が繰り返された。「論点は出尽くした」というが、仮にそうだとしてもその論点へのまともな答弁がない、議論し尽くしたわけではまったくないのに採決とは、呆れるほどの乱暴な強行だとしか言いようがない。 参院に送られた法案の審議は、野党側の反発で硬直したまま開始の目処も立っていないが、この機会に主要な問題点をいくつか整理しておこう。 集団的自衛権の行使は違憲であり、疑問の余地はない いかに官房長官が「合憲という憲法学者も“いっぱい”いる」と言い、実際に3,4人はそういう“著名”な学者が名乗り出て、安倍首相らも合憲だと言い張っていようが、集団的自衛権の行使が違憲であることは確実に断言できる。理由は簡単だ。「合憲」と言っている側が誰一人として、憲法九条第一項に書かれた厳格な制約について(「国権の発動」としての戦争・武力行使は放棄)、同じ憲

    デタラメと欺瞞に満ちた新安保法制の問題点を整理する by 藤原敏史・監督 | 日仏共同テレビ局フランス10
  • 戦争について考えること。 : ゴリノート。

    「人間はなぜ戦争をするのか」というより。 人間はなぜ戦争をするのか―日人のための戦争設計学・序説 (知的生きかた文庫) 戦後の長い間(今でもそうだが)、日では、戦争を論じること自体が”タブー視”されてきた。戦争を論じれば即、タカ派だとか、好戦的で危ない人物と見られてしまう。その結果どうなったかというと、日人には、戦争について考える予備知識がまったくなくなってしまった。 多くの日人は、戦争を「道徳」や「個人の良心」のレベルで考えてしまう。これはもう、宗教に近い。戦争について論ずることも考えることもなく、ただただ平和を希求し、呪文か念仏のように「平和、平和」と唱えて祈る。そうすれば、戦争なんて起こらない---。 それで当に戦争が起こらないなら、めでたいことだが、現実は違う。違うどころか、そういう人々が国民になっている”平和ボケ国家”の存在が、むしろ戦争の火種なのである。 日人の多

    戦争について考えること。 : ゴリノート。
  • 【安保法制公聴会】山口二郎法政大教授「60年安保で岸政権を退陣に追い込み、戦争に巻き込まれずに済んだ」(1/7ページ)

    平和安全法制特別委員会の公聴会で意見陳述に臨む法政大学法学部教授の山口二郎氏=13日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影) 13日の衆院平和安全法制特別委員会で、山口二郎法政大教授(政治学)は「1960年の安保闘争で市民が岸政権を退陣に追い込み、憲法9条の改正を阻止したことで、日戦争に巻き込まれずに済んだ」と主張した。山口氏の発言の詳細は以下の通り。 私はまず、政治学の観点から戦後日の安全保障政策の転換について、まずおさらいしておきたいと思う。今年は戦後70年の年であり、日の来し方、行く末を考える重要な機会だ。従って、安全保障法制を戦後日の歩みの中に位置付け、意味を考えてみたいと思う。戦後日の国のかたちが大きく変化した契機は、1960年のいわゆる安保騒動だった。当時の岸信介首相は、憲法、特に9条を改正して国軍を持つことを宿願としていた。そのための第一歩として、安保条約の改定

    【安保法制公聴会】山口二郎法政大教授「60年安保で岸政権を退陣に追い込み、戦争に巻き込まれずに済んだ」(1/7ページ)
  • 手塚治虫と戦争

    手塚治虫と戦争
  • 石原慎太郎氏が安保法制の盲点を指摘 交戦規定の重要性を説く - ライブドアニュース

    > > > > 2015年7月16日 7時0分 ざっくり言うと石原慎太郎氏と亀井静香氏が、安保法制について語っている「今の自衛隊では、けがをしても助かる命も助からない」と石原氏「僕は自衛隊を愛している。交戦規定もちゃんと作るべき」と述べた石原慎太郎「交戦規定のタブー、おかしな話。今の自衛隊では命助からない」亀井静香とガチンコ対談 2015年7月16日 7時0分  安保法制の衆院通過が目前に迫る中、石原慎太郎氏と亀井静香氏が対談に臨んだ。自民党時代から盟友の2人だが、安保法制などについてガチンコの大激論となった。 *  *  * 亀井:今、日がやるべきことは、自主防衛を強化すること。なのに、新しい安保法制が成立して中東での戦争に参加すると、自衛官が死ぬ。その覚悟が今の自衛隊にありますか? 石原:ないね。実は自衛隊の安全について深刻な盲点がある。日一の救急病院である都立広尾病院の佐々木勝院

