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ブックマーク / amamako.hateblo.jp (24)

  • 「配慮したら負け」という表現者のマッチョイズム - あままこのブログ

    orangestar.hatenadiary.jp 上記の記事では「新海誠好きの元彼」という同人誌を企画したが、その後批判を受けて企画を延期した三宅香帆氏 note.com への、批判とも愚痴ともつかないような文章が書かれているわけですが、 正直全く同意できませんでした。 なぜなら、小島氏の上記の記事には「表現とは自分が覚悟さえすればどんなに人を傷つけてもいいものであり、そこで他者に配慮なんかしたら負け」という、特権性に由来したマッチョイズムがあるように思えてならないからです・ 「新海誠好きの元彼」同人誌騒動への考え まず、僕が「新海誠好きの元彼」同人誌騒動についてどういう考えを持っているか述べると 「なるほど確かにその企画によって傷つく人がいることへの配慮が足りなかったかもしれない。でも、それを企画者はきちんと理解した上で、発行を延期したんでしょ。だったら、それでいいじゃん」 ということ

    「配慮したら負け」という表現者のマッチョイズム - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2024/02/14
    何を天秤に乗せるかどうかの話なのよね。僕自身は「個人を特定してその人を一方的に貶める」以外の表現では受け取る方の繊細さなど知るかって思ってるけどね。
  • 「#ペドフィリア差別に反対します」について思うこと - あままこのブログ

    なんか一部のSNS上で最近「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが肯定・否定両方の意味で話題になっているそうで。 note.com ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向 sykality.wordpress.com これについて僕が思ったことをまとめると以下の通りになります。 ハッシュタグのきっかけとなった発言が「ペドフィリア差別」であるとは、僕は思えない 欲望自体はもちろんだれも否定できないが、それを公に表現することは当然批判の対象となりうる 「○○を好きという感情は誰にも否定できない」みたいな安易な共感は、思想としての反差別とは関係ない 「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが話題になった経緯について そもそもなぜSNS上で「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが話題になったのか、詳細な経緯は上記のnoteの記事にまとめられていますが

    「#ペドフィリア差別に反対します」について思うこと - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2023/09/07
    混ぜるな危険って言ったら差別になるってのはまあおかしいんだよ。
  • カタールワールドカップに対してどういう態度を取れば良いのか - あままこのブログ

    amamako.hateblo.jp とりあえず記録として上記の記事を書いたわけだけど、当たり前のこととして今回のカタールワールドカップに対する立場は、上記の記事で示したような、2項対立に収まる物では来無いです。 今回のカタールワールドカップや、その大会における様々な表現・活動、及びそれに参加しているサッカー日本代表への評価というものは、以下の様な要素が折り重なった中で重層的に下されるものだと思います。 スポーツにおいて反差別であったり、政治的なメッセージは持ち込んでいいのか カタールの反同性愛は「文化の違い」として容認されるべきなのか否か 日本代表を応援しなかったり、嫌うことは許されるのか しかし、スポーツというものの熱狂の中では、上記のような複雑さというものを無視して、「で、結局日本代表を応援するのしないの!」という単純な二項対立に還元されてしまいます。 そこで、敢えてそういった熱狂

    カタールワールドカップに対してどういう態度を取れば良いのか - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/11/25
    こう言う話になるならそもそもカタールを開催国に受からせた時点で歪になってるわけよね。だから割り切るしかなくなってるところはある
  • 少女を犠牲にして世界を救う功利主義が「道徳」となってはいけない理由 - あままこのブログ

    amamako.hateblo.jp 先日の記事ですが、はてブやTwitterの反応を見る限り、賛否両論、それも、否定がだいぶ多めのようです。 寄せられた主な批判としては 「著者の主張を曲解している」 「人文学は、文化相対主義を否定し、価値判断をすることによって社会に貢献しなければならない」 「功利主義に対するあままこの批判は間違っており、功利主義こそ道徳とされるべきだ」 というようなものが多いです。 ベンジャミンの考え方に同意できない部分は私もあるものの、このブログの主張も同意できないなと思ってしまったし、要約も恣意的だと感じた。の内容だけでいうなら私はベンジャミンのほうに意見が近い。 / “自分がどう生きるかは、結局自分が決めるしかないのでは?―『21…” https://t.co/PNmVoTdiyb— まくはり うづき(Makuhari Wuzuki) (@wuzuki_) 20

