ずいぶん前の話だが、就職面接で「なぜ就活するにあたって髪の毛を黒に染めなかったのか」と聞かれたことがある。 俺は母親が白人のいわゆるハーフ。髪の毛は生まれたときから通常の日本人より明るめの茶色で、このときも染髪していない地毛の状態での面接だった。 (言うまでもないが)DNAの半分は日本人のものであることから、日本人的な特徴も持ち合わせている顔立ち。初対面では「もしかしてハーフですか?」ともしかしたら白人っぽい日本人なのかも……的なニュアンスで質問されることも稀にある。 そういう経験から、面接官は俺がハーフであることに気付いてないのかと思い、「父は日本人ですが、母が白人で……」と説明すると、 「いやそれは分かるけど、どうして黒に染めなかったの?」と少し苛立った様子の面接官。 一瞬意味が全く理解出来なかったが、どうもこの面接官は「就活をする学生はみんな髪の毛を黒に染める。=就活をする人は地毛が
何もかもが嫌になって急に涙が止まらなくなった。 何のために就活してるのか。少なくとも自分のためでは無い気がする。 こんなに辛い思いして、大学の勉強の時間も削って、お金も使って、その結果がお祈りメールの山。 「働きたい」。ただそれだけなのに、どうしてこんなに辛い思いしなくちゃいけないの? 「就活よりも辛いことがこの先たくさんある」とか「自分に合う企業が見つけられてないだけ」とか、理屈では分かるよ。そんなこと重々承知だよ。 でもさ、そんな理屈わかってたって内定が貰えるわけじゃないんだよね。 企業にヘコヘコして、明るくて元気な自分を演じて、どんどん本当の自分と就活生の自分が乖離していく気がする。 こんなにまでして企業に媚びへつらって何になるんだろう? もう疲れた。もう全くやる気が出ない。 ミサイルが飛んできて全部終わっちゃえばいいのに。 こんな風に考えてしまう自分が心底嫌だ。 就活で自分のことが
「アットホームな職場」「和気あいあい」「社内イベント多数」みたいな文句が並ぶのはブラック企業の証といわれて久しいけど、 いまだにそういった求人広告が減らないのは、そういった会社の求人担当者が情弱なのか、そんな文言に釣られる求職者が多いのか。
就活真っ只中の今、周りの友人たちはどんどん内定先が決まっている。 自分はまだゼロ。推薦で決まっている人が多いからかもしれないけれど、正直もうどうしようもないくらい焦っている。 ただ、絶望しているのはそこじゃない。 昨日また一人内定が決まった。その友人は、推薦の第一希望配属に落ちてダメ元で受けた第二希望配属に通ったらしい。 そのときに、LINEでは祝福しながらも全く心の中では祝福できてない自分に絶望した。 人と接するときには自分ではいい人になっていたつもりだった。 だからこそ、内定をもらった友人には素直におめでとうと言えると思っていた。 しかし、現実は残酷で、自分の心のなかには暗雲たる気持ちしか残っていない。 もしかすると自分は「いい人」を演じていたのかもしれない。 演じていたとしたら、このまま「いい人」を続けていける自信がない。 自分とは一体なんなのだろうか。どうすればいいのだろうか。
証明写真を撮る仕事をしているが、これから自分が使う写真のサイズを把握していない就活生が多いように思う。 大抵若い人がリクスー着て来るので「ああ就活生か」と分かるのだが、「サイズは何ですか」との質問に対し、 「普通どのサイズですか?」 「みんなどんなサイズで撮ってますか?」 「(友達連れで友人に)え?サイズ?何だっけ?」 「……」←恐らく分かってない 就活の写真なんて大抵4x3なのに、それすら把握してないってマズイんでない?ESに使う写真の規格や仕様は必ず書かれてるんだからその確認はしてから来てくれ。 そのついで、企業側にも頼みがある。 最近はWEBエントリーだか社員証だかでデータ提出を求める所も増えてるのだが、ロクに仕様提示せず就活生にぶん投げるな。 少なくとも「◯x◯の比率、◯ピクセルx◯ピクセル以上、◯バイト以下」ぐらいの指示はくれ。 データ欲しい人もハテナ、コッチもハテナ、それでダメ
夜ベットで寝る時セックスしたいなあ(彼氏と) アニメ見てる時セックスしたいなあ(アニメにでてくるお気に入りと) 好きな歌聞いてる時セックスしたいなあ(歌ってる奴と) 飲み会の時セックスしたいなあ(先輩と) バイト時セックスしたいなあ(イケメンの客と)裸見たいなあ(その彼女の) 授業中暇な時セックスしたいなあ(彼氏と) ドライブしてる時セックスしたいなあ(彼氏と) ずーーっとセックスセックスセックスセックスセックス 就活のエントリーシート書いてる時もセックスセックスセックスセックス 何をしてても頭はセックス! 夜はオナニーオナニー!!履歴はエロ動画まみれ!!! なんでなんだろう??セックス依存症なのかな?彼氏は優しくて大好きだし家族ともトラブルないし今までの人生そこそこ満足なのになあ
初投稿。現在M2で就活中。24歳。 就活を通して将来のキャリアプランとか考えるんだけど、自分が同性愛者であることが原因なのか明るい未来が想像できない。 すごいエンジニアになって、仕事バリバリやって、金ガンガン稼いで、面白いものつくっって....てな感じで色々考えても 「あっ、自分て同性愛者だから、キャリアをいくら積んだからって一生孤独じゃん。働く意味!?」っていう着地点になるんだよね。 中学生のときに同性愛に目覚めて、いま24歳。両親の離婚、自分の性癖、不登校、浪人生活.....色々乗り越えての現在(いろいろあったなぁ)。 大学では友人に恵まれて、人生で一番楽しかった。それもあと一年で終わり。 友人たちもそれぞれの道に進むために就活中。社会人になって、家庭をもって、キャリア積んでとかそれぞれの夢に向かって散らばっていく。 今までみたいに、学校行けば誰かがいて、楽しい時間を過ごせるってことが