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  • 大東亜戦争聖戦論

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 「Japan Air Raids.org」へようこそ  – Japan Air Raids.org

    「Japan Air Raids.org」へようこそ。 当サイトの目的は、太平洋戦争で日が受けた空襲についての知識を国際的に広めることです。 およそ40 年にわたる調査の成果、日では、空襲の詳細が様々な形で語り継がれています。物質的な被害だけでなく,社会や家族・個人への影響を記録する記事と書物が数多く出版され、資料センターや平和博物館も各地に建設されています。各学会も、会議などを通して、大切な研究を続けています。 日国内において、こうした格的な空襲についての調査が行われたのは太平洋戦争が終わって、実に20年以上経ってからでした。しかし、海外では、さらに著しい遅れがありました。日の空襲(とくに東京大空襲)についての研究があまりにも為されていなかったことを、歴史家のゴードン・ダニエルズは1977 年に指摘したほどでした。70年代以降、空襲をテーマにした重要な歴史書がいくらか出版されて

  • A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」 - 高知新聞

    旧日陸軍の荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が、このほど見つかった。番組の中で4人は「敗戦はわれわれの責任ではない」「戦争中にあったことをいつまでもグズグズ言うのは間違いだ」などと述べている。番組のプロデューサーだった水野繁さん(92)=奈良市=は高知新聞の取材に「憲法改正を望むなど4人の姿勢は、今の安倍(晋三)内閣に相通じる点がある。国民の置かれていた状況が戦前と同じになっていないか、危惧している」と語った。 【写真】ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサーを務めた水野繁さん。「民主主義にとって大切なものは何か考えてほしかった」(大阪市北区) 番組は「マイクの広場 A級戦犯」で、約30分間。関東地方をエリアとするラジオ局・文化放送(東京)が1955年に録音し、56年4月に放送した。音源は最近、水野さんが知人から託さ

  • 私たちは戦争ラブな男とはHしません。

    We wanna make it a global movement. We welcome media interviews from overseas. Send email to nowarjapan@gmail.com. Article in English >> goo.gl/FtYeup 私たちは戦争ラブな男を叱ります。 私たちは戦争ラブな男とはHしません。 私たちは、戦争への道を作り、武器輸出を推進する政治家・企業家・ビジネスマン、あるいはその政治家を支持する男性たちに徹底的に抗議します。 ■ 賛同者募集中です。右のフォームからご賛同下さい。 ■ Japan timesに紹介されました。 ■ 米国の大手メディアTHE DAILY BEAST に紹介されました。Japanese Women Tell Their Men They Have to Choose Between L

    私たちは戦争ラブな男とはHしません。
  • 一ノ瀬俊也「日本軍と日本兵」、米軍広報誌から見る実像 : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    太平洋戦争時の日軍の実態に迫ろうと、米陸軍の広報誌を分析した『日軍と日兵』(講談社現代新書)が刊行された。著者の埼玉大准教授・一ノ瀬俊也氏は、「米軍広報誌から見える日兵の実像は、現代の私たちと大して変わらない」と話している。 米陸軍軍事情報部は1942年から46年までほぼ月刊で、軍人に対し「Intelligence Bulletin(IB)」を発行していた。敵国の日ドイツの兵器や戦術思想、組織、士気などを詳細に紹介し、中には日人と中国人の見分け方や、日兵の糧や風習などについての記述もある。一ノ瀬氏は、「人種的偏見に基づく見方もあるが、偏見で片づけては、その中にある大事なものまで捨ててしまう」と、IBの分析を試みた。 IBは、銃剣をもって突撃し、玉砕するといった狂信的な日軍のイメージを覆し、一定の合理的行動を取っていたことを浮き彫りにする。例えば、日軍は機関銃での射撃を

    一ノ瀬俊也「日本軍と日本兵」、米軍広報誌から見る実像 : ニュース : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
    Mitsunori
    Mitsunori 2014/03/11
    「戦争の時は狂っていた」「お国のために滅私奉公だった」などの言説は極論で、当時の日本兵も現代の我々と大差がなかった。日本軍のイメージがゆがめられてきたのは、戦後日本の言論空間の特殊性が原因。