    少女を犠牲にして世界を救う功利主義が「道徳」となってはいけない理由 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/08/07
    なんとなく話を収斂させるべき場所がちょっと違う気がした
  • 東浩紀・石戸諭・三浦瑠麗らによる福島瑞穂氏への誹謗中傷を非難する - あままこのブログ

    ニコニコ動画での選挙特番における、東浩紀・石戸諭・三浦瑠麗らによる福島瑞穂氏への誹謗中傷が、ネット上で批判を集めています。 みんな興味がないことは知っているのだけど、ニコニコの選挙特番での東さんの統一教会に関する発言があまりにひどくて、東さんをここまで追ってこられた奇特な人たちの間ですら動揺が広がっている、ということを誰かに伝えたい。 pic.twitter.com/SFCZEPryLh— Otowa (@070vv4) 2022年7月12日 ミスって最後のを貼れていなかった。 pic.twitter.com/T6p9QiVkTv— Otowa (@070vv4) 2022年7月12日 統一教会と自民党の癒着について話し始めた福島みずほさんを、東浩紀氏と三浦瑠麗氏がやめさせようとする動画。安倍政権と統一教会の癒着は2000年代以降も週刊文春やゲンダイなどは書いてきた事実なのに、なぜ彼らは黙

    東浩紀・石戸諭・三浦瑠麗らによる福島瑞穂氏への誹謗中傷を非難する - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/07/14
    本件は全面的に同意。彼らは「識者」である資格を自ら手放したとしか評価のしょうがない
  • 男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ

    s-scrap.com 「男性にも『ことば』が必要だ」という記事を読みました。 上記の記事は、さまざまな論点があって、それぞれの論点で賛成できるもの・そうでないものが分かれるのですが、それに一つ一つ答えていくと長くなってしまうので割愛します。 ただ、タイトルの「男性にも『ことば』が必要だ」に関して言うと、それについての僕の答えは簡単で 「男性から『ことば』を奪っているのは男性自身ではないか」 というものです。 「ことば」を発するときに「説明する理論」が必要なときとは 上記の記事では、「女性が受けている不利益を説明する言説はたくさんあるが、男性が受けている不利益を説明する言説はない」ということをもって、「男性には『ことば』がない」と主張します。 これまで、男性と女性が受ける不利益の非対称さを論じる言説は、フェミニズムによるものが大半だった。したがって、女性が受けている不利益については、それを

    男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/04/14
    お気持ちの表明への反応の非対称性が怨念になっているってことは意識すべきかなと思う。
  • 「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」を相手にしなきゃならない現代 - あままこのブログ

    ちなみにこのコマはですね、のび太が面白半分に呼び出した宇宙人がそれに対して抗議しているのに「なにか言ってるけど意味わかんないw」と笑ってたらあやうく宇宙戦争が起きかける話なので、受け取るべきは「理解できない話でも無視してはいけない」という教訓ですね…… https://t.co/oZqauhPQW6— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2022年4月9日 どーもドラえもんという作品は、こういう風に、作品の意図を無視して一コマだけ切り取られることが多くて、他にも「抑止力」って言葉を凄く端的に説明している辺り、藤子先生は神。 pic.twitter.com/IoocmEoUMy— 手動人形 (@Manualmaton) 2017年4月22日 すでに指摘されてますけど 「抑止力のつもりで核兵器持っても運用者(この場合は国を乗っ取った小悪党)がその通り使うわけない」 ってとこまで藤弘先生

