上映前に『怒り』の予告編やってて 「田代くんと一緒に住みたいの」「そんなに田代のこと好きか」とか言ってて 「田代」で頭に浮かぶのはひとりしかいなくって 「田代」っていう名前はもう登場人物の名前として使わないほうがいいんじゃないかと思ったりして んでゴジラ始まってちょっとして 最初に出てくる人名が「志村」なわけ おいおいつながっちゃったよってなって そんで内心ニヤニヤしてたら柄本明出てきてもうダメ
上映前に『怒り』の予告編やってて 「田代くんと一緒に住みたいの」「そんなに田代のこと好きか」とか言ってて 「田代」で頭に浮かぶのはひとりしかいなくって 「田代」っていう名前はもう登場人物の名前として使わないほうがいいんじゃないかと思ったりして んでゴジラ始まってちょっとして 最初に出てくる人名が「志村」なわけ おいおいつながっちゃったよってなって そんで内心ニヤニヤしてたら柄本明出てきてもうダメ
君の名は。やらシン・ゴジラやら何かと震災と絡めたレビューが見られるし製作者も意図している 確かにあの震災は大きな規模だったし、未だに傷跡を残している。 しかし、俺らの前には未だにブラック企業がのさばっているし、役人の不正もなくならないし 子供は減る一方だし、地方はどんどん過疎化するし、都心はラッシュで痴漢に飛び込みも無くならないし、 芸能人は不倫するし、昭和の名優は死ぬし、台風は来るし、野菜は高いし、うなぎは絶滅しかけてるし、 若者は馬鹿だし、大人はずるいし、老人は面倒だし、男は傲慢だし、女はヒステリックだし、 ネットは殺伐としてるし、基地外が人をいっぱい殺すし、あの国はミサイルをぶっ放す。 震災を経て人々は何も変わっちゃいない。 メディアもインテリも政治家も、震災をダシにそれまでと同じやり方で金を手にするだけだ。 いつからか人々が抱えている閉塞感や断絶感は何も解消されていなくて、むしろ喧
当時小学六年生 初めて経験する地面がうねる感覚、そこら中から鳴り響く地震速報の音。 全てが得体の知れないものだった。 そしてそこから毎日、毎時間、絶え間無くTV流れ続ける被害情報の映像。 瓦礫の山、押し寄せる津波、その後ろには大勢の1人の死の瞬間が確実に映っていた。 数年経ってから、3.11に限らず地震関する全てに強い恐怖を覚える自分に気づいた。 地震速報の音、地面から感じるかすかな揺れ、全てに異様なほど不安を感じる、手の震えが止まらない。トラウマそのものだ。 その恐怖の根底はやはり当時見たあの映像数々にあったと思う。 話は逸れるが、シン・ゴジラの映画を1人の死が大げさに描かれないからこそ感じる現実らしい恐怖があると評価している人がいた。その通りだと思った。 災害の中でも1人の死が大きく取り上げられるのは創作の世界だけ、現実はもっと淡々と一瞬ですべてが奪われていく。 そこに確かにあったもの
君の名はマジよかったよ! シンゴジラが面白すぎて青春映画なんて見ても やっぱシンゴジラだよねみたいな再評価に落ち着くかと思ってたけど裏切られたよ! 新海誠いいよ! おっさんだろうけどすごいよ! おれもおっさんだけど尊敬するよ! レビューで年取った人が見ても所詮主人公に感情移入できなくてヘコんで虚しいだけみたいなこと言ってたけど、全然そんなこよないよ! おっさんの思い出も掘り起こされたよ! 甘酸っぱい青春なんてなかったけど むりやりないものを掘り起こされたよ! そしてなんか見つかっちゃよ! 捏造だよ! 土足でおっさんの思い出にズカズカ入って来られたよ! アメリカ人だよ!ハリウッドだよ! もう国籍はアメリカだよ! 三葉生きててよかったよ! 四葉もだよ! ここはちょっとネタばれだよ! おっさんも毎日生きてるよ! ラッドもよかったよ! ラッドよかったってレビューで書いてあるの見たから 歌詞に集中し
