ことし10月5日で、亡くなってから10年になるスティーブ・ジョブズ。 マッキントッシュ・コンピューターからiPhoneまで、IT分野のフロントランナーとして世界を変えたジョブズは、禅や和食などの日本文化に深い関心を持っていた。 そして、時折、家族と古都の京都を訪れていた。 ジョブズに京都はどう映っていたのか。その素顔に接した人たちを取材した。 (国際放送局 World News部記者 佐伯健太郎)
Steve Jobs was the public face of some of the biggest tech innovations of the 21st century. But privately, he was known for his passion for Japanese culture. He was particularly fond of Kyoto and over the course of 25 years, he got to know the ancient Japanese capital well. Fifteen stones When it came to Kyoto, Oshima Hiroshi was Steve Jobs' man. Oshima worked as a chauffeur and a tour guide for J
ロンドン生まれ。インディアナ大学卒、ハーバード・ロースクール修了。 シリコンバレーの弁護士から会社経営に転じた後、1994年にスティーブ・ジョブズ自身から声をかけられ、ピクサー・アニメーション・スタジオの最高財務責任者兼社長室メンバーに転進。ピクサーでは事業戦略の策定とIPOの実現を担当し、赤字のグラフィックス会社だったピクサーを数十億ドル規模のエンターテイメントスタジオへと変身させた。のちにピクサーの取締役にも就任している。 その後、会社員生活に終止符を打ち、東洋哲学と瞑想を学ぶとともに、それが現代社会とどう関係するのかを追求する生活に入った。いまは、このテーマについて文章を書いたり教えたりしている。また、そのために、ジュニパー基金を立ちあげ、創設者のひとりとして積極的に活動を展開している。カリフォルニア州パロアルト在住。いまは妻のヒラリーとふたり暮らしである。
ローランドの創業者であり、元社長、元会長。現在、ATV株式会社の代表取締役会長で、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団名誉顧問である梯郁太郎(かけはしいくたろう)さんが4月1日、お亡くなりになりました。ご遺族の意向もあるようで、ATVやローランドからも正式な発表は現時点ではありませんが、ご冥福をお祈りいたします。昨年末のATVの新製品、aFrameの発表会のときにお見掛けした際にはとってもお元気でいらっしゃったので、楽器業界のために100歳くらいまでは……と思っていたのですが、87歳だったとのことです。 ご存じのとおり梯さんはMIDIの考案者・開発者であり、そのMIDIの功績からグラミー賞を受賞されている方でもあります。その梯さんに、2011年にインタビューさせていただいたことがありました。ちょうどスティーブ・ジョブズが亡くなった直後で、朝日新聞社のAERAのスティーブ・ジョブズ追悼号での
ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズの付き合いが「スムーズ」にいったためしは一度もなかった。 30年以上のつきあいの中で、彼らは同盟を組んだこともあれば、憎み合うライバル同士だったこともある。そして、時には友人と言えなくもない関係だったこともある。あるいは、これら3つをミックスした関係だったことさえあるのだ。 ただ、振り返ってみれば、彼らの存在および、彼らの複雑な関係がなければ、現在のわたしたちが知るアップルやマイクロソフトは存在しなかったといえるだろう。 この記事は、ウォルター・アイザックソンが著したジョブズの伝記およびその他の文献からスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの奇妙な関係とその歴史を追ったものだ。 ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは常に敵同士だったわけではない。マイクロソフトはその歴史の初期に、大人気だった「Apple II」コンピュータ向けのソフトウェアを開発していたし、ゲイ
2015年7月12日、ビジネス・ブレークスルー大学にて「ビジネス英語の極意と世界レベルの仕事術」と題するイベントが開催され、元Appleシニアマネージャーの松井博氏とBBT大学経営学部教授の青野仲達氏が対談しました。本パートでは、松井氏がAppleで働いた経験から学んだことや、スティーブ・ジョブズとの思い出を紹介しました。ジョブズが復帰する前のAppleは「学級崩壊した学校のようだった」という松井氏が、ジョブズがどのように組織を改革していったかについて語りました。 スティーブ・ジョブズと一緒に働いた松井博氏の自己紹介 青野仲達氏(以下、青野):今日は「ビジネス英語の極意と世界レベルの仕事術」ということで、元Appleシニアマネージャーの松井博さんをお招きして、私と話をしながら進めていきたいと思います。 松井博さんは1990年代の初めから2009年までAppleで仕事をされていて、2000年
故スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションと言えば、伝説的なものがいくつもあります。 2007年の初代iPhoneの発表や、2005年のスタンフォード大での講演などは有名ですし、人によっては1984年のMacintosh発表を思い出す方もいるでしょう。 しかし自分にとっては、1997年のThink different. キャンペーンの社内向け発表のプレゼンが一番心に刺さります。(これまでに何百回と観ているので、プレゼンを一字一句完コピしてしまいました。飲み会の余興などでやりまっせ・笑) そこにはAppleの発表会ですでに馴染み深いものとなった、聴衆の熱狂もスタンディングオベーションもなく、ジョブズの満面の笑みもありません。そもそもスライド自体が一切なく、製品発表ですらありません。 Apple本社内の数百人しか入らないタウンホールで、新しい広告キャンペーンについて社内の人間に対してジョブズが
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By Srinath H Shankar Appleのスティーブ・ジョブズがPalm社の当時のCEOであるエドワード・コリガン氏に対して「社員の引き抜きを禁じる協定」の締結を強く求めたものの、コリガン氏がかたくなに拒絶したということはシリコンバレーではよく知られた噂でしたが、両者の交渉内容がついに裁判記録で明らかにされました。 October 24, 2013 Class Cert Order http://ja.scribd.com/doc/201651711/October-24-2013-Class-Cert-Order Steve Jobs threatened Palm’s CEO, plainly and directly, court documents reveal | PandoDaily http://pando.com/2014/02/19/court-documen
