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犯罪心理と受容文脈に関するQuietworksのブックマーク (4)

  • ビデオニュース:宮台真司氏講演 メディア影響論 - kitanoのアレ

    東京(2001年1月31日)にて 元ソース http://www.videonews.com/top/0102/miyadai.html http://www.videonews.com/news/movies/asx/miyadai50.asx (前略) 子どもの一部が日常的なフレームの中で非常に低い意識で人を殺せるようになっているというその理由は、われわれのまさに“足元”に及ぶような極めて根源的で複雑な理由に基づいています。 その理由を考察し対処しようとすると、われわれ自身の社会生活、自分たち自身のコミュニケーションのし方が問われかねないような非常に重要な問題です。 重要な問題、われわれが無傷であることを許さないような、そういう種類の深刻な問題をわれわれは考える“べき”なのでありますが倫理的には、ところが実際にはそのようなことはなされていない。その間に出てきているのが、一部の“稚拙な”

    ビデオニュース:宮台真司氏講演 メディア影響論 - kitanoのアレ
    Quietworks
    Quietworks 2009/05/11
    宮台真司「クラッパー以降マスコミ効果研究が注目しているのは、「受容文脈論」というものです。...メディアの影響と言うのは、「受容文脈」で変るというのが今日の学問的な常識です。」
  • 『レイプレイ』事件について - rna fragments

    国際的な人権団体 Equality Now が日製アダルトゲームの発売中止を求める運動を始めたことがニュースになった。最初に見た読売新聞の報道ではメーカーやタイトルが書いてなかったのだが、Equality Now の声明文には具体的に書いてあって、問題のゲームはイリュージョンの『レイプレイ』というゲームだった。 児童ポルノ問題ではない yuuboku さんが Equality Now の声明文を翻訳したものを公開している。 Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。 - yuubokuの日記 - 断片部 12歳前後の女子学童が通勤電車に乗っている。後をつけていた男が彼女の体に触り、彼女に性的いたずらを試みる。やっとのことで電車は停まり、恐れをなした彼女は公衆トイレに駆け込むも、追って来た襲撃者は彼女の腕を縛り、レイプする。襲撃者は彼女を監禁し、様々な状況下で彼女を何度もレ

    『レイプレイ』事件について - rna fragments
    Quietworks
    Quietworks 2009/05/10
    「それはポルノに触れる際の文脈に依存し...レイプを正面から正当化するような描写はレイプが深刻な人権侵害であることが合意されている社会においてはむしろ安全だ。」
  • 実際に被害者がおらず「社会的に容認され擁護されているというメッセージになることが問題」ならば、必要なのは焚書ではないだろうに。 - こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブログ

    今回のエントリは以下の条件をもとに記述する。 今回扱うものは実在の未成年モデルがいない、フィクションとしての創作物。 実在の児童に対する性的虐待および性商業的な搾取は、映像や写真などの記録に残ろうがのこらまいが問題。 児ポ法はそもそも実在する児童を守るもの。 同じ規制でも、注意書きとゾーニングと焚書とでは全く意味が変わる。 その「少女」は当にいないのか? 特にアニメ・漫画表現における規制に関してこのようなことを言う人が多い。 こういう人達はいわゆる「ポルノ」が社会的に氾濫することがなぜ悪いことなのか分かってないのではないのだろうか?(good2nd氏を指すわけではない) 個別的なケースにおいて、ポルノ表現が性犯罪に結びつくことは、あるかもしれないし無いかもしれない。あるいは抑止されているかもしれない。 ただ社会問題としてのポルノ表現とは、それが多量に表立って流通することで、その表現内容が

    実際に被害者がおらず「社会的に容認され擁護されているというメッセージになることが問題」ならば、必要なのは焚書ではないだろうに。 - こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブログ
    Quietworks
    Quietworks 2009/02/24
    通常人は現実と非現実を比較することができるのだから現実を与えれば非現実性を自覚させることができる。現実を与えても非現実性が自覚されないなら虚構を排除しても効果はない。
  • ポルノ規制論について - rna fragments

    ポルノを見ると性欲が刺激されて性犯罪に及ぶという理屈は、刺激を受けると男はサカリのついた犬みたいに我慢できなくなる、少なくとも一部に、しかし少なからぬ割合で、そういう人がいる、ということを前提としている。だから連帯責任みたいに一律禁止という話になる。 沖縄の事件でも騒ぎになったが、強姦事件が起きると「被害者にも落ち度がある」ということを言う人が必ず出てくる。「男はそれを我慢できないのだから女が注意しないといけない」というわけだ。これに倣えば犯罪の助長を根拠としたポルノ規制論は「男はそれを我慢できないのだから国家が規制しないといけない」ということになる。 個人の、それも弱い立場の人に自己責任を押しつけるよりは、国家が規制した方がマシには違いない。しかし、そもそも「男はそれを我慢できない」のだろうか? 現状として「我慢していない(人が少なからずいる)」というのは事実だとしても、それは受け入れる

    ポルノ規制論について - rna fragments
    Quietworks
    Quietworks 2009/02/14
    性犯罪は性欲が刺激されることではなく「自分は行動に移すことが許されている」と認識することにより引き起こされるのではないか。だからこそ聖職者による性犯罪も起こる訳で刺激を規制しても意味がない。
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