増田の社会的信頼が下がってるいま、ここで聞くのもどうかと思うけど、はてなはITに詳しい人多いし自分のブログで書くのはリスクがあるからここで聞きます。 私は大学で情報系を専攻していない、文系の大学生です。文系だけどエンジニアになりたい、手に職付けたいと思ってSEの仕事を就活で探しています。そこで、目下いろいろ企業説明会やらリク面やら一次面接をこなしている最中なのですが、少し迷いが出てきました。 私はプログラミングの経験がないので研修が充実している会社を重視して探しているのですが、そういう会社は体力がある会社なので、大手のSIerが多くなります。でもそういう会社って良くも悪くも安定していて、若手がプロジェクトの中で大きな仕事を任せてもらえなかったり、外に転職する人が少なかったりするんです。 私は技術を身に着けて転職して自由度の高い仕事をしたいからこの業界で就活しているのですが、はたして大手のS
楽しそうだから、やってみたかったから、そんな志望動機で就活していいと思う。 もっといえば自分はこんなスキルを身に着けたいから、とかそんなんでいいと思う。 よくこういった志望動機ではダメだ!というエージェントや風潮が世の中にはびこっているがなんでだろう。 企業はやめない人材を採りたいからとか? やめない人材を取るために、御社のここが魅力的で〜、これこれこーがどうのこうので〜と言わせている説 採用にも費用がかかり、人材育成にも費用がかかり、そういったことを考慮するとなるべくやめない人をとっていきたい。 やめない人材とはこの企業に魅力を感じている人。そういった人をとろう。 という思考なのだろうけど、 ぶっちゃけ「XXX(企業名) 志望動機」がサジェストに出てくる時点で意味が無いとおもう。 みんな「楽しそうだから」「スキル手に入れたいから」「給料よさげだから」「大手の安定感」という本音を隠すために
ゲイの自殺率・自殺未遂率はとても高いという。 ゲイである私(多くのゲイが多分そうであるように、私はカムアウト=ゲイであることを公表すること、をしない、 つまり「普通の人」を装って生きると決めた人であることを前以て伝えておく。)からすれば耳の痛い話であるし、同時に身に覚えのある話でもある。 なぜ死にたいのか?ゲイだから死にたいわけではない。ゲイというのは、生きていく上でものすごく大量の「嘘」をつかなければならない場合が多いために、それに耐えられず死ぬのだろうと私は考える。 例を挙げて説明しよう。 「ゲイである」という事を偽るためには、「私はゲイではないです」と言えば良いのか? 否。 「ゲイですか?」と聞かれることなどあろうはずもないし、多分皆さんにもそんな質問の心当たりはないだろう。 「好きな女性のタイプは?」「AKBなら誰推し?」 「クラスの○○ちゃん、かわいいよな」「昨日のガッキー見た?
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。 予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いよ
人生一度きりの薔薇色のキャンパスライフを、自ら汗と泥にまみれた過酷な環境へと投じた心熱き大学生のアスリート達にこの文章を送りたい。 おそらく君は、今までスポーツのことばかりを考えてきた。大好きで、楽しくて、誰かに応援されて、自分の人生の中でそれをすることは紛れもなく正しいことで、いつもそのことしか考えてこなかった。 しかし君はある日突然、社会に出る準備をしろと言われる。 頭ではわかっていた。プロじゃないし、大人になったら飯を食うために働かなきゃいけない。でもスポーツ以外で、しかも経済活動に結びつくことでやりたいことなんて当然ながら全く思いつかない。 やりたいことが無いから知名度、会社の大きさ、年収、社会的地位、将来の安定を本音に、自分のスポーツ経験からなんとか志望動機を絞り出して選考に臨まざるをえない。 少し考えれば分かることだが、スポーツ経験が業務に直接活きるわけがないし、そもそも就労意
一言で今回書きたいことをなんと表せばよいのか。 迷った挙句とうとう人の言葉を借りてしまった。 タイトルはレミオロメン「君は太陽」の歌詞だ。 昔からよく聞く曲の一つだが、 2番AメロBメロは特に心に突き刺さる。 [頭と心は違う 誰かが言った言葉が巡ってるよ 後悔の無い様に生きる為にはやっぱり心なんだろう 色んなことを引き受けたり委ねたりしてるけど 身の程知って愛を込めて日常を生きていこう 生きていこうか] 本当にそうだと思う。頭と心は違う。 今日は特にそれを感じた一日だった。 就活セミナーに行ってきた。 私は既卒の就活生なので多分周りの就活生よりは焦った方がよい。 この3月まで就職とは別の道を志していたので、今回が初めての就活セミナーだった。 就職活動に対して何の知識もない状態だったので、基礎的な就活講座を受けることにした。 その中で選んだものが面接時のマナーに関するものだった。 かつてはヤ
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