コンビニとかで、店員同士が雑談してるのを不快に思う人とか、 ポケモンGOを楽しく遊んでる人を不快に思う人とか、 シンゴジラを楽しく見ている人を不快に思う人とか、 それらしい理屈を付けて批判する人がいる。 たしかに、理屈は理屈だから一理あることも多いんだけど、 理屈ってのはぶっちゃけどんなものにもくっつく。 何なら、結論が正反対の理屈だって、こねくり回せば思いつく。 だから、結局、その理屈を思いついたという、人の気持ちこそが重要なんだと思う。 どうして人は他人が楽しそうにしているのが不快なんだろう? (というようなことをくたくた考えた結果) つまり、国境を無くせば戦争は無くなるんだよ!!!!!!! (内戦も無くなるとは言っていない)
改めて気付くのは、映画のリアリティには2種類あるということだ。 『シン・ゴジラ』におけるリアリティは、ゴジラというフィクションを本当に存在するものかのように描くことだ。 そのために庵野監督は官公庁に対する徹底した取材を行い、3時間映画に匹敵する台詞量(情報量)を早口で映画に織り込んだ。 他方、『君の名は。』が目指したのは、フィクションを徹底的にエモーションで押し切ることだ。 本作では中盤で大きな謎が明かされるのだが、それは主人公たちのこれまでの行動に大量の矛盾点を生じさせる。 また、問題の解決策も、どうしてそうしたらそうなるの?という理屈はまったく科学的でない。結末も言ってしまえばご都合主義的だ。 しかし、本作では(少なくとも観ている最中は)これが気にならない。 主人公たちに感情移入した観客たちはジェットコースターのような感情の起伏に振り回され、こうした些細な点が気にならなくなるのだ。
山深い田舎町で憂鬱な日々を送る女子高生「三葉」。 そんなある日、自分が「シン・ゴジラ」になる夢を見る。 テレビで見覚えのある高層ビル、足元には東京の街並み。 念願だった東京を思いっきり歩き回り満喫するゴジラ(中身は三葉)。 一方、シン・ゴジラも奇妙な夢を見た。 行ったこともない山奥の町で女子高生(中身はゴジラ)になっているのだ。 繰り返される不思議な夢。 そして、二人は気づく。 「俺/私たち、入れ替わってる!?」 幾度も入れ替わる身体で、なんとか状況を乗り切っていくシンと三葉。 入れ替わりながら自分たちが特別に繋がっていたことに気づいたシンは、三葉に会いに行こうと決心する。 辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた。 真実を知ったシンは、三葉の町の住民を避難させる。 そして、地球に接近する隕石を破壊するために捨て身の覚悟でシン・ゴジラが今、立ち上がる! 三葉「シンくん、死んじゃだめ〜!
グーグルトレンドで君の名はの上昇を見てみると6月下旬から上がってることがわかります 7月下旬のシンゴジラの公開を受けて君の名はの数値は上昇していません 君の名はの流行に関してはシンゴジラの影響を確認出来ません
意思もなくいきなり都会に現れた、 ゴジラ単体で街を壊しまくってる旧作とかは理解できそうなんだけど 急に「ゴジラVS○○」系になると、 なんで、日本を守るため(そうなの?)に相手と戦いだすの? ゴジラ手のひら返しすぎじゃない? なにぶん、旧作を一切見たことないので想像なんだけど、 なにゴジラ急にいい人になってるの?って憤りを感じる。
このハッシュタグで情報を流されるの、本当に嫌なんだけど。 一種のデマゴーグをみんな面白がってるの。 凄く嫌な気分にしかさせられないんだけど、そういう批判的なことを言う人は誰もいないんだよね。 不思議。
昨日ヒラコーのヘルシングOVA見てたんだけど 吹き替え洋画のセリフ回しとか好きなんだろうなあとか思いつつ シンゴジラフィーバーも要するに過去映画の寄せ集めしたものの再構成だなあとか思うと オタが好きなのは作られた背景にある情報量であって出来上がったものの良し悪しではないのではなかろうかと感じる今日この頃
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く