散人老师去世了。他是在日本博客圈一位领先博客作者。我不知道他的年龄,而是因为他已经退役从企业,年是70近。也是麦金塔的高手。它也能说流利的信息技术。它的笔名是来自文學大師永井荷风得出。也是文学研究的业余,但有一个伟大的知识。他的太太是法國人。我們可以想像愛他年輕時的激情。也有的偉岸的想法。他是既一個運動家又美食家。老师! 是我们不可到达的明星。
北朝鮮が米国を標的とした攻撃態勢に入るなか、その最大の軍事機密が、威嚇的な意図もあってか、国際的に公開された。その軍事的な意味合いについて簡単に考察を加えておきたい。まず状況の整理をしておこう。 国内でもすでに一昨日のNHK「北朝鮮 「米攻撃できる状態で待機指示」] (参照)で報道されているが、米軍が韓国軍との合同軍事演習でB2ステルス爆撃機を投入したことを受け、北朝鮮では3月29日未明、朝鮮人民軍の作戦会議が緊急招集された。北朝鮮の国営通信によると、会議で金正恩第一書記は「米国をミサイルで攻撃できる状態で待機するよう指示した」。 報道で注目すべき点は、通常、軍事機密と見られる具体的な敵国への攻撃の手法までもが公開されたことだ。明白に米国本土が目標となっている。 この中でキム第1書記は、アメリカ本土と、ハワイ、グアムなどの太平洋地域や韓国にあるアメリカ軍基地を、「いつでもミサイルで攻撃でき
お酒が飲めなくなったものの、夏の夜にはちょっとビールみたいなものが飲みたいなというときに、偽ビール。ノンアルコールビールを飲むことが多い。実体は炭酸水とさして変わらないが、まあ気分というもの。最近はそれなりに味もいいように思えてきた。昨晩も深夜、ふとノンアルコールビールが飲みたくなって、小雨のなか近所のコンビニに買いに行ったのだ。それだけのために。いつもは、スーパーとかで六缶入りとか買うのだけど。 深夜のコンビニっていつも人がいる。きみたち寝ないのかねと思うが、そういう人がいるっていうのは、眠れない夜の優しさの部類じゃないか。さてと、とコンビニの冷蔵庫を開けて、キリンのにするかなと手に取ると、きんきんに冷えている。持っているだけで冷たくて指が痛い。これはいいと思って、いそいでレジに持っていく。これね、と言ってレジの台に乗せると、店員、まだ20代のお兄さんだろうか、バーコードでレジして、そこ
菅首相が昨日、脱原発の方針を目指すとして記者会見を行った。私はリアルタイムに聴いてなくてツイッターで話を知った。それによると「原子力は安全性確保だけでは律するのことできない技術だ」と述べたらしい。呆れた。本当にそう発言したのだろうか。NHKの7時のニュースでその記者会見が小ネタ扱いで報道されたので聴いた。たしかにそう発言していた。東京工業大学も情けない卒業生を出したものだな。 最初に自分の立場を明確にしておくと、私は反原発でも原発推進でもない。現状の原発がこのまま推進できないことは明白であり、特に安全性対策と廃棄物処理について大きな変革が必要であるのは論を俟たない。また日本の原発をなくすとしても中長期的な問題であり、当面は安全性対策が重視される。であれば、反原発でも原発推進でも中期的な展望に異なる点はない。つまり、現下の問題ではない。菅政権は復興という現下の問題に取り組むべきであって、脱原
- 追記 論点がわからない人がいるようなので最初に3行でまとめておきますよ。 finalvent: 自衛隊は暴力装置ではない(暴力装置は国家のみを指す用語だから)。 hokusyuさん: 自衛隊は暴力装置である。 排他的な命題なんでどっちかが正しく、どっちかが間違っている。お考えください。 - ⇒とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去 なるほど、この定義によれば、国家権力は暴力装置である。では「暴力を発動するため」の「暴力」とは何だろうか?警察や軍隊だとすれば、「警察や軍隊を発動する」となり、意味が通らなくなる。 意味通るけど。警察とは警察暴力であり、軍は軍暴力。なにか疑問でも? むしろ、その後半の部分と比較してみればわかるが、軍隊や警察は、「諸機関」と並列されているのである。つまり、国家は暴力を発
まことに大きな利権集団が、閉花期を迎えようとしていた。 エッフェル塔が完成しパリ万国博覧会が開催された1889年(明治22年)4月9日、後に「アラビア太郎」と異名を取ることになる山下太郎が生まれた。場所は秋田県、今の横手市である。 地元の祖母の元で育てられ、10歳を過ぎてから東京の実母の家に送られ、青年期に北海道に渡り、札幌農学校(現北海道大学)に学ぶ。卒業後、各種のビジネスに手を染め、失敗を重ねながらも満州でビジネスを拡大した。第二次世界大戦後は石油資源の確保に尽力し、1957年、ペルシャ湾海底採掘権をサウジアラビアおよびクウェートの両国から獲得した。40年間の契約だった。これを契機に1958年、アラビア石油を創立した。 アラビア石油は、1960年から採油を開始した。石油が日本の高度成長を支える姿にアラビア太郎は満足しつつ、1967年、波乱の一生を終えた。同年、アラビヤン焼きそばが発売さ