It is well-known that Steve Jobs is a Japanophile. It is also well-known that Steve Jobs was a big fan of Sony. In the book, "Insanely Simple" by Ken Segall, the godfather of "iMac" disclosed how Steve Jobs wanted to name that product "MacMan" mimicking "Walkman." Akio Morita, the co-founder of Sony was not featured in the 'Think different.' ad campaign but he has always been a hero for Steve Jobs
I’m so sad this evening—as millions are—to hear of Steve Jobs’s death. Scattered over the last quarter century, I learned much from Steve Jobs, and was proud to consider him a friend. And indeed, he contributed in various ways to all three of my major life projects so far: Mathematica, A New Kind of Science and Wolfram|Alpha. I first met Steve Jobs in 1987, when he was quietly building his first N
I should tell you this story. We’re in a meeting at NeXT, before Steve went back to Apple. I’ve got my chief scientist. After the meeting, we leave and try to unravel the argument to figure out where Steve was wrong—because he was obviously wrong. And we couldn’t do it. We’re standing in the parking lot. He sees us from his office, and he comes back out to argue with us some more. It was over a te
ギズ独占! 映画『スティーブ・ジョブズ 1995 ~失われたインタビュー~』の特別映像が名言たっぷりで興奮しっぱなしだよ!【プレゼント応募期間終了しました!】2013.09.03 20:008,521 「他の人と共有したい感情を上手く伝えようとするとき最も有効な媒体がコンピューターなんだよ。」 泣いてもいいですか…。こんな名言が数多登場するのが9月28日公開の映画『スティーブ・ジョブズ 1995 ~失われたインタビュー~』です。こちらの映画、アシュトン・カッチャー主演の「Jobs」とは違って、出演しているのはスティーブ・ジョブズ本人。あれ? マスコミ嫌いだったよね、ジョブズ…。 この映画のインタビューは、1995年の夏に制作されたPC誕生に関してのドキュメンタリー番組『The Triumph of the Nerds : The Rise of Accidental Empires』で行わ
先日、スティーブ・ジョブズの公式伝記本、その名も『スティーブ・ジョブズ』を読了しました。 ……といっても、最初に読み終わった直後に読み返したので、既に2回読破済みなのですが。 ジョブズの人生や思想も興味深いし、著者/訳者のウォルター・アイザックソンの仕事も見事(彼の書いた他の伝記も読みたい)だし、個人的にも感じ入るところもたくさんある、とても素晴らしい本でした。 そして、内容とは別に、1つ驚いたことがあります。 「ええっ!? ジョブズって、そこまで禅が好きだったわけ!?」 という点です。 彼が日本文化のうち、侘び寂び的/禅的なものを好んでいて、それがアップル風ミニマリズムの核になっているのは知っていましたが、まさかここまで傾倒しているとは思いませんでした。 禅への傾倒っぷりは、本書のあちこちで見ることができます。 例えば、若き日のジョブズは、千野弘文老師の元で熱心に禅を学びます。どのくらい
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エリオット スティーブとは1980年に出会い、その後、6年間アップルにいた。アップルを辞めた後、ネクストやピクサーの時代にも付き合いがあった。 私がアップルを辞めたのはスティーブが辞めた1年後だ。その後はいくつかの事業を始めたが、スティーブとの交流は蘇ったり、途絶えたりを繰り返していた。彼の基調講演にも何度か出向いたことがあるよ。 ただ、アップルにいた6年間は、ほぼ毎日、1日24時間、週に7日、彼とともにいたようなものだね。 ―― 彼とはどのようにして出会ったんですか? エリオット 私は当時、ロスガトスに住んでいて、スティーブもそこに住んでいた。私は近くにあるメキシコ料理のレストランにいて、ラウンジエリアで妻を待っていた。妻はちょっと遅れていたんだ。 ラウンジで私は少し落ち込んでいた。IBMを辞めてインテルに行ったものの、アンディー・グローブとは気が合わず、インテルも好きになれなかった。半
印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます Steve Jobsが亡くなった、との知らせが届いた。8月に彼がAppleのCEO職を退いた時点から、いや、それ以前よりカヘキシーを想起してしまう痩身ぶりを見るにつけ、この日がそう遠くないことを覚悟してはいた。それでも驚き、動揺してしまうのは、彼のビジョナリーとしての才能に感服しているからなのだろう。“人間とコンピュータの関係”というテーマに限っていえば、彼ほどのビジョンと情熱を兼ね備えた人物は今後しばらく、いや、もう二度と現れないかもしれない。 私は彼と直接言葉を交わしたことはないし、接近したのは2005年8月に東京国際フォーラムで開かれたイベントの基調講演で中央最前列に座っていたときなど、数えるほどだ。その意味で彼は他のコンピュータ
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