    「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」を相手にしなきゃならない現代 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/04/10
    源氏物語が再三槍玉に上がるのに無事なのは結局のところそう言う人たちは原典を一行たりとも読めないからなんだろうな。(漫画化されてたり現代語訳されてても、それがそびえてる以上触らない
  • 「広告」という文化ヒエラルキーなきあとの文化闘争の舞台について - あままこのブログ

    natalie.mu arrow1953.hatenablog.com 色々と論争が繰り広げられていますが、そこからは割と離れて。 上記の広告を見たときにまず疑問に思うのが、「これでこのマンガ買おうと思う人が居るのだろうか?」ということです。 普通、広告というのは消費者に何か消費行動を起こしてもらうためにあるもので、例えばTwitterの広告なんかは、続きが気になるコマだけ敢えて見せることにより「この続きどうなるんだろう」という興味を惹き、それによって閲覧者に、マンガを買わせるなり、マンガが読めるアプリをインストールさせるなりしている。 しかし、この新聞広告を見て「『月曜日のたわわ』読んでみたくなったなー」と思う人が居るのでしょうか?というか、を買わせるという目的のために広告を出稿するなら、もっと閲覧者のアテンションを惹く広告を制作すると思うんですね。 では、閲覧者に消費行動を促すために

    「広告」という文化ヒエラルキーなきあとの文化闘争の舞台について - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/04/07
    示威的に見える時点で認められてない的なトートロジーっぽさに目をつむってるようなのを感じなくもないけど、言いたいことはわかる。
  • 「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ

    www.huffingtonpost.jp この記事を読んだときに、最初に抱いた感想を正直に言うと 「そんなことで傷つかれてたら何にも表現できなくなるわ」 でした。 ただ、何度も読んでいくと、 「まあ確かに当事者には傷つく人も居るかもしれないな」とも、思うようになりました。 ですが、「誰かが傷つく」ということと、「そういう表現をしちゃいけない」ということは、また別問題なわけです。 問題は、「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうかなのです。 この記事で専門家として発言を紹介されている松岡氏は、次のように論じることで、アイドルがエイプリルフールに同性婚をしたと嘘をつくことが、差別や抑圧に加担すると主張します。 松岡さんは、「『嘘』でより多くの注目を集めるためには、『あり得ないこと』が冗談としてネタに利用されやすく、差別意識や偏見が顕在化しやすい」と指摘する。 「同性愛をエイ

    「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2022/04/04
    人を傷つける笑いが逆に救いになったりする面はあるから人間って難しい。最終的にはお笑いって「その場でちょっと傷ついても平気な程度にみんな幸せ」か「傷つくという概念がなくなる」以外では存続しない気もする
  • 「フェミニスト原則」だけでどうにもならないから今の混沌があるんじゃないの - あままこのブログ

    swashweb.net TLでは結構絶賛されていて、「真のフェミニズムってこういうことだよな」みたいなことを書かれている上記の声明文。 ただ、どうも僕は読んでいて納得がいかないんですね。 いや、良いこと書いてあるとは思うんですよ?「すべての人々が解放されるまで私たちは戦う」とか、「私たち全員が自由になるまで、私たちの誰も、自由ではない。」とか、確かにスローガンとしては否定しようがない良いことではあるし、そんな良いことに反対するツイフェミたちは悪魔なんじゃないかと、そうも言いたくなるでしょう。 でも、僕は思うんですよ。 「そんな原理原則だけでは解決できない問題があるからこそ、今の混沌があるんじゃないの?」と。 ある人・グループの人権を尊重することが、別の人・グループの人権を毀損するという矛盾 例えば、上記の声明文では、以下のように書いて、すべての人の人権が尊重されることが重要だとしています

    「フェミニスト原則」だけでどうにもならないから今の混沌があるんじゃないの - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2021/07/15
    なんかすげー釣れちゃったね。おかしいこと言ってないけど、ではなぜ今この声明を改めて提示したのか、というのはもうちょっと深刻な話だとは思ってる。
  • 1987年生まれから見た「若い世代」の論客たちについて - あままこのブログ