増田さん⇒私が池田先生を好かないたったひとつの理由 話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。 それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。 判断は人を好く好かないではなく、議論の中身を見たほうがいいですよ。 池信先生からは学ぶことがたくさんありますよ。 というか、ネットの議論は、世間の対人的な知恵とは違って、まず、議論の正否をそのエクリチュールから読むという、ある種、冷酷な能力が必要になりますよ。 「この意見は正論の面もあるが、こいつはこういう考えを持っている、あるいは持っているに違いないから、この意見の意味はこうだ」だから、バッシングしてやれというのを、でき
エコナの危険性を熱く取材、伝えてきたジャーナリストの植田武智氏が、欧米で再燃しつつある携帯電話の電磁波と脳腫瘍増加の疑惑について、9月14日にワシントンDCで開かれたアメリカ上院議会の公聴会のビデオの一部翻訳をWEBにUPしてくれている(電磁波、化学物質、食品添加物 読めば納得、暮らしの危険)。 公聴会では、インターフォン研究のイスラエルのチーフである、テルアビブ大学ガートナー研究所、ガンと放射線疫学部部長のセデスキー博士が証言を行っている。博士らは2008年、インターフォン研究の一環として携帯電話の長期使用者で携帯電話を使う側の腫瘍が増えることを示唆する結果を発表しているそうで、イスラエルではすでに予防原則からスピーカーやイヤホン、ハンズフリーキットを使い、電波の悪い所では使用を減らすというシンプルな対策を呼び掛けているとのこと。また、子どもは特別の配慮が必要ということにも触れている。
なんど手を洗ってもまた手を洗わずにはいられない。ベッドのシーツにシワやヨレがあるとそれだけで眠ることができない。家を出て五分後に鍵を本当にかけたのかどうしても確認に戻る。普通の人でもそういう理不尽な行動をとることがある。それが過度になり、本人も非常な苦痛に感じ、日常生活に支障を来すようになると、精神疾患として強迫性障害が疑われる。 診断については「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引」に基準があるが、強迫性障害は、本人の意志と無関係に不快感や不安感を伴って脳裏に浮かぶ強迫観念と、強迫観念を打ち消すために行われる強迫行為から構成される。強迫行為は、家に戻って毎回する鍵の確認のように、それなりに誰でも了解できるものから、他人にはまったく理解できない行為もある。指と指が触れてはならないといった強迫行為の理由は、他人には理解できないが、強迫性障害者本人は了解している。理不尽ということを理
九月になった。自公政権の終焉が夏とともに終わるというのは日本人の季節感からするとキリがよいというべきだろうか。小沢はかねがね一度政権交代を体験したらそのよさがわかりますよと言っていた。わかる秋の日となるだろうか。ならないような気がするが、この奇蹟のような手品をやってのけたのだからとつい期待する魔力が彼にはある。彼が自民を割って、そして自由党で小さな政党になったとき、政策政党であればよいのだと熱弁したとき、ああ、そうか、それはそうだと思ったものだった。多くの人が彼のもとを去り、北京が去らないのを横目で見ながら、これは長期的には中国人の目が正しいだろうなと思ったものだった。むしろマスメディアの毀誉褒貶があるなら、じっと彼を軸に見ていこうと思った。民主党でも乾されてもう引退かなと思ったが出てきた。自分と比較するのはおこがましいが、私は小沢に民主主義というものの理解で負けたなと思った。しかし、なん
表面的には簡単で(つまりそんな疑問じゃねーよはさておき)。 ウイグルというのは、「東トルキスタン」のことで、「東トルキスタン」というのは、"East Turkestan"。 "Turkestan"というのは、ペルシア語でトルコ人"Türk"の居住地"istan"。 つまり、トルコの人にしてみると、ウイグルというのは、「東のトルコ」に見える。 なぜそうなるかの歴史と、その実態については話すと長いことになるので割愛。 ちなみに、トルコ人は日本人もトルキスタンの一種だとなんとなく思っているので、よって、親日。(おれたちの遠い親戚が世界の一等国になって、兄ちゃん嬉しいだ的心情)。 (エルトゥールル号遭難事件とかも)(それに日本人女性はqうぇrちゅ) (ついでにいうと、朝鮮戦争のときトルコ人はけっこう戦死していて、この時の感謝に韓国はトルコに記念塔を送っている。それを見るトルコ人の心情は、遠い国でも
本当においしい物と、普通においしい物と、お料理された物、と分けたら、たぶんカテゴリーエラーだろうと思う。わかってる。 私は本当においしい物はそれほど食べたくない。なんか哀しくなるから。というか、おまえなんか本当においしい物なんて食べたことないだろと言われるなら、それでもいいかなと思う。別になにか自慢したいわけの修辞でもない。本当においしい物はなんかの事故みたいに会って、そして同じ物は二度と食べられない。 世の中の食い物は普通においしければいいと思う。どの国の庶民でもそこの普通の食材で普通に料理して普通においしかったらそれでいいし、人の好みっていうのもあるのだろう。 だから、お料理というのは、普通においしければそれで終わりでいいじゃないか。でも、たぶん、そうはいかなくて、どこなくそれを介したコミュニケーションであったりする。あるいは芸術? まあ、めんどくさいもの。それをめんどくさいって言っち
