ある小説で、親から「人の頼みは断るな」と育てられてなんでも引き受けちゃうけど本人も楽しんでるお調子者と、親から「周りに慕われる優しい人になりなさい」と育てられて本人も重圧を感じつつ周囲からは一目置かれる人格者に育ってる子が出てきまして。 この教育方針だけ見ると毒親とか言われそうだけど、どちらの親も愛情深く本人の意思も尊重しつつ育てている感じで、2人ともとても魅力的に育ってるの。小説だけど。 翻って自分のことを考えると、親から何か特別モットーのようなものを示されたことはない。うちは貧乏だと育てられていたので就職したら仕送りしようと思っていたら、「自立するだけで十分親孝行」とは言われたので、自分の子供も自活できるようになってほしいと思っているくらい。あとできれば自分が楽しいと思えることを見つけてほしいとも思っている。自分には特別ハマってる趣味も無いんだけど。 「自分で暮らせる分だけ稼げるように
子供の頃、ホラー小説だけが救いだった。 不幸な話は嫌いだった。本の中の世界でまで不幸に浸りたくなかった。 幸福な話は嫌いだった。そうでない自分が惨めになるから。 救いがある話は嫌いだった。私は救われないのにお前だけずるいと思った。 ファンタジー小説は嫌いだった。私の世界がそうでないことに心底がっかりするから。 異世界に行って帰ろうとする話は嫌いだった。ここが帰りたい場所と思える幸せなやつなんて嫌いだと思った。 異世界に行ったままの話は嫌いだった。なんでお前は逃げ出せて私はここから逃げられないんだ。 青春ものなんて最悪だった。 他人の満たされた学校生活なんて知りたくなかった。 悩みながらぶつかりながら部活動をやり遂げる話なんて、書いた作者は子供の敵だと憎んだ。推薦図書に選んでくる大人ごと全て憎んだ。 ホラー小説だけが私の味方だった。 ホラー小説の中でなら、みんなだいたい死ぬ。ひどい目に合う。
『宇宙の戦士』 多くの人型ロボット物の生みの親となった作品。日本産じゃない事とSF小説というジャンルの立ち位置が影響してガンダムや鉄腕アトムに親権を奪われ続けてきた。正直このまま放置すると歴史に埋もれてしまうので、もういっそロボットアニメとして現代に蘇らせてしまうべきだろう。 『シャーロック・ホームズ』 謎の評価が高まりすぎた探偵小説。作者自身もなんでこんなに売れているんだろうと悩むレベルで何故か売れてしまっている。今見るとビビるレベルで陳腐なトリックも多い癖に、読まずに持ち上げてる老若男女が多数いる。小説を読めないというなら映像作品にしてその粗末な内容を突きつけてやろう。 『惑星のさみだれ』 変な逃げ方してないでさっさと作れ。3クール用意するんだぞ。2クール+日常回を特典やOVAに回す方向でもギリギリ何とかなるかなあ……。 じゃあ、残りのリスト作成と投げ込むのはお前らに任せるから。
Webコンテンツの何が素晴らしいかというと、省エネさである。 必要な設備はサーバくらいで、プラットフォームの構築と維持に必要な労働が圧倒的に少ない。 ショッピングモールだとか遊園地だとか、施設が必要でいちいち人がサービスをしなければならないアミューズメントと比べると、差は歴然としている。 例えば、「小説家になろう」の運営会社で働いている人は13人しかいないという。 そんな小さな会社が運営しているサイトに、100万文字を超えるような物量の小説が大量に投稿されていて、無限に快楽を得ることができる。(小説を投稿する側も、趣味として書いているであろう) 娯楽のために無駄に人を働かせてはいけない。巨大な娯楽施設は全部潰そう。 アミューズメントは、ディスプレイとスピーカーで完結するものだけでいい。 みんなひきこもりになれ。
往年の名作に雰囲気が似すぎてるというか、僕達はこういう作品を見て育ちましたってオーラビンビンのが多い気がする。 新しい物を作り出そうって感じでも、今の時代ってこういう空気流れてるよねってのでもなく、昔こういう作品読んだよな楽しかったよなってノリの作品が増えてる気がすんだよね。 それがパクリとかじゃかくて、限りなくトリビュートに近い方向に調理されてて、自分らがそうやって楽しんだから次の世代にも受け継ごうって意思と、昔こういうのあったよなーっねいう同窓会のような感覚が入り混じってるような。 いや。 うん。 これ単に読んでる自分の側が変わっただけな気もしてきたわ。 作者と年齢が近くなってきたから執筆の背景にある歴史に共感してきたとかなのかな。
うまれて初めて同人イベントに参加した。 忘れかけていた劣等感を引きずり出された。 ものすごく小さなジャンルで、サークルの数は10を超えるかどうか。 その中で好きなカップリングの新刊や既刊を買うと10冊足らず。 参加しているときは楽しかった。サークル参加する側も買い専もほとんどツイッターで繋がっているような小さなジャンルだから、 ちょっとしたオフ会みたいで楽しい時間だった。 家に帰って、買ってきた他のサークルの本を読んで愕然とした。 自分の本がいかに稚拙で見劣りのするものか、並べてみたら一目瞭然だった。 装丁、内容、ボリューム、全てにおいて「初めてのサークル参加だから」という言い訳でが通用しないほどクオリティが低かった。 自分の見通しの甘さ、人生経験の少なさ、感受性の乏しさ、語彙の少なさ、そういうものを一気に突き付けられた気分だった。 「お金を出して買ってもらう」商品だというのに、これだけの
島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代に予備校講師に勧められて買ったものの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族の崩壊を記録した作品である。 読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。 『相馬に帰ろう』 紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。 私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄も相馬地区がふるさとだったのだ。 そして、未だに故郷は原発事故の惨禍に見舞われている。 東日本大震災から6年。故郷が自然と思われた。 正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く