    91年生まれ大反省会をしたい。わたしは91年生まれで今年30になる。若者と括られてきたけど、明らかに今の世代と全く育ってきた景色が違うことを感じる。政治家と言えば小泉首相、まだ日は経済的にすごいと習ったし、嫌韓屋に並び、ネットは2chにニコニコ、メディアは「オネエ」を笑っていた。— 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 当時K-POPを色んな人が恐れていたのを覚えている。学問といえば受験勉強、フェミニズムはヒステリー、社会運動は危険、資主義は疑えないもの。数え切れないイメージが潜在的に内面化されているはず。ここをしっかり毒出しして反省しないと、これからの世代を抑圧してしまう。ここが分水嶺だと思う。— 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 僕は、これらのツイートに、「たしかにそうだなー」と思ってたんですが、どうやらはてな

    1987年生まれから見た「若い世代」の論客たちについて - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2021/07/12
    こういうの大事だとは思うよ。世代ってのは背景であって必ずしも意見の一致を企図したものではないので、「世代でくくるな」ってのも雑だよな。
  • 「何者でもない私たち」だからこそ主役になれると驕っていた時代 - あままこのブログ

    anond.hatelabo.jp この記事、シロクマ氏やアジコ氏に向けられているけど、僕は勝手に「これってまさしく僕のような人間に向けられた手紙じゃん」と思わずにはいられませんでした。なので、勝手に宛先が僕になっていると勘違いして、話を進めます。 はてな村を形作っていたのは、むしろ僕のような「未だ何者でもない」者たちだった というかそもそも、シロクマ氏やアジコ氏のような人間がはてな村人の代表として扱われるのが僕には納得いかないんですね。彼らはむしろ、「マンガ作者」とか「精神科医」みたいな、自分の属性・居場所を外に担保しておきながら、あくまで観察者としてはてな村のようなコミュニティを眺めている立場だったというのが、僕の感覚なんです。 そういう人らは、「実生活から一時的に逃げるアジール」としての機能がかつてのはてなにはあったと語るけど orangestar.hatenadiary.jp 僕か

    「何者でもない私たち」だからこそ主役になれると驕っていた時代 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2021/06/30
    ああ、たしかにこういうところはあるな(僕自身の立ち位置はシロクマ先生とかとも違っているけど)。テキストサイト(侍魂とか)とかニュース・アンテナサイト(ちゆとかカーズSPとか)と同じ匂いの何か。
  • なんだか凄いことになっちゃった世界 - あままこのブログ

    企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない近未来 ふと思う、なんでこんなことになっちゃったのかなぁと。 そりゃさ、多少は僕らも調子に乗ってたんだと思う。オリコンチャートでアニソン一位にして、avexだののJ-POPをコケにしてやりたいとか、24時間マラソンや27時間ゴミ拾いを邪魔して、ネットを馬鹿にするテレビの鼻を明かしてやろうとか。 でも、じゃあ僕らが結局何をしたかったかといえば、そんな外のことは来どうでも良くて、多分ネットの仲間たちでつるんで、わいわいくだらないことやりたかっただけだと思うんだよな。社会を変えようとか、どうでもよくて、半径1クリックぐらいの内輪で盛り上がれればそれで良かったはず。ネットの外も、所詮ネットなんてその程度のお遊びだと考えていたし、中の住人だった僕らも、それで満足してたはず。 でも今、僕らはなんか、悪い奴らか

    なんだか凄いことになっちゃった世界 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2019/09/09
    かつてのアレと今のソレってのは同じ基盤だけど別の世界、なんだよな。
  • 「広告」こそが、見たくない現実を暴く力となる(LOFTバレンタイン広告について3) - あままこのブログ

    amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp LOFTのバレンタイン広告について擁護の論陣を張ってきましたが、案の定ネット上では大不評です。 ですが、はっきり言うと僕はこれらの記事に批判をされればされるほど、むしろ逆に「あの広告は価値ある広告だった。撤回したのは実にもったいない」と思うようになっています。というか、最初は僕も「まあ広告だし批判を受ければ撤回するのは当然だよね」という考えの人間でしたが、今はもう「批判を受けようがあの広告は撤回すべきではなかった。広告を撤回させたネトフェミ共に、その声に安易に屈して広告を取り下げたLOFT、両方クソである」とすら思うようになっています。 なぜなら、批判をしてくる人の論調こそが、あの広告を今、「広告」として世に出すべき理由を証明しているからです。 それが一体どういうことか、批判してきたコメントに答える中で説明していき