ベーコンは薄切りじゃなくて厚めを食べ応えあるくらいの大きさにして、最初によくローストすること ソースに凝るのはやめて7プレミアムのカルボナーラソースを使うこと 最後にコショウをコショウ挽きでかけて香りよくすること inspired by カルボナーラを美味しく作るための3つのコツ - T/O
料理週間は続く。仕事のペースが少し落ちたってのが原因か? 豚バラ肉の塩漬け(ベーコンとかパンチェッタ的なもの。今回は例によってこれ)を拍子木形に切り、中火で加熱する。脂身が多ければ油を引く必要はない。このタイミングで、パスタを茹で始める。 で、ソースを用意する。二人分で卵3個と粉チーズをひと掴み分。これだけ。泡立て器とか、なければフォークでしっかり混ぜておく。箸だと白身が切れない。 バラ肉の端がカリカリになってきたところで弱火にして、茹で汁をお玉一杯投入して加熱を抑えておく。 茹で上がったパスタを入れ、火を付けてグツグツいうまで加熱し、火を弱めて水をお玉一杯分投入。ソースを加え、中〜弱火のままじっくり熱を加えていく。木べら的なもので、底から絶え間なく混ぜること。ゆっくり火を通すことで、クリーム感が出る。途中で味見をし、必要なら塩を投入。もっさりしたクリーム状になったところで完成。しつこく火
NHK7でも見たが、ばかばかしい話だ。いや、考古学がばかばかしいというのではなく、卑弥呼の墓という議論が。卑弥呼に特定するには墓碑がでなくてはならない。出るわけもないだろう。であれば、卑弥呼の墓であるとするに妥当な条件が問われなければならないが、東夷条における没年の類似性だけだ。まあ、王権として当時最大であり、没年が近ければそうだと思いたくはなるだろうが。 邪馬台国の所在地論争に決着がつくなら、専門家ならずとも大きな話題だが、ここは「少し冷静に」と呼びかけたい。科学的なデータは百パーセント正しいとは限らないからだ。サンプルの取り方や、測定方法によって誤差が生じることもある。さらなる蓄積を待ち、専門家がじっくりと議論して結論を出しても遅くはない。 というのも、考古学の世界では9年前、前期・中期旧石器の遺跡と遺物が捏造(ねつぞう)された苦い経験がある。教科書は書き直され、国の史跡は解除された。
inspired by 喧嘩できない間柄 - Chikirinの日記 世の中には「喧嘩できる相手」と「喧嘩できない相手」がいる。 人は「喧嘩できない相手」と喧嘩になりそうになると、負けを打っても逃げる。 どういうことだって? 喧嘩できる相手とは 理性と良心がある人(理性があっても良心がないは困る。独特な良心も困る) 理性と良心には問題があるがユーモアセンスがある人 であり、喧嘩できない相手とは、 一方的に言いまくって、お仲間と高らかな勝利宣言を上げる人 「こいつダメだわ」と早々に逃げる人
この人道危機を国際社会も見過ごしてはならない。かつてルワンダやスーダンの紛争で、状況判断を誤ったために大勢の犠牲者を出してしまった教訓を思い出すべきだろう。 あのー、スーダンの紛争は、過去形じゃないんですけど。そして、それを教訓とすべきなら、ダルフール・チャド問題にきちんと取り組むべきなんですけど、朝日さんも。 そのLTTEは敗北を前に、まったく無謀な行動に出た。地元住民を部隊と一緒に行動させ「人間の盾」としているのだ。武装勢力の家族や支持者が一部いるとはいえ、大部分は強制されていると見て間違いあるまい。 この社説とは直接関係ないが、弱者であり迫害された側もまた「人間の盾」は使う。そして、それは強制でなくても実施されることがある。そのように人が追い込まれるとき、「弱者であり迫害された側」というのがどういう意味をもつのかわからんやつがまだいることにあきれるな。
むずかしい。 さらに。 ユーモアセンスのないブコメーにどのように付き合うべきか? さらにむずかしい。 さらに。 自分にはユーモアセンスがあると思って(笑)を付けまくるやつにどう付き合うべきか? あー、いやその(笑) 追記 ⇒はてなブックマーク - ユーモアセンスのないブロガーにどのように付き合うべきか? - finalventの日記 satohhide >ユーモアセンスのない< しばしば痛いところをつかれた時の逃げ口上に使われる。 2009/05/06 痛い、と。 kurokuragawa blog, コミュニケーション, ユーモア そもそも付き合う必要があるのかな(無理やり付き合わされる場合はお気の毒) 2009/05/06 ekken communication 2009/05/06 …。
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