最近一部で話題の「何故ハルヒ同人が作りにくいのか」の考察を興味深く読みました。 『大人気の涼宮ハルヒが同人誌のジャンルにならない理由』と『マリみてが同人誌のジャンルになった理由』 二次創作ソースとしての『涼宮ハルヒ』には「欠落」が欠落している ──うーん。要は各キャラクターのベースとなる設定が不明だから作りにくい、ってことですよね。ハルヒ中心だからとか、キョンの視点だからとかいう切り口はあんまり本質的でない気がします。 (筆者註:マリみてにおいては)読者は作品内に描写されていない部分、いわば世界の欠落を自らの体験や常識で容易に埋めることが出来得る。 という指摘も、本当は「欠落」の有無の問題ではなくて、埋める「材料」があるかどうかの問題なのだと思います。 マリみてでは、日常生活の描写などにより「ベースとなる設定」がふんだんに提供されていますし、描写されてない部分についても基本的に一般的な女子