    「広告」こそが、見たくない現実を暴く力となる(LOFTバレンタイン広告について3) - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2019/02/06
    広告にもそれぞれで目的が合って、それと合致してたかどうか、なんだと思うけどな。
  • 「おっさんどものせい」にできれば楽なのだろうけど(LOFTバレンタイン広告について) - あままこのブログ

    LOFTのバレンタイン広告、案の定取り下げになったそうで。 ロフト、バレンタイン広告取り下げへ 女子の不仲描いて「女性蔑視」と指摘相次ぐ : J-CASTニュース まあ、あれだけ炎上して「LOFTの商品は二度と買わない!」とかいう不買運動起こされれば、企業が怯えて広告を取り下げるのも当然でしょう。 しかしやっぱり納得がいかないのが今回の件についてのtwitterでの反応。 どうやらこの結果を受けてtwitter上のいわゆる「ネトフェミ」と呼ばれる人たちは勝利宣言をしているみたいですが、やっぱり彼女らの主張は僕にとっては首を捻らざるを得ないものでした。 なかでも一番イライラするのがこういう主張 ハッピーゆべ on Twitter: "ロフトのバレンタイン広告イラストもテーマもくそださ… これぜったいお上()のおっさん達がゴリ押ししたんじゃない?" 📛みんみん📛 on Twitter: "

    NOV1975
    NOV1975 2019/02/05
    とはいえ、あの広告はこうしたギスギスをあぶりだした(=バレンタインの虚構性を顕にした)という機能になってしまった結果、バレンタインの広告としては目的を果たしてないと思う。
  • キズナアイの騒動に寄せて―アンビバレンツな態度をいかに保つか - あままこのブログ

    なんかものすごく久しぶりに記事を書く気がします。あままこです。 今ネット上では、NHKのニュースサイトにキズナアイが登場し、その登場の仕方が問題あるのではないかとか、そうやって社会学者が「ポリコレ」を盾にいちゃもんをつけるのこそ問題だ、という感じで、論争が巻き起こっていますね。 で、まずこの論争に対する僕の意見はというと、まあ、荻上チキという評論家の人*1がTBSラジオの番組で述べていた意見 www.tbsradio.jp と大体同じ感じで、「キズナアイの記事にはジェンダー的な問題があるから、それに対して議論をすることはいいことで、『騒ぐ方がおかしい』と一蹴するのはおかしい。」というものです。 さらに言えば、ジェンダー的な問題とは更に別に、「こういう解説記事で、聞き役にバカを演じることが強いられる」ということも問題だと思っています。これに関しては、twitterで意見を連投したのでそれを転

    キズナアイの騒動に寄せて―アンビバレンツな態度をいかに保つか - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2018/10/09
    うーん、潔癖というか、キズナアイをダシに、雑な論法で物事を語ろうとしたことから火がついちゃったっていう話には思える。で取り繕い方も雑だったと。
  • 経済成長論争ってなんでこう、レッテル貼り対決になるのか - あままこのブログ

    なんか中日新聞に上野千鶴子氏が寄稿した文章を元に、またインターネット上では「経済成長は善か悪か」論争が盛り上がっているそうです。 synodos.jp この論争を読んでいて、ちょっと古参のブロガーなら即、「ああ、またこの論争か」と思うことでしょう。経済成長論争っていうのはそれぐらい、ブロゴスフィアで何度も何度も繰り返し論争の対象になってきた話題だからです。 d.hatena.ne.jp anond.hatelabo.jp eulabourlaw.cocolog-nifty.com 大体四年おきぐらいに議論がぶり返していますな。オリンピックか。 しかしそれだけ議論が何回も何回も行われていても、いまだブロゴスフィア内ですら合意形成ができていないのが、この「経済成長論争」というものなわけです。 僕が思うにその原因っていうのは、結局経済成長肯定派も否定派も、相手の議論こそがすべての人々を不幸にする

