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2009年6月21日のブックマーク (4件)

  • ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

    目次 ●ネットの誹謗中傷揚げ足取り炎上で苦しむ人と喜ぶ人 ●宇宙が熱平衡へ向かうように、人類社会は偉さの平衡(=平等)へと向かう ●ネットの誹謗中傷揚げ足取り炎上の3つの格差是正機能 ●この社会にエリートはいらない ●なぜエリートがいなくても、社会が機能するのか? ●経済体制の革命では「偉さ格差」は是正できないということは、歴史が証明している ●人類史上唯一Webだけが、共産革命という劇薬によってもなしえなかった根的な「平等革命」を引き起こす ●会社は社員を馬車馬のように働かせるために、「偉さ格差」を利用する ●権力者は、人々の「生活基盤を人質」にすることで、人々を支配する ●Webが人質を解放することで、人類史的な進化が引き起こされる ●Web革命によって斃される運命にあった梅田氏が、Web文明の旗振り役をやったという歴史の皮肉 ●梅田氏が「残念」と斬り捨てた日のWebの生態系こそが

    ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
    Nagise
    Nagise 2009/06/21
    長々と書かれているが、主張はルサンチマンと結果の平等主義といったところか。結果ありきの論理の組み立ての感が強い。ツッコミどころが多すぎる。
  • モヒカン族の矜恃がオープンソースを支えてる、のかも? - 狐の王国

    かみつく相手が違うのではという記事。梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたいという記事への反応の一つ。 うーん、まあ元ネタに関してはLinuxを中心にオープンソースを見ちゃうとこう見えちゃうんだろうね、という感じで、だからこそバザールモデルとオープンソースの混同が見受けられるのだよね。Linuxの開発の参加ということなら確かに日人はそう多くないよな。 けど、日のオープンソース開発者なんていっぱいいるし、オープンソースで有名なソフトを出してる大企業もいっぱいいるんだぜ? 実際UNIXが日に入って来たばかりのころは、そもそも日語が表示できないだとか日本語入力ができないだとか、そんなところで悩んでいたはず。で、実際その当時の多くの日人や日企業がUNIXのための日語環境をオープンソースで開発していた。 Canna(日電気) Sj3(Sony) Wnn(オムロン) この

    モヒカン族の矜恃がオープンソースを支えてる、のかも? - 狐の王国
    Nagise
    Nagise 2009/06/21
    行動してなんぼなんだけど、この言葉が胸に刺さる
  • Java : Coroutine - lethevert is a programmer

    さっきのを、もうちょっと汎用化させて、コルーチンを作ってみた。コルーチンにすると、スレッドが競合することがなくなるので、排他制御やらなんやら考えるのはずいぶん楽になる。 これがサンプルコード。sleepしている最中に他のスレッドが割り込んでいないことに注目。 public class CoMain{ static Coroutine c; public static void main (String[] args){ init(); while (c.yield()); System.out.println("main finished"); } static class Test implements Runnable{ int p; Test (int p) { this.p = p;} public void run (){ for (int i=0; i<5; ++i){ c.y

    Java : Coroutine - lethevert is a programmer
    Nagise
    Nagise 2009/06/21
    コルーチン。スレッド制御をどうやってるか後で確認する
  • 成果が永遠にみんなのものであり続ける仕組みも含めてオープンソースという言葉を使おう - アンカテ

    オープンソースという言葉がソフトウエア以外の分野に広まることで、良いことと悪いことがひとつづつある。 非組織的で自発的なコラボレーションの有効性が一般に広く認識され市民権を得る オープンソースでないソフトウエアがオープンソースと呼ばれてしまう危険性が高まる 私は、1.を重視して、他分野に転用してこの言葉を広い意味で使ってきた。だから「お前が言うな」と言われそうだが、オープンソースという言葉を使う時には、2.についても考慮すべきだと思う。 オープンソースとは、来は、開発の方式ではなくてソフトウエアのライセンスを分類する為の言葉だ。オープンソースの定義 という広く認められた文書があって、これに合致するライセンスによって配布されているソフトウエアがオープンソースである。 つまり、ソフトウエアは、それがオープンソースであるかそうでないか、何の紛れもなく客観的に判定できるのだ。だから「オープンソー

    成果が永遠にみんなのものであり続ける仕組みも含めてオープンソースという言葉を使おう - アンカテ
    Nagise
    Nagise 2009/06/21
    「ほっておいたらほぼ確実に奪われるということだ。」無邪気に開発をしたいのだとしてもこの現実とは向かい合わざるを得ない