タグ

ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (8)

  • 編集者特権と文学賞 - jun-jun1965の日記

    文学関係の有力出版社の編集者だった人が、引退とかしてを書くと、お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞を貰えるという現象があるのはよく知られている。人物別に一覧にしてみた。 半藤一利(1930-2021)文藝春秋「漱石先生ぞな、もし」新田次郎賞(1993)「ノモンハンの夏」山七平賞(98)、「昭和史」毎日出版文化賞(2006)菊池寛賞(2015) 高田宏(1932-2015)(エッソスタンダード「エナジー対話」)「言葉の海へ」大佛次郎賞(1978)「木に会う」読売文学賞(90) 宮脇俊三(1926-2003)中央公論社「殺意の風景」泉鏡花賞(1985)菊池寛賞(99) 石和鷹(1933-97)(「すばる」編集長)「野分酒場」泉鏡花賞(89)「クルー」芸術選奨(95)「地獄は一定すみかぞかし」伊藤整文学賞(97)、 大久保房男(1921-2014)「群像」編集長「海のまつりごと」芸術

    編集者特権と文学賞 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2024/01/29
    “お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞”
  • 瀬戸内寂聴の表情 - jun-jun1965の日記

    私は原一男が井上光晴を撮った「全身小説家」を、2000年ころに一度観かけて、あっこれはガンで死ぬんだと思い、つらくて観るのをやめたが、最近になって、改めて観た。井上が文学伝習所の女性参加者を次々とってしまうあたりが話題になっていたようだが、私はむしろ、ガンの民間療法の山師が、井上に、ガンが良くなっているとべらべら喋っている時に、そこにいる瀬戸内寂聴がすごく暗い顔をしてうつむいているのがひどく印象に残った。山師の言っているのはまったくの嘘なわけで、山師が帰ったあと、井上が、説得力がまったくなかった、とカメラに向かって話すのだが、瀬戸内寂聴の暗い表情がいちばん印象に残った。

    瀬戸内寂聴の表情 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2023/11/02
  • 音楽には物語がある(54)高田みづえの幸運 「中央公論」六月号 - jun-jun1965の日記

    私の若いころ、NHKの「のど自慢」を観ていたら、ゲストが新沼謙治と高田みづえだった。素人の歌が終わって、司会のアナウンサーがゲストに感想を求めた。新沼は、「今もね、イクエちゃんと話してたんだけどね」と口を開いた。高田みづえは憤然として、「みづえ!」と言って後ろから新沼を叩いた。そういえば榊原郁恵と高田みづえは幾分混同されるかな、とは思わなかった。 鹿児島出身の高田みづえは、同郷の大関・若嶋津と結婚して引退した。若嶋津もその後引退して親方になったが、友人の琴風の尾車親方との連携がうまかったのと、横綱の二代目若乃花が協会を去り、隆の里も死んでしまい、松ヶ根親方から一門の総帥である二所ノ関親方になった。アイドル歌手だった高田みづえが相撲部屋のおかみさんをやるのは大変だっただろうが、若嶋津がマジメだったのか、高田みづえが努力家だったのか、円満に定年を迎え、二所ノ関親方を稀勢の里に譲って再雇用で協会

    音楽には物語がある(54)高田みづえの幸運 「中央公論」六月号 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2023/06/10
  • 「察度(さっと)」と「察當(さっとう)」 - jun-jun1965の日記

    中村哲郎先生に教えられて、真山青果の未上演戯曲「大塩平八郎」を「青果全集」で読んだが、主として平八郎と宇津木矩之丞の対立を中心とした儒学的なセリフのやりとりで、聞いていても分からないだろうから上演されないのも無理はないと思った。 中で平八郎が、大坂町奉行から「察當」を受けたと聞いて逆上するところがあるが、これなども聞いて分からないだろう。奉行から叱りを受けたということである。ところがここでは「察當」に「さっと」とルビがついている。だが「察度」なら「さっと」で、叱りおくことだが、「察當」は「さっとう」と読んで、徳川時代に奉行所から叱りおくことを特定して言う語だから、厳密には青果はルビを間違えている。ただ実際に上演したら観客が何を言っているか分からないという点ではどっちでも同じではある。これは昭和初年『中央公論』に発表された。

    「察度(さっと)」と「察當(さっとう)」 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2023/05/17
    沙汰だとおもってた
  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2023/03/23
  • 「精神的貴族」と吉永小百合 - jun-jun1965の日記

    吉永小百合主演の映画「私、違っているかしら」(1966)をアマプラで観た。これは森村桂のエッセイが原作で、ほぼ森村の実体験、学習院大学を出て就職に苦労する話である。ただし森村はエッセイストとして破格の成功を収めたが、生きづらい人だったようで、最後は自殺しているから、暗い気分にもなる。 その中で、大学の就職課ではきはきと話しながら、「私、精神的貴族だもん」と言うので、はっとした。 前年の1965年、「伊豆の踊子」の撮影に訪れた川端康成は小百合に夢中で、「あなたのことは精神の貴族だと考えております」といった手紙を送っていた。私はさぞ気持ち悪いおじいさんだと思っていたのだろうと思っていたが、もしかしたら当時そういう言い方がはやっていたのかもしれない。そういえば西部邁が子供たちを公立学校へ行かせていて、精神的貴族になってほしいと言っていたが・・・

    「精神的貴族」と吉永小百合 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2022/03/17
    “森村桂”
  • 萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記

    一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがスト

    萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2021/10/13
  • 偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 小谷野敦 江戸川乱歩・名平井太郎は、一八九四年の生まれである。このことは、二十代がまるごと、僅か十五年の大正時代に収まるということを意味する。芥川龍之介は二歳年長、久米正雄は三つ、室生犀星は五つ上だが、この世代が、大正の文化に触れながら青年期を送った世代であることに注意したいと思う。大正期こそは、昭和につながる様々な「文化」を醸成した時代だったからである。和洋折衷の「アッパー・ミドルクラス」が形成されたのも、この時代である。久米は、大正五年末に夏目漱石が没した後、その長女筆子に「恋」をするが、結局筆子は松岡譲と結婚し、久米は失恋する。いわゆる「破船」事件だが、その「恋」に、良家の令嬢というものへの憧れがあったことは、当時から友人の菊池寛などに指摘されていた。同じ頃、年齢的にはまだ二十歳で、『地上』一作で天才と呼ばれた島田清次郎は、

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記
    NAPORIN
    NAPORIN 2021/04/27
    昨年三重県の乱歩博物館にいって遊んできた、面白かった
  • 1