    経済成長論争ってなんでこう、レッテル貼り対決になるのか - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2017/02/22
    デメリットに向き合うとポジショントークから乖離するから、それを無視したままになると論争相手はそこが攻めやすすぎてそこばっか攻める=レッテル貼り大会になる、のではないかと思ってる
  • 「反省したいじめ加害者のことを『許さない!』と、いじめ被害者が主張するのは、危ない思想(by山本弘)」なのか - あままこのブログ

    先日、こういうtwitterまとめをtogetterで作成しました。 togetter.com 上記のまとめには賛否両論様々な意見が寄せられていて、そのどれも真剣に考えなきゃいけないなと思ってるところです。 ただ、その一方で、小説家の山弘氏がした発言が、僕にはどうしても納得行かないものでした。 その内容はこちらです。 山弘 on Twitter: "あのさあ、いじめ被害者だった一人として言わせてもらうと、加害者側から被害者側に転落し、自分のやったことを悔いている主人公を「許さない!」「救済されてはいけない!」と主張するのは、..「『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか」 https://t.co/NPrOtylQoJ" あのさあ、いじめ被害者だった一人として言わせてもらうと、加害者側から被害者側に転落し、自分のやったことを悔いている主人公を「許さない!」「救済されてはいけない!」と

    「反省したいじめ加害者のことを『許さない!』と、いじめ被害者が主張するのは、危ない思想(by山本弘)」なのか - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2016/09/23
    ここに書かれている内容はもちろんわかるとして、山本弘が言っているのはちょっと違うことのようには思える。
  • 「宿命」のレールを乗り継いでいく、「何者にもなれない」自分 - あままこのブログ

    熊代亨(id:p_shirokuma)氏が、ブログで「週刊金曜日」に、サブカルチャー作品における「努力の位相の変化」について寄稿したという記事を見ました。 『週刊金曜日』の特集「若者に広がる“新しい宿命観”」に参加しました - シロクマの屑籠 それで、今回特集のタイトルが、「若者に広がる“新しい宿命観”」という面白そうなテーマで、しかも斎藤環氏や内藤朝雄氏に土井隆義氏といった、自分が大好きな方々が寄稿しているということで、さっそく買って読んでみました。 週刊 金曜日 2015年 1/16号 [雑誌] 出版社/メーカー: 金曜日発売日: 2015/01/16メディア: 雑誌この商品を含むブログを見るまあ四人とも、普段著書や講演・ブログ等で書かれていることとそんなに外れたことは書いてない感じなのですが、ただこうして「努力」「宿命観」というキーワードでまとめられると、また新たな視点が広がる感じが

    「宿命」のレールを乗り継いでいく、「何者にもなれない」自分 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2015/01/19
    戦国下克上時代、明治維新、大正デモクラシー、高度成長期、バブル経済。人生の大事な時にイベント未発生だと身につくのは諦念か。
  • ネットを窮屈にする側の論理 - あままこのブログ

    新年あけました。めでたい人もめでたくない人も、今年も一年よろしくお願いいたします。 さて、新年早々はてなでは、「ネットは昔と比べ寛容性がなくなり、窮屈になってきているんじゃないか」という議論が話題を集めているようです。 最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠 インターネットの空き地 ネットが窮屈に感じる原因はfacebookルールと拝金主義 - かくいう私も青二才でね で、はてブも含めて議論の大勢は、「確かにネットが大衆化するにつれて、尖った発言や、社会では受け入れられにくい発言って、すぐに炎上したりして、しにくくなったよね。それってしょうがないことかもしれないけど、なんかつまらないよね」という流れになっているようです。 でも、僕は思うのです。 「これって自分にとってはむちゃくちゃ違

    ネットを窮屈にする側の論理 - あままこのブログ
    NOV1975
    NOV1975 2015/01/03
    やっぱこの話きっちり触れたほうが良いかな。/このエントリ自体には賛同できる部分も、そうでない部分も、たくさんある。